空色夫婦が大栄で契約してから、順調に二か月余りが過ぎた。
彼らは俺が気に入ってくれたから、マイホームの契約をしてくれた。ありがたいけれども心中は複雑や。楽しいまま別れたいというのは、俺の勝手だけれども。
どこにも交わらずに生活できればよかったと思う。しかし一度交わってしまうとそうはいかない。空色が具現化して俺の近くに住んでいると思うだけで、胸が苦しくなる。知ってしまうと欲が出る。
空色との打ち合わせは、彼女が丁寧に美しい笑顔で俺に挨拶してくれる。
旦那との話も楽しい。彼もかなりの音楽の知識が豊富なため、つい音楽の話で盛り上がってしまうし、二人が来ると楽しかった。
この二か月余りは頻繁な打ち合わせがあるため、彼ら夫婦と顔を合わせて会話をし、とても充実した時間を過ごした。何度も何度も会ったせいで、空色への気持ちが引き返せない所まできていた。
空色に会えば嬉しくなる。前日は楽しみで心が浮き立つ感覚が、自分でもわかる。
平静を装ってはいるけれど、いつ露呈するかわからないこの感情を抑え込むのに必死だった。
気持ちを打ち明けて「俺が白斗や。お前のことは、十年もファンレターを書き続けてくれた吉井律って知ってるぞ」とか言われても、向こうは絶対に気持ち悪いと思うだろう。俺なら確実にそう思う。
俺が白斗だと正体を明かすわけにはいかないから、この気持ちは宝物みたいに大事に心の奥底へしまっておこう。絶対に、彼女には言わない。
言っても彼女を困らせるだけ。思いが通じても通じなくても、どっちに転んでも辛い。それに空色と旦那との仲を引き裂いたりしたくない。
俺が想いを遂げようとすると、空色を不幸にするだけ。誰も幸せになんかなれない。
秘密の恋は俺の心の中だけでひっそりと咲かせるから。
最後の担当物件の完成を見届けたら、とりあえず国内を旅して海外へ移住すつもりやし。
そんな彼らのマイホームの内容が決まり、この二か月ほどの時間は彼らと音楽のことを語り合い、楽しい時間を共有した。独り身の俺にはたまらなく幸せな時間だった。
今日は台所のパターンの色を決める打ち合わせをすることになっている。朝から大栄で空色に会えると思うだけで嬉しいとか思う俺は、本気の重症。自分でも思う。相当ヤバイ男だと。結婚している女性に片思いするなんて不毛すぎる。
彼ら夫婦が朝から大栄に訪れ、打ち合わせが終わったのが昼前。音楽の話で盛り上がってしまうから、他の営業からやんわりと注意を受けてお開きになるパターンが多い。
「新藤さん、今度休みがあえば、僕のライブを見に来て下さいよ」
帰り際、旦那が俺に言ってきた。
「はい。誘っていただければ、どこでも伺います」
「でも、新藤さんは音のチェックが厳しそうですね。お手柔らかにお願いしますよ」
「またまた、ご謙遜を。光貴さんからのお誘いを楽しみにしております。早めにお伝え頂ければ、休みを取っておきます」
「わかりました。じゃあ、ライブが決まったら誘いますね。これでも一応人気なもので、ちょくちょくオファーがくるんですよ」
旦那が嬉しそうに鼻に皺を作って笑った。裏表のなくわかりやすい、爽やかな男。
空色とたまに言い合っていても、すぐに元通りの雰囲気になって最後は仲良く二人で自宅へ帰っていく。今日は梅田に大きなショールームがあるから、壁紙を見に行くと言っていた。空色夫婦の仲がもっと険悪やったらいいのにと、何度思ったか。俺みたいな根暗男は、逆立ちしても旦那には敵わない。
二人が寄り添って帰るのを見送る時が、いちばん堪える瞬間だった。
空色の旦那が羨ましいと心から思う。裏も表も無くて、爽やかな笑顔が似合う空色が選んだ男。できるならあの男になりたい。
彼が本当に羨ましかった。
素直で爽やかで真っ白い男は、空色によく似合っていたから。
梅田のショールームに行った後、それからふたりはどうするのか。
大開のマンションに帰って、彼らはどんな時間を過ごすのか――
知ってしまったから想像がリアルになる。
空色の艶やかで美しい黒髪に、唯一触れることを許された男。
どんな風に彼女の愛らしい声を聞き、あの白い肌に触れるのか――勝手な想像で激しい嫉妬に見舞われる、下世話な想像しかできない俺を誰か止めてくれ。
こんな気持ち、知りたくなかった。
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