テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
#1x1x1x1
ゆ(旧「ゆゆゆゆ」)
902
ゆ(旧「ゆゆゆゆ」)
3,116
薔薇の香香が濃密に立ち込める私室の空気は、冷徹な静寂によって張り詰められていた。
スペクターは完璧な仕立ての衣服を身に纏い、長椅子へと深く腰掛けている。
その右脚は優雅に組まれ、漆黒の上質な革靴が、ノスフェラトゥの目の前で傲然と鈍い光を放っていた。
手袋を嵌め直した主の長い指先が、その革靴の先端を退屈そうにトントンと叩いた。
「ノスフェラトゥ。今夜の仕上げだ。我が足元へ平伏し、その無能な口を使いなさい」
「――っ、は……っ」
ノスフェラトゥは主の足元へと這いつくばった。
足先に最も近い、最も卑屈な場所。
スペクターは、組んだ脚の革靴を、ノスフェラトゥの唇の わずか 数センチ先へと 突き出した。
完璧に 磨き上げられた 漆黒の 皮革。そこには、複雑に、そして 固く 結ばれた 一筋の 靴紐が あった。
「手を使うことは 許さない。君の その 鋭い 牙と唇だけを 使い、 私の 靴紐を 解いてごらん。そして、 再び 私が 満足するよう、 完璧に 結び直すんだ」
「あ……、……っ、主、主様……っ」
ノスフェラトゥの 喉筋が、その 不条理な 命令の 重みに 激しく 跳ね上がった。
古代の 吸血鬼としての 誇り、夜の 闇を 統べる 怪物としての 象徴である その 牙を、人間の 衣服の、それも 最も 汚れに 近い 足元を 奉仕するためだけに 使えという。
これ以上の 精神的な 凌辱は なかった。
しかし、「触れてはならない」主の 領域に、口という 最も 敏感な 部分で 触れることを 許されるという 異常な 背徳感が、彼の 下腹部を 狂おしいほどに 疼かせた。
「どうした? 誇りが 邪魔をするかい? ならば、 その 牙ごと 私が 踏み砕いて あげようか」
「い、嫌だ……っ! やります、 私は、 お前の……っ」
ノスフェラトゥは 溢れる 涙で 視界を 歪ませながら、 意を決して 主の 靴先へと 顔を 近づけた。
本革の 独特な 匂いと、 スペクターが 踏みしめてきた 硝煙の 気配が 鼻腔を 突く。
彼は 震える 唇を 伸ばし、 主の 靴紐の 結び目へと 恐る恐る 触れた。
「――っ、ぅ、」
冷たく、 硬い 紐の 感触。
ノスフェラトゥは 唇を 窄め、 紐の 端を 必死に 咥え込んだ。
しかし、 手を 使わずに 口先だけで 固く 結ばれた 紐を 解くのは、 想像を 絶する 困難だった。
焦れば 焦るほど、 鋭い 牙が 紐を 傷つけそうになり、 主の 完璧な 所有物を 損なう恐怖が 彼の 精神を 磨り潰していく。
スペクターは その 哀れな 姿を、 まるで 餌を 漁る 小鳥でも 眺めるように、 冷徹な 愉悦の 瞳で 見下ろしていた。
「おや、 随分と ぶざまな 姿だね、 ノスフェラトゥ。 君の その 牙は、 獲物の 喉笛を 裂くための ものでは なかったのかい? いまや 私の 足元で、 靴紐一本に 翻弄されている。 実に 滑稽で、 狂おしいほどに 従順だ」
「ん、 む……、 ぅう……っ!」
主の 嘲笑が、 何よりも 濃厚な 蜜となって ノスフェラトゥの 脳髄を 痺れさせていく。
自らの 牙が 主の 靴の 表皮に 微かに 触れるたび、 不敬の 恐怖と 快楽の 電流が 背筋を 駆け抜けた。
彼は 唾液で 紐を 濡らしながら、 舌先を 巧みに 割り込ませ、 じわじわと 結び目を 緩めていく。
ようやく、 ぷつり、 と 結び目が 解け、 紐が 左右に 垂れ下がった。
「あ……、 は……っ、 解け、 ました……っ、 主様……っ」
ノスフェラトゥは 顎から 唾液を 滴らせながら、 救いを 求めるように 主を 見上げた。
しかし、 儀式は ここからが 本番だった。
「よく 解けたね。 では、 次は 私の 望む通りの 美しさで、 結び直しなさい。 少しでも 緩みがあれば、 その 牙を すべて 根元から 圧し折るよ」
「――っっ!!!!」
結ぶ。 手の 指先でも 繊細な 力加減が 必要な 行為を、 牙と 唇だけで 行うという 絶望。
ノスフェラトゥは 再び 絶望的な 従属の 檻へと 突き落とされた。
彼は 垂れ下がった 二本の 紐を 交互に 咥え、 交差させ、 牙の 先で 慎重に 輪を 作り出していく。
少しでも 力を 入れすぎれば 紐は 千切れ、 緩ければ 罰が 待っている。
主の 足先という 絶対的な 支配の 質量を 目の前にしながら、 彼は 自身の 無力さを 骨の 髄まで 叩き込まれていた。
自分は かつて 王だった かもしれないが、 いまや この 男の 靴紐すら まともに 結べない、 無力な 奴隷に 過ぎないのだと。
その 自覚が、 完璧な 敗北の 歓びとなって、 彼の身体を 激しく 痙攣させた。
「あ、 ぅ……、 ん、 む……っ」
必死に 輪を 締め上げ、 最後の 結び目を 牙で 強く 引き絞る。
何度も 失敗し、 涙と 唾液で 完全に 濡れそぼった 紐が、 ようやく 主の 足元で 歪な、 しかし 固い 蝶結びの 形を 成した。
「できた、 のか。 見せてごらん」
スペクターは 脚を 下ろし、 ノスフェラトゥの 濡れた 髪を 容赦なく 掴み上げて、 その 顔を 自身の 靴元へと 押し付けた。
「あ……、 ぐ……っ!」
「ふむ……、 歪だが、 紐は 固く 結ばれている。 私の 足元で、 よくぞ ここまで 惨めに 奉仕できたね、 ノスフェラトゥ」
主の 漆黒の 革靴が、 労うかのように、 ノスフェラトゥの 濡れた 頬を 優しく、 じわじわと 踏み押さえる。
大理石と 靴底の 間に 顔面を 挟まれながら、 ノスフェラトゥの 唇からは、 完全に 壊れた 人形のような、 締まりのない 歓喜の 悲鳴が こぼれ出た。
「ひ、 ああっ! あぁ、 う、 嬉しい、 です……っ、 お前の、 お前の 靴の、 下……っ!!」
自分自身の 牙で 縛り直した、 主の 支配の 鎖。
ノスフェラトゥは 主の 足の裏の 圧倒的な 質量を 全身で 受け止めながら、 自ら 進んで 選び取った 奴隷の 檻の 中で、 果てることのない 恍惚の 深淵へと 堕ちていくのだった。