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若井の叫びも虚しく、黒髪の少年——元貴は、茂みの奥へと消えてしまった。
「待てって! 別に怪しいもんじゃないんだ!」
若井が追いかけようとした時、背後から涼ちゃんが追いついてきた。
「滉斗、待って! 深追いは危険だよ。
……でも、今の歌声、僕も聴いた。
あんなに透明で、なのに胸が締め付けられるような音、初めてだ……」
二人は慎重に、元貴が消えた方向へ進んだ。
やがて、大きな岩の隙間に隠された小さな洞窟を見つける。
そこには、枯れ草で作られた簡素な寝床と、誰にも見つからないように大切に隠されていたであろう、古びた一冊の楽譜があった。
「……これ、あいつが書いたのか?」
若井が楽譜を手に取ろうとしたその時、背後の闇から鋭い唸り声が響いた。
「……触るな。……人間の分際で、僕の宝物に触れるな!」
闇の中から、元貴が姿を現した。
月明かりに照らされた彼の髪は、夜の帳のように深い黒。
その頭の上で、猫耳が警戒心も露わにピーンと逆立っている。
彼は小さなナイフのような石を握りしめ、今にも飛びかからんばかりの姿勢をとっていた。
「落ち着けよ。俺は若井。こっちは涼ちゃんだ。
俺たちも、君と同じ『音』を愛する旅人なんだよ」
若井は両手を上げて、武器を持っていないことを示す。
「嘘だ。人間はみんな、僕たちの声を『呪いだ』って言う。
……僕の家族も、みんなその言葉のせいで……!」
元貴の琥珀色の瞳が、怒りと悲しみで潤んだ。
獣人の「呪歌」は、聴く者の心を操ると言われ、人間たちから恐れられてきた。
そのため、歌う獣人は見つけ次第、声を奪われるか殺されるのがこの国の「法」だったのだ。
元貴は、たった一人でこの森に隠れ住み、誰にも聞かれないように歌うことでしか、自分を保てなかった。
涼ちゃんが、静かに自分のフルートを取り出した。
「……信じてくれなくていい。
でも、僕たちの音を聴いてほしいんだ。君が歌っていたあのメロディへの、僕たちの返事だよ」
涼ちゃんがフルートを吹き、若井が膝の上のリュートを爪弾き始める。
奏でられたのは、元貴が先ほど歌っていたフレーズに、優しく寄り添うような対旋律。
元貴の耳が、パッと前を向いた。
「……え?」
自分の孤独な歌に、音が重なる。
それは元貴の人生で初めての体験だった。
拒絶されると思っていた自分の声が、美しく彩られていく。
「……なんで。……なんで、僕の歌を汚さないの……?」
元貴のナイフを握る力が緩み、その場に力なく座り込んだ。
若井はゆっくりと歩み寄り、元貴の目の前で視線を合わせた。
近くで見ると、元貴の猫耳の先が、不安そうに小刻みに震えているのがわかる。
「汚すわけないだろ。……お前の声は、この森のどんな花よりも綺麗だ。……なあ、名前は?」
「……もと、き。……大森、元貴……」
「元貴か。いい名前だな」
若井がふっと笑い、無意識に元貴の頭に手を伸ばした。
元貴はビクッと体を強張らせたが、若井の掌が優しく耳の付け根を撫でると、一瞬だけ、喉の奥から「ゴロゴロ」という小さな音が漏れた。
「……ひゃあ!? ……な、なにするんだよ!!」
元貴は顔を真っ赤にして跳びのいた。
どうやら、獣人特有の反応が出てしまったらしい。
「あはは! ごめんごめん、つい。
……でもさ、元貴。その声、森の中に閉じ込めておくのはもったいねえよ。
俺たちと一緒に来ないか?」
「……正気なの? 獣人を連れて歩くなんて、見つかったら君たちだって処刑されるよ」
「その時は、世界中を敵に回してでも、俺たちが最高の演奏をぶちかましてやる。
……お前の声を『呪い』じゃなくて『伝説』に変えてやるよ」
若井の真っ直ぐな瞳に、元貴は言葉を失った。
この時、若井の首に巻かれていた
「オレンジ色のスカーフ」が、元貴の目には、暗闇を照らす太陽のように見えていた。
「……わかった。……君たちが死んでも、僕は知らないからね」
元貴はぶっきらぼうに言いながらも、大切そうに猫耳を伏せ、若井が差し出した手をおずおずと握り返した。
黒髪の歌い手と、二人の旅人。
世界を変える「禁じられた音楽隊」が、今ここに結成された。