コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
私とルークは、霧に包まれた森の中を沼地に向かって進んでいた。
この霧が濃度の薄い瘴気だとルークに教えられた時は正直驚きを禁じ得なかった。
魔物が生み出される程の濃度になると瘴気は深い闇の色に変化するので、闇が濃くなればなるほどそこは危険度も高まる。
霧のような瘴気は視界を塞ぐほどではなく道を知っているルークと一緒ならば迷う心配はなさそだった。魔物の呻き声も聞こえず、しばらくの間は必要以上に警戒する心配はなさそうだった。
「ミア、疲れたならいつでも言え。沼地までまだ距離がある。この辺りなら瘴気も薄く魔物も襲ってこないだろうから落ち着いて休めるぞ?」
「大丈夫よ。なら歩きながらお喋りでもしない? ルークには色々と聞きたいことがあるし」
私が心からルークに訊ねたいことの一つは、どうして私を花嫁に選んだの? だったけれども、それは今聞くことじゃない。
「どうして村人の案内を断ったの? ルークも沼地への道を知っているとはいえ、村の人の方が詳しいと思うんだけれども」
「そんなこと決まっている。せっかくミアと二人きりになれるチャンスを棒に振りたくなかった。ただそれだけのことだよ」
ルークはそう言うと、真剣な眼差しで私を見つめて来る。
真紅の瞳に不意打ちをかけられ、私は思わず言葉を詰まらせた。
それって、もしかして巷で噂のデートってやつ⁉
王侯貴族や庶民など身分は問わず、男女で仲良くお出かけすることを確か『デート』と定義するって侍女達に教えてもらったんだっけ?
現在は多様性がどうとかで、性別とかも関係なく、好きな人と一緒に出掛ければそれで『デート』と呼んでもいいとかなんとか。
ここにはお洒落なカフェや劇場とかもなさそうだったけれども、確かにそう。好きな人と一緒にお出かけすればそれは既にデート。
私、知らずにルークとデートをしているの⁉
などと私が心の中で葛藤していると、ルークは目を細めながら口元に微笑を湛えた。
「まあ、それは冗談だが」
ルークの言葉に、私は心からガックリと崩れ落ちるような錯覚を味わった。
「護衛対象は少なければ少ないほどいい。村人に何かあったら一大事だからな」
「そ、そうよね。はは……私だって自分の身は守れそうだしね」
「ミアはオレが守る」
ルークは立ち止まると、再び真剣な眼差しで私を見つめてくる。今度はさっきとは違い、真紅の双眸に潤いが帯び愛おし気な色が映し出されていた。
「愛する女の一人を守れずして何が魔王だ。ここだけの話、オレは国とミア、どちらか選べと迫られれば迷わずミアを選ぶぞ」
そう言ってルークは私の頬に右手を置いた。ルークの優し気な双眸が私の胸を突く。
「国よりも私を選ぶだなんて、ルークって酷い人なのね?」
私はそう言いながら彼の右手を取る。
「知らなかったのか? 酷くて恐ろしいから魔王と呼ばれているのだ」
私とルークの視線が交わり、ほんの数秒間、私達は見つめ合った。
ほんの数秒間のはずなのに、私には悠久の時間が流れたように錯覚した。
ルークの真紅の双眸に吸い込まれそうになっていた。いや、既に私の心は彼の虜になっていた。あの時、初めて出会った瞬間に、私はルークのことが好きになっていたんだと思う。そうじゃなければ、この高鳴る鼓動の理由が分からなかった。
私は悪い子だ。今、この瞬間だけは世界がどうなろうとも構わないって思ってしまった。ただルークと見つめ合い、触れ合いたかった。そして、それ以上のことを望んでしまった。
ルークはゆっくりと私に唇を近づけて来る。
私は心の赴くまま、彼を受け入れようと静かに目を閉じる。
次の瞬間、禍々しい視線に全身を突き刺されたような錯覚を感じ咄嗟に振り返った。
ルークもそれに気づいた様子で、私を守るように自分の胸元に引き寄せると、視線がした方角を睨みつけた。彼の獣耳が逆立ち、ビン!と起き上がるのが見えた。
「どうやらオレの想定が甘かったみたいだ。来るぞ!」
霧の様な瘴気はたちまち深い闇の色に変化する。そこから蠢くような気配が近づいて来るのが見えた。
闇の中から、無数の瘴気を纏った獣人や四足歩行の獣が現れた。
私は浄化魔法を放とうと、両手に神聖魔力を集中させる。
「待て。浄化魔法は温存しておくんだ。何が起こるか分からない以上、こんな雑魚共に力を浪費する必要は無い」
ルークは「オレに任せておけ」と言いながら、左手を前に出す。
私の脳裏に、彼が放った強大な魔法の記憶が過る。睨んだだけで爆炎を放ち、右手を掲げただけで雷神の大槌の如き雷撃を落とす。
いくら敵を倒すためとはいえ、あまり森は破壊しないで欲しいと思った。
「ルーク、可能な限り森は壊さないでもらいたいのだけれども……?」
瘴気を浄化しても森が焦土と化しては意味がないしね。ルークにはそれだけの力があると私は知っていた。
「心配には及ばぬ。こういう場合はこの魔法で対処すればいいだけのこと」
すると、突然、周囲の気温が下がり肌寒さを覚えた。ルークの左手の周囲が凍てつき始めると、宙に無数の雪の結晶が現れた。
「ダイヤモンドダスト」
ルークが静かに呟くと、無数の雪の結晶が魔物達に襲い掛かる。
一瞬、世界そのものが凍てついたような錯覚を受けた。私達の前に現れた無数の魔物は氷の世界に閉じ込められたかのように凍てついていた。
「砕けろ」
ルークは呟き、指を鳴らした。それで勝敗は決した。魔物達は粉々に砕け散り霧散する。
まるで何事も無かったかのように黒い瘴気は消滅し、無害な白い瘴気に戻った。あれほど凄まじい魔法を放ったのに、一本の木さえ傷ついてはいなかった。足元の雑草すら無傷でそのままだった。
「凄い……ルークは色々な魔法が使えるのね?」
「オレの魔法は威力が強すぎるのでな。だから森の中みたいな手狭な場所では村人やベル達配下の兵士達もいない方が何かと都合がいいのだ。今の氷魔法も他の者を巻き込む危険性が高くて多用出来ないのが唯一の欠点だ」
魔物を一瞬で凍らせてしまう魔法を一般人が受ければ同じ運命を辿ることでしょう。
私は思わず身震いした。彼の魔法を恐れてではない。ダイヤモンドダストの魔法の影響で、周りの気温が真冬並みに低下してしまったからだ。
今度は炎の魔法で温めて欲しいな、とは口が裂けても言えなかった。
「ミア、先を急ごう。この調子では一刻も早く沼地を浄化せねば際限なく魔物が湧き始める恐れがある」
そう言ってルークは私を抱きかかえた。いつものようにお姫様抱っこだ。
たちまち私の体温は上昇する。特に顔が熱い。ルークの温もりと相まって私の体温は真夏並みに上昇してしまった。
「ミア、寒くはないか?」
「いえ、暑すぎるくらいです」
「そうか? ならこのまま沼地に向かうぞ!」
ルークは何か腑に落ちない表情を浮かべたが、それを追求することもなく走り出した。
「ルーク、沼地までどのくらい?」
「ここから数キロ先だ。まあ、オレの足なら三分とかからぬよ」
いや、流石に私を抱えてそれは無理だろうと思った。
でも、その考えが甘かったことを私はすぐに思い知らされる。
ルークの走る速さは私の常識を凌駕していた。その速さは疾風そのもの。走っているのではなく、風に乗って飛んでいるような錯覚を受けた。疾駆するというのはまさしくこのことを言うのだろう。私はあまりの速さに目を閉じて我慢するより術が無かった。