カドリは翌日には単身で馬車に乗り込み、北部のオコンネル辺境伯領へと運んでもらった。王家の早馬を貸してもらえたので、3日しかかかっていない。
(私には協力的なんだが)
ヘリック王子について、カドリは思う。
情念のまったくない人間ではない。幼い頃から同じ教師について学んできたのだが、特に愚かで怠惰ということもなかった。
「着きました。申し訳ありませんが、ここからは」
やはりヘリック王子のつけてくれた御者が遠慮がちに言う。初老の気の良い小男である。
前線にかなり近づいていた。深入りすると魔物に襲われかねない。
自分はカドリである。口の聞き方の判断も難しいだろう。
「分かりました。気を付けてお戻り下さい」
カドリは言い、立ち上がると手持ちの銀粒を御者に握らせた。
「あなたの働きに対してあまりに少ないですが」
臨時の危険な仕事に対して、ヘリック王子がこの御者にきちんと報いているとは思えなかった。
月々の決まった収入の中だけで生きているというのに、臨時のこの仕事が無償では苦しいだろう。
「滅相もない!まさかカドリ殿から、このように過分な」
恐縮して固辞しようとしてきたのを、カドリはそっと手に包みこませた。
「ご存知でしょうが、私はカドリです。金品を受領することも決まった収入もありますが、あまり役に立たないのですよ」
カドリは更に小声で御者の旅の無事を祈り、歌った。
「聖女の加護ほどの価値はありませんが、ご無事を祈念します 」
しきりに感謝恐縮して御者が去っていく。その背中に薄く黒い影が見えた。
(自分は聖女ではない。そもそも聖なるものでもない)
それでも御者に黒い影が憑いた以上、そうそう魔物に襲われることもないだろう。
カドリはいつもどおり、水色のひらひらした上下の衣装を身に纏っている。森の中ではよく目立つ色合いだろう。
スタスタと森の中の道を歩いていく。
(本当は同胞に運んでもらった方が馬車よりも早いのだがね)
魔力を消耗する上に同胞も疲れる。
(それに別途、やってもらいたいこともある)
カドリは扇を口元に当てたまま目を細めた。
聖女が戻るのなら戻るに越したことはない。今はまだ国境付近にいるのではないかと思う。
歩きやすく道がある。道があるということは、人の手が入っていたということ。
(まだ、人の領分なのだ)
思うとなんとなく気が休まる。
道はウェイドンの村へと続き、レグダの最前線にまで伸びているはずだ。
(まだ間に合うか)
常人よりも遥かに速く、カドリは歩ける。国中を回らなくてはならない身なのだ。
途中、ウェイドンの村手前で街道を逸れた。
直接、村に入ってしまうと村人や敗残兵とのしがらみで動きを制限されることとなる。まだ自由の身でやっておきたいことがあった。
(聖女フォリアの元護衛たち、無駄死にさせるにはあまりに惜しい)
カドリの記憶では20名ほどの腕利き集団だ。魔物の襲来を跳ね除けるのには重要だろう。
藪の中を進み、ウェイドンの村を見下ろせる位置に出た。
(思っていたほど兵士はいない、か)
物々しい雰囲気ながら、住民の方が多いようにカドリは感じた。
柵を頑丈に補修し直したり、堀を掘ったりしている様子だ。既に何度かは小規模な襲撃に晒されているのだろう。
まだ、踏ん張ろうという気概があることがカドリには朗報だ。
「そして、私は魔物の行動圏に入った」
カドリは口元に当てていた扇子を閉じてから、また開く。そして口元に当てて隠した。集中するときの儀式のようなものだ。
ブツブツと不満を並べて呟く。
不満を行っていると、魔物が寄ってくることもない。
(寄ってこれる大物がいるならいるで構わないが)
ウェイドンの村に強敵が向かわず、自分の方に来るのはいいことだ。自分一人で倒すまでのことである。
(その分だけ、村が安全になるということだから。一般人もたくさんいたのだから。無辜の人々が犠牲になることもない )
だが、何も襲っては来ない。やはり、まだ村の近くにいるのは小物ばかりなのだ。
「まずいな」
カドリは歩きながら呟く。走らねばならないかもしれない。
血の匂いがしてきた。いよいよレグダの最前線に近づいてきたのだろうと察する。
やがて森の中、崩れた土塁が視界に飛び込んできた。そこら中に遺体が転がっている。
レグダの最前線に辿り着いたのだ。長年、防壁に陣営を築いて魔物と戦い続けてきた拠点である。破壊されているが小屋なども点在していることに、遅れてカドリは気付いた。
「遅かった、か」
カドリは落胆して呟く。
身を屈めて、最寄りの死体を検分するに、白い軽鎧に白銀の盾、折れてはいるが立派な剣なども所持している。
さらに盾の表には教会をあらわす白馬の紋様が刻まれていた。聖女フォリアの元護衛、その誰かだろうと推察出来る。
「主力が退却していた以上、苦しい戦況だったことは分かってはいた」
ウェイドンの村で見た兵士たちはそのままレグダの最前線から退却していた兵士たちだろう。
「私では弔ってやることも出来ない」
ただの雨乞いなのだ。せいぜい目を瞑って黙祷するぐらいしか出来ない。
墓を作ってやろうにも今度はウェイドンの村まで戻って魔物の襲撃に備える必要があった。
それでも、死者のため黙祷を捧げていると、甲高い音を耳が拾った。金属の音、剣か槍か。武器のものとしか思えない。
カドリは音のした方へ走る。
「くっ!ぐぅっ!」
白い軽鎧を身に纏った兵士が、槍で岩の身体をした兵士と打ち合っている。
土属性の魔物である『岩兵』だ。
身体が固く、胴体中央にある核を貫かない限り闘い続ける難敵である。風や水属性の魔術には身体の組成を維持出来ず、滅法弱いのだが。
物理攻撃しか出来ない兵士たちでは苦しいだろう。
なお、武具は個体で違うのだが、今いる個体は岩でできた剣を振るっている。
(しかも、負傷しているようだ)
色白で端正な顔立ちの若い兵士だ。打ち合う度に顔を苦しげに歪めている。負傷していてなお、分の悪い相手と戦えているのだから、武芸の腕前はかなりのものと思えた。
しかし、槍で剣撃を受け止めようとして、若い兵士が弾き飛ばされてしまう。
「くぅっ」
木に叩きつけられて、若い兵士が苦悶の声を上げた。
「君っ」
カドリは声を発して、岩の兵士に駆け寄り身を寄せた。
「な、なぜ、一般人が?危険ですっ!退がってくださいっ!」
鎧も来ていない自分を一般人だと思ったらしい。身体も酷く痛むだろうに、カドリの方を気遣ってくれた。
「いい人間だな、君は」
告げて、カドリはいつも口元に当てている鉄扇で岩の兵士を軽く叩く。
ゴゥンッと太い破裂音とともに、岩の兵士が粉々に砕けて飛んだ。
「なっ」
槍を杖代わりの支えにして、なんとか立ち上がろうとしていた若い兵士が絶句する。
「私はカドリ。雨乞いだ。生存者がいたら、連れて帰ろうと思ってね。君は?」
カドリは鉄扇を口元に当てた。薄く笑みを浮かべる。
「私はニコルです。この戦線にくるまでは、聖女フォリア様の」
言いかけてニコルが口をつぐむ。細身に金髪碧眼の若い兵士だ。華奢だが、負傷していなければかなりの手練れだろう。
「もう、聖女フォリア様の護衛団は私しか生き残っていません。途中から隠れて退却しようとしたのですが。つい先程、団長も」
仲間を失うのは誰であれ、沈痛なことだ。
本当は弔ってやりたいし、墓も作りたい。カドリも薄く笑みを浮かべたまま、内心でその死を悼む。
「分かった。いろいろ、無念もあると思うが、1つ頼みがある」
今は国難の時だ。ニコルにとって不快かもしれなくとも言うべきを言わなくてはならない。
「この戦いの間だけでいい。この地区の人々を守るため、私に力を貸してほしい」
たった一人でもいるのといないのとでは、まるで違う。
カドリは思い、ニコルの生存を喜びつつ告げるのであった。
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