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―どうしてママを置いて行ってしまったの?―
喉の奥で何か重いものが詰まるのを感じた、この子は全てを知っているのだ、誰から聞いたのだろう・・・
いや・・・この狭い町で生きてれば噂が自然と耳に入るのは当然かもしれない、真由美や陽子初め、この子の周りには自分達の過去を知りつくしている人間が多くいる
この小さな子が力と沙羅の過去を、まるで自分の物語のように理解しているのも納得がいく
力は一瞬目を閉じて・・・深く息を吸った
今日一日一緒にいて感じていた、この子には純粋で鋭い心がある・・・嘘やごまかしは通用しないと沙羅の言った言葉を思い出した
力は覚悟を決めた、自分の娘には全てを正直に話そうと
「言えることは・・・あの頃の僕は幼くて、弱くて・・・どうしようもないバカだったってことなんだ・・・」
力の声は低く、どこか震えていた・・・音々は黙って彼を見つめて続きを待っていた、その瞳には非難ではなく、ただ知りたいと言う純粋な光が宿っていた
力は肩ひじをついている体を音々の方にさらに向け、そっとその小さな手を握った、すると音々は驚くほどの力で握り返して来た、その態度に勇気づけられた
「歌が好きだった・・・中学、高校、大学とずっと歌っていた・・・ある日、僕の作った歌を海外のレコード会社に送ったんだ、そしたら・・・デモテープを作りたいから韓国へ来いと飛行機のチケットが送られてきた・・・僕はデモテープを作ったら帰るつもりだった、もちろん君のママと結婚するつもりだったから」
力はそこで言葉を切り、遠くを見るような目をした
あの頃の記憶が、まるで古いフィルムのようにセピア色に頭の中で流れ始めた・・・突然訪れた嵐のような変化、力は音々より少し遠くを見て、記憶の断片を拾い集めるように続けた
「でも・・・運の悪いことにデモテープを作るだけだと思っていたら、すでにグループの名前が出来上がっていて・・・その場で僕の為に集められたメンバーを紹介された。その頃にはアメリカのラジオ局のあちこちで僕の曲が流れていたんだ・・・そして・・・僕は突然台風に巻き込まれたかのように・・・あっという間に全米ツアーに出たんだ・・・」
「ママも一緒に連れて行けばよかったのに」
音々が目をパチパチさせて言った、口から出た子供らしいストレートさに力は思わずフッと笑った
その笑顔にはどこか自嘲と後悔が混じっていた、音々の言葉はあまりにも単純で、けれどあまりにも正しかった
「本当に・・・本当に・・・君の言う通りだよ、そうすればよかったんだ・・・少なくとも・・・ママには連絡を入れるべきだった」
後悔は先に立たない、力自信がいつも自分に問うていた事だ、なぜあの時、沙羅を連れて行かなかったのか、なぜせめて連絡を入れなかったのか
音々は静かにじっと力を見つめていた、その瞳はまるで大人のように深い理解を示していたが、口から出た言葉は子供らしいストレートさで力を突き刺した
「でも・・・あの頃の僕は若くて・・・とても幼くて・・・何一つ自分で物事を決められなくて・・・有名になるという事をどう扱えばいいか分からなかったんだ」
「すでにツアーには2000人のスタッフが働いていて、さらにはマネージャーや僕達を売り出すためのプロジェクトチーム・・・金も人も、それはもの凄い数字が動いていたんだ・・・メンバーも全てを捨ててリードボーカルの僕に運命を託してくれていた・・・だから・・・ママには本当に申し訳なかったけど結婚式があるから日本に帰りたいなんて・・・とてもじゃないけど言える状況じゃなかったんだ」
あの頃の自分は、ただ目まぐるしく変わる周りの環境に流されるまま、頼りない小舟の様だった、音々は力の話を聞き、じっと何か考えている様だった、この子はこんな小さな体でどれだけのことを感じ、考えているのだろう
「僕がもし何かしでかしたら・・・事件とかを起こしたらメンバーやその他・・・会社の大勢の人が路頭に迷うことになるんだ・・・その人達には家族がいて、多くの人の人生が僕の肩に乗っているんだといつも自覚させられた、それが時々・・・強迫観念の様に襲ってくるんだ、だから歌を作った・・・僕に求められていることはそれだったから・・・作って歌って、作って歌って・・・でも心の底ではずっと自分の道を見つけられなかった、ずっと帰りたかった!次のコンサートが終わったら・・・これが終わったらって・・・八年かかっちゃった・・・だってママはとっくにこんな僕に愛想を尽かして誰かと結婚していると思ってたから・・・」
最後の声は、まるで自分自身に言い聞かせるように弱々しかった・・・音々はしばらく黙って彼を見つめていたが突然、鋭い質問を投げかけた
「音々の事を知っていたら、戻って来た?」
二人はじっと見つめ合った、力は迷わず答えた
「もちろんだよ!」
その言葉には力の全ての想いが込められていた、音々は小さく頷きキラキラした瞳で力に言った
「いいわ・・・あなたを許してあげる」
力は目を丸くした、こんな小さな子が自分の話した境遇を理解し、こんなにも大きな心で寄り添ってくれるなんて・・・力は感動に言葉を震わせた
「でも・・・僕は・・・八年間も・・・」
「音々の事知らなかったんだし、大勢の人のために頑張ってたんでしょ?だったらしょうがないじゃない」
音々はニコッと笑った、その言葉はまるで光のように力を包んだ、彼女の純粋さに力の目にはじわっと涙が浮かんできた
「ほら、仲直りのハグよ!」
グスッ・・・「ハハッ・・・うん・・・」
力は思わず鼻を啜って音々を抱きしめた、音々はその小さな体とは思われないのほどの力でギュッと力の首にしがみつき、ぴったり体を寄せて来た
言葉に表せられない感動だった
大切なものがここにある・・・
力は沙羅が言っていた「あの子は奇跡だ」という言葉を今初めて自覚した
この子にこうされると空を飛んでいるような気分になる、どんな苦しみも癒される、全てを溶かすような温かさだった 力は至福に酔いしれ、ぎゅっと目を閉じ・・・涙を堪えた
暫くして、少し音々が顔を離して言った
「音々って・・・隣のクラスのみっちゃんみたいに『できちゃった子』?」
「・・・違うよ・・・」
音々が何か言う前に答えた、これだけはハッキリ言える、目を大きくして音々が首を傾げる
「ママと僕はいつも子供の話をしてた・・・二人で結婚して、素敵な家を買って、家族を作るつもりだった、ただ・・・本当にさっき話したみたいに僕が韓国に行って色々変わったんだ・・・僕が悪いんだ」
「みんなに、あなたがパパだって言っていい?」
力の心は震えた、喉の奥で詰まっていたものが溢れそうになり、彼はただ頷いて言った
「いいよ」
力はこの小さな子が、自分の人生に新しい光を灯してくれたことを感じていた、これからどんな道を歩むにしても音々と沙羅と共にいようと思った、しかし・・・じっと音々の顔を見る、思いは韓国のパパラッチや私生活を執拗に追いかけてくる過激派ファングループの『サセン』にむかった・・・
荒らされた部屋・・・盗まれた私物・・・どこへ行っても彼らのイヤな気配を感じる・・・誰かがスマホを掲げると自分を撮られているのではないかと怯える日々・・・芸能人ゴシップサイトやワイドショーに音々と沙羅の顔が載るなんて嫌だ、二人の名前すら報道陣に知られたくない、詮索されたら音々が危険に晒される、この町はパパラッチや彼女達が来ない場所だと思うが確信はない
それでも・・・自分の娘の存在をこれからもひた隠しにして生きていくのは違うような気がした
「言っていいよ、でも聞いて・・・プリンセス、君が僕の娘だと世間がわかったら・・・少し今までと違うかもしれない・・・」
二人はじっと見つめ合った・・・なんてことだ父親として初めて我が子に教えることがコレになるなんて・・・
「君の写真や動画を撮りたがる人達がいる・・・または友達を通じて近づこうとするかもしれない、誰かが君を困らせたり、後を着けてきたりしたら、すぐに僕に電話して、僕がすぐ何とかするから」
コクコクと音々が頷く
「それはあなたが有名人だから?」
「そうだよ、君のママも・・・嫌な思いをするかもしれない、でもどんな些細な事でも僕に言って、僕が絶対君もママも守るから!」
「ツアーに連れて行ってくれる?」
フフッと力は笑った
「う~ん・・・それはどうかな?学校もあるしスイミングもあるだろ?ママに聞かないと」
力が音々のそっと髪を撫でて顔にかかった髪を耳にかける・・・音々は大人しく力に触れられるがままに身をあずけている、絶対的な自分への信頼がそこにあった
この子の事は何でも相談して沙羅の気持ちを尊重すべきだと素直に思った
「君はママと僕を両親に持つ特別な女の子だ・・・だからこそ、僕も君もママの気持ちを一番に考えないといけない、これからもママの言う事を聞こうね」
「わかった」
それから音々からさらなる質問を向けられた
「ママのこと、愛してる?」
力は胸の奥で何かが弾けるのを感じた、今でも色あせない、あんな状態でも自分の娘を生んで育ててくれたかけがえのない女性・・・彼女を心から尊敬する・・・
力はニッコリ笑って音々に言った
「八年前よりも、もっと愛してる」
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