ただの好奇心だった。
やっちゃだめなことだけど、やりたくなってしまった。
これをやったらどうなるんだろう、どんな気分になるんだろうか。
これをやったら俺は少しでも幸せになれるのだろうか。
右手が震える。
それに力を込めて、ゆっくり引っ張った。
「臍を噛む」
地獄のような毎日が1ヶ月程経った。学校では散々殴られて、寮では死ぬほど泣いて、部活では自分を偽った。
殴られて、泣いて、偽って、
殴られて、泣いて、偽って。
これの繰り返しだった。
殴られて、悲しみに満ちて泣くのは辛かった。
けど、それよりも、本当の自分を偽ることが1番辛い。
何よりも辛い。
でも部活の仲間は俺の唯一の味方だから、迷惑なんてかけたくないから、だから平気な振りして、本当は心の奥底でひたすら泣いていた。
ある日。
午前の授業中、俺はいつも通り授業を受けていた。
うちのクラスって学年一荒れてるから、授業中にぎゃーぎゃー騒いでいるか、寝ている奴が殆どだった。
まぁ俺も聞いてるふりして実はそんなに聞いてないんだけど。
本当は俺も周りと同じようにうつ伏せで寝たかった。
でも机の、悪口の傷が顔や服に擦れて痛いから我慢せざるを得なかった。
俺は昔から髪をいじる癖がある。
人よりほんの少し長い髪の毛が視界に入ってついついいじってしまう。
授業中もよくいじって、先生に注意されることもあった。
殆どの授業、これで暇を潰してる。
髪の毛をくるくる巻いてみたり、摘んだり、弱い力で軽く引っ張ったりしてみた。
プチッ。
あ、1本抜けた。
抜くつもりなんてなかったのに。
抜けた毛を眺めてみた。
ちゃんと髪のグラデーションがかかっていて、綺麗だった。
………。
もう1本、自分で抜いてみたい。
冒頭に戻る。
本当にただの好奇心だった。
抜いてしまったらどうなるんだろう。
抜くことで少しでも幸せになれるのならそれでいい。
もみあげの毛を1本摘んで、力を込めてゆっくり引っ張った。
…プチ。
抜けた。
抜いてしまった。
抜けた毛をまた眺める。
これにもちゃんと綺麗なグラデーションがかかっていた。
皮膚から抜ける瞬間、耳に響いたプツリとテレビを切るような音。
抜いた後の余韻がまだ少しある。
授業中にもかかわらず俺はその余韻に長く浸っていた。
髪を抜いたらその分減って、いつか禿げてしまうことなんて、そんなこと、もちろん分かっていた。
分かっていたのに、抜いてしまった。
まともに授業も聞かずに、髪を抜くことだけに集中した。
髪を抜く行為は、違法薬物を摂取するのと同じようなものだと思う。
薬物を摂取して、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ気持ちよくなれて、でも後から体調不良になったり、最悪死に至ることもある。
髪を抜くのも同じ、髪を抜く瞬間は本当に気持ちがいいけれど、後から「どうして抜いてしまったんだろう」と自己嫌悪に陥る。
死にたいくらい後悔する。
でも、それでもやめられない。
髪を抜く瞬間が本当に好きだから。
だから俺は、
───薬物に手を出してしまったのと同じようなもんだ。
来月からバレー部の春高予選が始まる。
だから部活内はいつもよりピリピリとしていた。
コートでは白布や隼人の他、春高予選のスタメンが集まって練習していた。
俺は、皆が練習しているあのコートにすら立てないのか。
そう思うと悔しくて悔しくて仕方がなかった。
でもいくら泣いてぐずったってって現状が変わるはずないから、1人でサーブ練習を続けた。
自分で言うのもなんだけど、俺のサーブはすごく強いと思う。
若利のサーブには流石に勝てないけど、それと同じくらいに強い。
俺は、”サーブ”という強い武器を持っている。
そうだ、ワンチャンピンサーとかなれそう。
なれるかも。
ピンサーでもいいから、少しでもコートに立ちたい。
部活終わり、俺は久々に残って練習を続けた。
周りを見てみると、帰らずに自主練に参加している人がほとんどだった。皆熱心だなぁと感心した。
その後も黙々と練習していると、1人の後輩がこちらに寄ってきた。
(五色)
「瀬見さん!」
(瀬見)
「ん、どうした工?」
(五色)
「あの、突き指しちゃって…」
「テーピングしてもらってもいいですか?」
(瀬見)
「あぁ、もちろん」
(五色)
「ありがとうございます!!」
バッ、と深く頭を下げたのは今年入部した1年の五色工だった。
工は1年で唯一のスタメンで、実力もある逸材。
2年とは違って可愛げもある。
俺達は体育館の隅に移動して工の手を借り、テーピングを慣れた手つきで巻いてやる。
工がそれを目を光らせて見ていた。
(五色)
「瀬見さん巻くの上手いですね!」
(瀬見)
「まぁな〜。………」
最近、あんまりこうして頼られることがなくなった。
今まではトスを上げるのを頼まれたりとか、スパイクの練習に付き合ってとか、そんなことを毎日のように言われた。
俺はそれが嬉しかった。
でも、白布達2年が入部してからそれはなくなった。
俺はテーピングや選手の手当て、買い出し、洗濯、スポドリ作り。
雑用のような仕事を任された。
それで皆が喜ぶのなら俺は嬉しい。
嬉しいんだけど…
なんか、…ちがう。
俺はバレーで活躍したい。
なのに雑用ばっかり任されてる、…俺はバレーで活躍したい。
コートに立って、少しでも皆の役に立ちたい。
バレーで、トスをあげて、みんなに、すごいって、いわれたい。
コートに、………立ちたい。
気付けば自分の手が涙で濡れていた。
(五色)
「瀬見さん?あの…」
(瀬見)
「…え、あっ、ごめ」
(五色)
「は、ハンカチあるんでこれで拭いてください…!」
(瀬見)
「………わり、」
借りたハンカチで涙を拭く。
(五色)
「大丈夫、ですか?」
(瀬見)
「………うん、」
(五色)
「何か…あったんですか、?」
(瀬見)
「………ううん、なんでも」
まただ、俺の癖。
すぐなんでもないって言う。
本当は言いたいこと、山ほどあるのに。
(五色)
「俺でよければ、話聞きますよ」
工が心配そうな顔で見つめてくる。
後輩に、迷惑かけてる…
じわじわと罪悪感が込み上げてくる。
(瀬見)
「…め、わくかけて、………ごめん」
しゃくりあげながら咄嗟にでた言葉がそれだった。
(五色)
「迷惑、?」
(瀬見)
「ごめん、っごめんな…」
「ごめん」以外の言葉が出てこなくて、ひたすら謝った。
(五色)
あの、迷惑じゃないですよ」
(瀬見)
「………え、?」
(五色)
「迷惑だなんて思ってないです」
「だから、話してください」
(瀬見)
「………ほんとに?」
(五色)
「はい」
(瀬見)
「迷惑じゃない、?」
もちろん、と真面目な顔で言われる。
(瀬見)
「………おれ、っまた」
「また、っコートに立ちたい………!」
「ピンサーでもいいからっ、スタメンじゃなくてもいいから、っ」
「だから、………っ」
「……手伝って、くれないか、?」
震える声で伝えた。
俯いた顔を何とか上げると、工が優しく、微笑んでいた。
了承してくれたようだ。
それを目の当たりにした時、涙腺が崩壊してまた泣いた。
工は焦ってオロオロしている。
周りの人も何事かと集まってきた。
あぁ、ほんと俺、
皆に、迷惑かけてるなぁ…
その日から工にサーブを教えてもらった。
後輩に教えてもらうのは初めてだったが、練習していく内にサーブが体に身に付いていった。
1週間位経って、コートに立てるくらいに俺は成長していた。
サービスゾーンに立ち、手でボールをバウンドさせる。
俺が、コートに立っている…
この久々の景色に俺は感動した。
ありがとう工。
お前のおかげで、俺はまたコートに立てた。
8秒間のわずかな時間、工に感謝とお礼を伝えながら、ジャンプサーブを思い切り打った。
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