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みなみは掌の上に置いた細工物をじっと眺めた。山中にとっては深い意味のない、単なる土産物でしかないかもしれない。しかしみなみにとっては違う。今目の前に山中がいなかったら、胸に抱き締めたいと思うほど嬉しい。
「漆塗り細工のしおりだそうだよ。かんざしとしても使えるらしい。気に入ってもらえたらいいんだけど」
「とても嬉しいです。本当にありがとうございます。でも……」
みなみはおずおずと彼に訊ねる。
「こんなに素敵な物、頂いていいんでしょうか。これ、お高かったのでは……」
細工物と言ってもピンからキリまである。その中でも、山中からもらったこれは「ちょっとしたお土産」というには立派過ぎる代物に見える。
山中は照れ笑いを浮かべた。
「ごめん。実はそんなに高いものではないんだ。だから、気は遣わないでほしい」
「でも……」
「どうしても気になるっていうなら、そうだなぁ」
山中は宙を眺めてしばらく考える様子を見せていたが、何を思いついたのかにっと笑った。
「今度、岡野さんが俺に何かご馳走してくれるっていうことでどう?」
みなみの胸は高鳴った。今度また、こんな風に彼と会えることを期待してもいいのだろうか。喜びに頬がにやけそうになるのを抑えながらみなみは頷く。
「分かりました。ではこれは、ありがたく頂戴します。大切に使わせていただきます」
みなみは袋の中に細工物を丁寧に戻して、バッグの中に大切に仕舞いこんだ。ふと視線を感じて顔を上げると、山中と目が合った。
彼はみなみを見てにこにこしている。
こんな表情もするのかと一瞬見惚れそうになり、みなみは慌てて目を逸らす。その顔をまだ見ていたいと思うが、そろそろ今日の目的の遂行のために行動しなくてはと、軽く頬を引き締めた。料理もデザートも、食後のコーヒーもすべて片付いてしまった。当初考えていた通り、帰り道で少し時間をもらって話すことにしようと、みなみは彼に声をかける。
「あ、あの、補佐、そろそろ帰りましょうか?」
「そうだね。そうしようか」
「あの、すみません。その前にちょっとお手洗いへ行ってきます」
「あぁ、どうぞ」
みなみは席を立ち、用を済ませて彼の待つテーブルへと戻る。鏡の中の自分を見つめながら、改めて決意を固めてきた。今夜こそ、この片想いの行く先を方向付けようと心の中で自分を鼓舞しつつ、彼の背中を目指す。席まであと数歩というところで、正面から歩いてきた女性とすれ違いざまに肩同士がぶつかってしまった。
「すみませんっ」
「私こそごめんなさい」
みなみとその女性は互いに詫びの言葉を言い合った。
山中が振り向き立ち上がる。
「岡野さん、大丈夫?」
「すみません、大丈夫です。お騒がせして……」
言いながら山中の顔を見上げたみなみは、動きを止めた。はじめ彼の目は、みなみの方を見ていたはずだった。しかし今は、みなみとぶつかった女性をじっと見ている。
そして女性もまた、強張った表情で山中を見つめていた。
はじめに口を開いたのは、女性の方だった。
「匠……?」
彼女はか細い声で山中の下の名前を口にした。それからはっとしたように目を見開き、続いて目元を和らげる。懐かしい人に会ったとでもいうような表情で、彼に一歩近づいた。
フローラル系の甘い香りが、みなみの鼻先をふわりとくすぐる。優し気な雰囲気の彼女によく似合う香りだと思った。
「元気、だった……?」
おずおずと言いながら、彼女は山中の腕に手を伸ばす。
しかし彼はその手をするりとかわした。眉間にしわを寄せながら彼女に向けた声は冷たい。
「早く戻った方がいいんじゃありませんか。どなたかを待たせているのでは?」
彼女は肩先をびくりと震わせた。彼の腕に伸ばしかけていた手を下ろし、力なく微笑む。
「そうね。ごめんなさい……」
悲しさ、懐かしさ、恨めしさ、そして申し訳なさ。その顔には様々な感情が入り乱れている。彼女は山中から目を逸らし、固い表情で立ち尽くしていたみなみに視線を当てた。
「……この人はあなたの彼女?」
しかし山中は無言で応えた。
自分を拒絶する態度を取り続ける山中に、彼女は悲し気な目を向けた。
「今度はちゃんと大事にしてあげて……」
その一言を聞いた瞬間、山中の表情がさらに強張った。
「お元気で」
最後に短く言いおいて、彼女は店の奥の方へと歩いて行った。連れらしき男性が笑顔で彼女を迎えているのが見えた。
「出ようか」
はっとして見上げた山中の表情は、無理に笑っていると分かるほど強張っていた。
みなみは慌ただしくバッグを手に取り、背を向けて歩き出した彼の後を追った。店を出た後は、彼の背を眺めながらほんの少しだけ距離を取って歩く。
山中の振る舞いは普段通りで、紳士的で優しかったが、どことなく上の空に見えた。店で遭遇した女性のことで頭がいっぱいなのが分かり、みなみは胸が苦しくなった。
しかし山中と同様、みなみの頭もあの女性のことで占められていた。昔の恋人だろうかと気になって仕方がない。しかし、山中が自ら話そうとしないものを無理に聞き出す権利はみなみにはないのだ。
この帰り道を利用して告白するつもりでいた。すでに決心もついている。しかし、それはこのタイミングでいいのかと、みなみは迷い出した。今回の食事をきっかけに、山中の連絡先は得た。それなら、日を改めた方がいいのではないかという気になりつつあった。