そうして、僕の治療と日本語の勉強生活は幕を開いた。
一日目。
「うちの自己紹介、もうちょっとした方がええよな」
ボソッと恵海が呟いた。
「わしはなんで引っ張ってこられたんか教えてもらえやんのかな?」
頭を掻きながら恵海の隣に座っている男性は恵海の旦那、康彦(ヤスヒコ)らしい。絵しりとり方式で何とかそれが理解できた。
「うちは、この人の妻で、大阪の方から嫁いできたんよ。まぁ、一目ぼれ的な感じやなぁ」
何か、幸せそうな顔してそんな事を言っている。
大阪、確か、地名だったはずだ。三重県の少し上の方だった気がする。
「なぁ、わし、なんで連れてこられたんかまだ教えてもらえてないんやけど」
康彦は恵海に対して物凄く低姿勢だ。不思議な物だな。
「因みにこの人は此処、三重県出身やで」
恵海は康彦の事を指さしてそう言った。多分、康彦の話を一切聞いていない。
「この人が一緒に居ったほうが、此処の事もよく分かるやろ?うちは五年前に来たばっかやし」
康彦は納得したように首を縦に振っていたが、僕は何を言っているのか一切わからないぞ。
七日目。
僕達ドールは飲み込みが早い物で、簡単な単語なら分かるようにもなった。
恵海の「うち」や康彦の「わし」、外を元気に走り回ってる子供の「僕」は全部一人称らしい。これ以外にも、私や俺、あたし、あっし、、、、、、多すぎると思う。
恵海には、「まぁ、炎土くんは“僕”って言っとけばええよ」と言われた。
一人称というのは、ややこしいのだな。
僕達を助けてくれた人達に、やっと、「ありがとう」って伝えることができた。
助けてくれた人達は、全員を助けられなくて申し訳なさそうにしてたけど、一人も助からないかも、なんて思っていたんだ。残ったのがたった数十人であっても、助かったのが有り難いのだ。
四週間後。
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