テラーノベル
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「ふぅ……、間に合った。 まったく、朝から参ったな」
S小学校の職員室に慌てて入ってきた男性教師のTは開口一番、そう言いながら自分の席の椅子を引いた。
「おはようございます。どうしたんですか?溜め息なんかついて」
|斜《はす》向かいから、女性教師のIが声を掛ける。
「ああ、I先生、おはようございます。実は今朝、車で学校に向かっている途中、いつも通ってる道が事故で通行止めになっていたので遠回りしてきたんです。だから時間掛かっちゃって」
「大変でしたね。事故があったのは交通量が多い場所なんですか?」
「いえ、交通量も少なくてほとんど人が通らない十字路なんですが、ここは何故か昔から事故が多発しているんですよ」
「油断してスピードを出しすぎちゃうんですかね」
「そうかもしれませんが、この十字路には妙な噂があるんです」
「噂?」
Iは目をしばたかせた。
「車のウインカーをつけずに十字路を曲がると、後方にお爺さんが現れて『目ン玉付いてんのかぁ~っ!!』って叫びながら、裁縫用の針と糸を持って追いかけてくるんだとか。追い付かれるとウインカーをつけなかった方の|瞼《まぶた》をあっという間に縫われてしまって、一生|片目を瞑った《ウインク》状態で過ごさないといけないそうなんですよ……!」
+
「で、一生|片目を瞑った《ウインク》状態で過ごさなきゃいけないって訳」
職員室に落とし物を届けに行った時にT先生がI先生に話していた話を聞いたAが、教卓の上にどっかりと座り、自身の持ちネタのようにさっそく披露している。
「ウインカーって、右とか左に曲がる時につけるランプだよね」
僕は親が運転している姿を思い出しながらAに問う。
落とし物を拾ったのは僕で、それを無理やり奪い取って職員室に持っていったのはAだったが、いつもの事なので特に気にしてはいなかった。
「右折か左折をする3秒前30メートル手前でウインカーを出す事が義務付けられているねでも曲がる直前でウインカーを出す車も多いんだ。その理由が『面倒臭い』、『うっかりしていた』の他に『どっちに曲がるかを他の車に知られたら恥ずかしい』って理由もあるみたいだよ。その理屈なら駅で切符も買えないよね?」
クラスで一番成績がいいBは、いつものように隙あらばと大人顔負けな知識をひけらかしている。
「ウインカー出さない車って多いよね。私も自転車で走ってる時、向かい側から来る車がどっちに曲がるか分からないから、車が曲がるまで待ってるよ」
いつも冷静なC子は、都市伝説よりも交通ルールの方に着目しているらしい。
「瞼を縫われるとか怖すぎだって……」
線が細く、4年生になった今でも女子に間違われるDは小刻みに震えていた。
「大体さ、ウインカーを出さない運転者をたくさんる見かけるのに、今まで町内で片目を縫われた人を見掛けた事ってある?ないよね。 つまりウインカーおじいさんはただの噂話なんだよ」
僕らを論破するために早口で|捲《まく》し立てるBに冷めきった視線を浴びせていると、チャイムが鳴った。
全員が席に着き、しばらくして担任のY先生が教室の前方の扉を開けて入ってきたが、どうも顔色が悪い。
3日前、金曜日の帰りの会で見た時は特に変わった様子はなかったのに。
「先生、大丈夫ですか?何だか具合が悪そうですけど……」
C子が心配そうな表情を浮かべながら聞いた。
「ああ、一昨日からどうも調子が悪くてな。病院に行こうにも土日を挟んでたからまだ行けてなくて。でも熱もないし、大した事はないだろう」
+
翌日からY先生は学校に来なくなった。
|来られなくなった《・・・・・・・・》という方が正しい。
保護者達の間に流れてきた話では、Y先生は酷いノイローゼ状態で復帰の|目処《めど》は付いていないらしい。
授業はしばらく教頭先生が担当していたが、半月ほどが経ってから新しい先生が赴任してきた。
僕達は最初こそ戸惑いはあったものの、時が経つにつれてY先生の存在も記憶から薄れていった。
Y先生の訃報を耳にしたのはそんな頃だった。
Y先生は「例の十字路をウインカーを出さずに曲がったらウインカーおじいさんに追い掛けられ、それから毎晩悪夢を見るようになった」と知人に相談していたらしい。
+
僕たちがY先生のお通夜に参列した数週間後。
「ねぇ、前にAが話してたウインカーおじいさんの話って覚えてる?」
給食を終えて昼休みになり、運動場にドッジボールをしに行こうとしていた僕達にが話し掛けてきた。
「覚えてるけど……。それがどうかしたの?」
最後に見た、Y先生のやつれた表情が嫌でも脳裏に浮かんでくる。
「ドッジボールをしに行こうとしてるのに悪いんだけど……。午後の授業の休み時間でもいいから聞いてもらいたい事があるんだ」
いつもより腰が低いBの態度に気味の悪さを感じながらも、「じゃあ今聞くよ」と応え、他のクラスメイト達にドッジボールの不参加の|旨《むね》を伝えた。
AとC子とDも教室に残り、自身の席に座るBの近くに椅子を持ち寄って腰掛ける。
「何なんだよ。深刻な顔して」
Aがやや苛立ったような表情を浮かべながらBの顔を覗き込む。
「うん。実は、僕のお父さんの話なんだけど……」
Bのお父さんの話?一体何だろう?
「僕のお父さん、先週の夜から具合が悪くてさ。日を追うごとにやつれていって、とうとう3日前から会社にも行けなくなっちゃって……」
「それは大変だね……。お父さん、病院には行ったの?」
C子が途中、会話が途切れた時にBに聞いた。「病院で検査したけど、特に異常はないって……でも」
「『でも』?どうしたの?」
Dが、腕に浮かぶ鳥肌をさすりながら恐る恐るAに訊ねる。
Bが更に声のトーンを落とし、語り始めた。
+
昨日の夜、夜中に喉の乾きを覚えたBは、自室がある2階から階下にあるキッチンに向かった。
冷蔵室から取り出したペットボトルの飲料水をキャップを空けてガラスのコップに注いでいると、リビングから灯りがもれている事に気が付いた。
扉についているガラス越しに中を覗くと、ソファーでうなだれるお父さんの背中をさすりながら、心配そうな表情を浮かべるBのお母さんの姿があった。
やっと落ち着いたらしいBのお父さんは、口を開いた。
「先週、例の十字路を通った時にウインカーをつけるのを忘れて左折した瞬間、知らないお爺さんがものすごい形相で『目ン玉付いてンのかぁ~っ!!』って叫びながら追いかけてきたんだ。その時は必死で振り切って家に帰ってきたけど……。でもそれから毎晩、夢にウインカーお爺さんが出てくるようになったんだ。しかも、日を追うごとに夢の中のお爺さんとの距離が近付いてきてるんだよ……!最初は気付かなかったけど、お爺さんは裁縫に使う針と糸みたいな物を持ってた……!追い付かれたらきっと、俺は噂通り瞼を縫われてしまうんだ…!ウインカーをつけ忘れたのは本当に反省してるから……、どうか助けてくれ……!」
+
昨日見た出来事を話し終えたBの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「お父さんはウインカーおじいさんに遭遇してしまったんだ……。どうすれお父さんを助けられると思う?」
いつもは上から目線のBが、こんなにも弱々しい姿を見せるのは初めてだった。
「なぁ、お前の叔父さんって都市伝説とかに詳しいんだろ?何か解決できる方法を知ってるんじゃないか?」
Aが僕の方を向いて言った。
「……解決できるかどうかは分からないけど、相談してみるよ」
++
「と、いう訳なんだ」
僕は、僕の母親の弟である叔父さんに、Bから聞いた話を伝えた。
「なるほど、『ウインカーおじいさん』ねぇ……」
叔父さんは顎に右手の親指と人差し指と添え、何やら考えているようだ。
叔父さんはホラー小説家志望、実家で引きこもって親の年金で暮らしている|寄生虫《パラサイト》だ。
叔父さんは視線をしばらく宙に漂わせた後、それを僕の顔に定めた。
「都市伝説に出てくる人物や化け物って『理由』や『因縁』があって生きてる人間を襲う場合が多いんだよ。口裂け女だって、『容姿が優れていた事を実の姉達に妬まれてハサミで口を切り裂かれた』とか、『整形に失敗して|出会《でくわ》した』とか諸説はあるけど、醜くなった事に悲観して人を脅すようなったのはおおむね間違ってはいないはずだ。ウインカーおじいさんも何か理由があってその十字路に囚われているのかもしれない。今夜、Bのお父さんに会えるか?」
+
その日の夜。
「叔父さん、免許持ってたんだね」
僕と叔父さんとBとBのお父さんは、十字路に向かう為、叔父さんが運転する車の中にいた。(車はAのお父さんの物だが)
「ああ、身分証明書になるから10年前に取っておいたよ」
助手席にBのお父さん、後部座席に僕とBが座っていて、叔父さんが先ほど渡してくれたPC画面上のMapで例の十字路の場所を確認していた。
「十字路の近くには小学校があるんだね。あとは民家とかアパートも」
僕達がそう言うと、「もうすぐ十字路に差し掛かりますよ。B君のお父さんを乗せているこの車なら、ウィンカーお爺さんに遭遇する可能性は高いはずです。ほら、例の十字路も、前方に見えてきました」と言いながら、ちらりと前方のミラーに視線を向けた。
「本当に助けてもらえるんですよね?俺の瞼、縫われませんよね……!?」
「小説のネタに使いたいだけだから責任は取れんわ。(大丈夫です!僕に任せてください!)」
「叔父さん、心の声の方が出てるよ……」
僕が突っ込んだその時。
「目ン玉付いてんのかぁ~!!!?」
叔父さんが運転する車が十字路に差し掛かった時、20メートルほど後ろからウインカーお爺さんが現れ、ものすごいスピードで追いかけてきた。
「目ン玉付いてんのかぁ~!?」
「ひいいっ!!」
怯えるBのお父さんとBの悲鳴が車内に共鳴する。
「叔父さん!この後どうするの!?」
「考えてなかった!」
「先の事を考えてないとか、小説家目指してる人の台詞とは思えない!」
「俺は登場人物には自由に行動させるタイプだからな!とりあえず大通りに出よう!」
「させるかぁっ!!」
後方のウインカーおじいさんが両足を曲げ、勢いよくカエルそっくりな動きでジャンプすると、車との距離が一気に縮まった。
次の瞬間、フロントガラスがウインカーおじいさんの体で視界が塞がれた。
「目ン玉付いてンのかぁ~っ!!!」
フロントガラスに逆さまにへばり付くウインカーおじいさんの手には、手芸用の針と糸があった。
「ウインカーを付けなかったのはお前だなぁ~!!?」
ガラス越しにウインカーおじいさんと対面したBのお父さんは助手席で失神していた。
僕は隣に座るBの方を確認したが、目の焦点が合っていない。
どうやら失禁したらしい。
ウインカーおじいさんが助手席側の窓ガラスを破り、針を持った右手をBのお父さんの顔に近付けた。
次の瞬間、叔父さんはハンドルを思い切り右に切り、ウインカーおじいさんは勢いよく吹き飛ばされ、ブロック塀に背中から激突した。
「ぐわぁっ!!」
ウインカーおじいさんは吹き飛ばされた際に、割れたフロントガラスで手首を切り右手から大量の血を流していた。
「くっ……!針が使えない……!これでは瞼を縫えない……!」
叔父さんに続き、車から降りる僕。
「命が掛かってるっていうのに、先の事を考えてなかった訳がないだろ」
叔父さんは呆れ顔でウインカーおじいさんを見下ろす。
「ではワシがフロントガラスを割って手首を突っ込む事までを予測していたのか?」
「『この後の事は何も考えていない』と思わせる為に、俺たちは事前に打ち合わせしていた台詞をわざとあんたに聞こえるように言ったのさ!読者を騙す為の手法の1つ、|ミスリード《・・・・・》、だよ。B君のお父さんを助手席に乗せたのも意図的に、だ。日本は左側走行だから、住宅街の壁に|阻《はば》まれている|助手席側《左側》から襲うのは難しい。だったら|前《・》から襲うのが一番が手っ取り早いんだろうなって考えたんだよ」
「くうぅ……、これくらいの衝撃でワシやられる訳がなかろう……」
右手首を押さえながらウインカーおじいさんは立ち上がろうとする。
「無理するなよ、じいさん。時速60kmで走行していた車の後方から時速80kmで走ってきて距離が10mまで縮まった瞬間に直径20mの放物線を描いてフロントガラスに飛び乗りガラスを直径15cmほど突き破って突っ込んだ右手首に負った|重力加速度定数《G》を計算すると……、……それはもう、計り知れないダメージを負う」
叔父さんは完全なる文系なので計算が苦手だ。
「諦めろよ、じいさん。大人しく成仏するんだな。抵抗するなら…」
叔父さんが目配せをしてきたので僕はポケットから数珠を取り出す。
僕達一族には霊能力が備わっているのだ。
「待ってくれ。ワシにはまだやり残した事が……」
ニャア。 僕が呪文を唱え終わる前に、ブロック塀の前に倒れているウインカーおじいさんに覆い被さった|影《・》は、そう鳴いた。
次の瞬間、肩が急に重くなった。 まるでその|霊魂《・・》が、ウィンカーお爺さんにこれ以上の攻撃を与えさせないようにしているみたいだ。
「この|猫の霊《・・・》、このじいさんを守ろうとしているのか……?」
叔父さんも僕と同じく体が重くなっているようだ。
僕達は猫の霊に意識を集中させ、猫の生前の記憶を|視《み》てみる事にした。
+
雨の中、こちらに笑顔で傘を差し出す5歳くらいの女の子の姿が視える。
道路の形状や周りの景色から見て、あの十字路に面した住宅街である事が|伺《うかが》える。
その直後、急に背後から現れた車に女の子が|轢《ひ》かれてしまった。
激しい衝突音、逃げ去る車。
車の形状は分かるが、猫の目を通して見ているので色が分からない。
猫の目は車のナンバーを捉えてはいなかった。
衝突音を聞いて一軒の住宅から血相を変えて飛び出して来たのは、1人のおじいさんだった。
+
「……なるほどな。話はだいたい分かった。轢かれたのはあんたの孫か?」
ウインカーおじいさんは観念したかのようにブロック塀に背中を預け、語り始めた。
「そうじゃ……。今からちょうど30年前の7月、この十字路でワシの孫が車に轢かれて死んでしまった……。運転していた車は逃走、防犯カメラも設置されておらず雨でタイヤ痕も消えてしまい、結局犯人が捕まらないまま時効を向かえてしまった!この十字路はウインカーをつけない車が多いから今も事故が多発しておる。ワシは自分が死んでからもずっと、孫を轢き殺した犯人を捜し続けているんじゃ……。この猫は孫に懐いていた野良猫。事故の後に姿を消していたが、ワシのことも覚えておったのか……」
「Bのお父さんは30代だし、事件が起こった時にはまだ子供だったから免許を持ってるはずがないだろ。 自分が亡くなってからも、怨霊となって|闇雲《やみくも》に家族の|仇《かたき》を打とうとしていたのか……」
「悲しいね……。でも叔父さん、さっき視た猫のビジョンから犯人を特定する手掛かりを得られるかもしれないよ」
「ああ、手掛かりはすでに獲得済みだ。 女の子が事故にあった日の天気は雨。それなのにアパートの2階の窓を少しだけ開けている部屋が1つだけあった」
「閉め忘れただけじゃなくて?」
「お前、ちゃんと見てなかったのか?その窓からから8ミリビデオを構えている男性の姿が見えていたぞ。角度的に、小学校のプール授業を盗撮していたんだろう。雨でもプール授業を決行する学校があるからな。変態野郎が事故の衝突音に驚いて十字路の方に8ミリビデオを向けた瞬間を、猫の目は捉えていた。運転していた車が映っていた可能性がある。さっそくあのアパートに行ってみよう」
「事故が起こったのは30年も前でしょ?今も同じ人が住んでるのかな? ビデオテープも処分してるかもしれないし……」
僕は叔父さんに疑問を投げ掛ける。
「お前は変態というものが分かっていないな。 そういう|癖《へき》があって現在も存命なら、よほどの事情がない限り引っ越しなんかしていないはずだ。そしてコツコツ集めた大量のコレクションを簡単に手放せるはずがない」
「叔父さんはどうして変態の気持ちが分かるの?まさか叔父さんも……」
「安心しろ。俺は一回り以上歳上の女性しか恋愛対象に入ってない」
「それならいいけど……」
叔父さんはウインカーおじいさんに肩を貸しながら体を起こそうとしている。
「あー、このじいさん重いわ。ヘルニアが悪化するから、悪いけどA君のお父さんを呼んできてくれ」
僕は車に戻り、助手席で泡をふいて気絶したままのBのお父さんの体を揺さぶって起こした。
Bのお父さんは、ウインカーおじさんに肩を貸している叔父さんの姿を見て驚き、その声でAも我に返ったらしい。
「あ……」 失禁してしまったのを同級生である僕に見られてしまったBは、さぞプライドが傷付けられた事だろう。
僕は視線をBの下半身に落とさないように気を付けながら、さっき起こった出来事と30年前の事故の詳細を簡潔に説明した。
「だから、今からアパートに聞き込みに行くので手伝ってほしいんです」
最初は渋っていたBのお父さんだったが、2人が待っているブロック塀に恐る恐る近付くと、ウインカーおじいさんから詫びの言葉が返ってきたのでようやく信じてくれたようだった。
「……お前達は、事件解決に協力してくれるっていうのか?」
2人に抱えられる形で歩きながら問うウインカーおじいさん。
「勘違いするなよ。 ウインカーを出さない人間も悪いけど、反省してる人間を一方的に追い詰めるのは間違ってるんじゃないのか?それに自分のじいさんが自分のせいで未だに成仏出来ずにいるとか孫も浮かばれないだろ」
「……」
複雑な表情を浮かべて無言になったウインカーおじいさんと、叔父さんと僕、Bのお父さん、そして腰にBのお父さんが羽織っていたネルシャツを巻いたBの5人でアパートの敷地内に入っていった。
「8ミリビデオを回していたのは203室だったな」
叔父さんが|躊躇《ためら》いもなくチャイムを押す。
「……はい?」
チェーンを掛けたままのドアの隙間から、生え際が後退したと思われる男性が顔を覗かせた。
「えーっと、どちら様ですか?」
「将来ベストセラー作家になる予定の者です。つかぬ事をお聞きしますが、あなたはこちらのアパートで暮ら始めてどのくらいななりますか?」
「もう30年以上になるけど……、それが何か?」
住人は眉間にシワを寄せ、不信感を|露《あらわ》にし始めた。
「30前に、このアパートから見える十字路で事故があったのをご存知ですか?その日あなたは窓を開けて8ミリビデオを回していたはずなのですが」
「はぁ!?30年前の事なんて覚えてる訳ないだろ!女の子が轢かれた事故なんて知らないし……」
「どんな事故だとか誰が轢かれたとか言っていないのに、何故『女の子が轢かれた事故』だと分かるんですか?」
『しまった』という住人の表情を、僕も見逃さなかった。
「まさに『語るに落ちる』だな。まあ手荒な事はしたくないんで事件解決の為、ご協力ください」
そう言いながら叔父さんは扉の隙間に片足を突っ込み、ボディーバッグの中から大きなペンチを取り出し、チェーンを切断し始めた。
どうしてこんな物騒な物を持ち歩いているんだろう(軽犯罪法違反)。
「ちょ、ちょっとちょっと! 人んチのドアチェーンを何勝手に切ってるんだよ!警察呼ぶぞ!」
「警察を呼ばれて困るのはあなたの方じゃないんですか?」
「ベっ……、別にそんな事……は……ないけど……」
「これってまずいんじゃないですか……?」
声を震わせるBのお父さんを横目に「お邪魔します!」と靴を脱いで中に入っていく叔父さん。
「おいおい……」 住人はうろたえながらも警察を呼んだりする様子はないようなので僕らも続いて部屋に上がった(住居侵入罪)。
部屋の入り口以外に設置された、天井まで届きそうな高さの棚に並べてある大量のビデオテープに驚いた。
「なっ、言った通りだろ?」
叔父さんが得意気に僕に目配せをしてきた。
叔父さんは『1993年7月・◯◯小プール授業(2年生)』のラベルが貼ってあるビデオがあったので棚から取り出した。
「勘弁してくれよ……」
住人は叔父さんの図々しさに戦意を喪失している。
叔父さんがビデオテープをセットし、ガチャン、と音がしたのを確認して再生ボタンを推す。
「僕、ビデオデッキって初めて見たよ」
「子供や若い世代にはほとんど馴染みがないからな。ビデオテープの再生は出来るから、今も所持している人は一定数いるだろうな」
画面に小学校のプール授業が映り、低学年と見られる児童達がキャッキャと声を上げてはしゃぎながら水遊びに徹している。
画面がズームしていき、女子児童の水着が大写しになる。
「……うわぁ、こんな変態がいたんじゃ安心して娘にプール授業も受けさせられないな」
Bのお父さんが呟きながら軽蔑の眼差しを住人にちらちらと向ける。
「もしも妹がこんな変態に盗撮されてたらと思うとゾッとするよね……」
Bが妹思いの兄の顔を見せる。
画面から衝突音が響いた。
「えっ?何だ?」という声と共に8ミリビデオが十字路の方に向けられた。
十字路に倒れている女の子と、女の子に寄り添う猫、そして逃走する車が映っていた。
「……えっ?轢き逃げ!?」
住人が再び声を上げた瞬間、女の子の傍にいた猫がアパートを見上げた。
「やっぱり女の子を轢いた車が写ってたね。珍しい色……、藤色って言うのかな?」
僕は叔父さんの方に顔を向ける。
「30年前は今よりも圧倒的に車の色の種類が少なかったから、この時代に藤色とはかなり珍しいな」
「なっ、この車は……?」
「じいさん、どうした?」
「この車は近所に住んでいたカヨさんの物じゃ。カヨさんはワシの孫が轢かれた年に自ら命を絶っておる……」
「そんな事って……」
僕は唖然とした。
「……自責の念に耐えられなくなったのか」 叔父さんは視線を床に落として呟いた。
「カヨさんが犯人だなんて!どうしてすぐに救急車を呼んでくれなかったんじゃ!カメラで撮っていたあんたも!そしてワシは今まで何の為に…!」
住人は気まずそうに顔を|背《そむ》けた。
「あの十字路でウインカーを出さない車を追い掛け続けても意味がないって分かっただろ?さっさと成仏して孫の所に行ってやれよ。孫ももう、とっくに生まれ変わってるかもしれないけどな」
「……どっちにせよワシは地獄行きで天国にいる孫には会えん だが、罪を償って生まれ変わったらいつかどこかで会えるだろうか……」
「さぁな。俺は神様でも閻魔様でもないから分からん。ただ、今のじいさんを見ても孫は報われないと思うぞ」
「そうじゃな……」
そう言って、霧のように消えていったウインカーおじいさんの瞳には涙が浮かんでいた。
+
あれからBのお父さんは、ウインカーおじいさんに追いかけられる悪夢を見なくなったらしい。
Bが失禁した事を僕はもちろんクラスの誰にも言わなかったが、何故かBはいつ僕にバラされるかとひやひやしているようで、ひけらかしは一時的に収まっている。
「そういえばあのアパートの住人はどうしたの?」
僕は、PCに向かって原稿を執筆している叔父さんに聞いた。
「ああ、警察に引き渡しておいたよ。盗撮は今でも続けてたみたいだしな。今頃、アパートに家宅捜索が入ってるだろう。今日の夕方辺りに、体育館の床一面に並べられた大量のビデオテープの映像がニュースで流れるんじゃないか?」
やっぱり叔父さんは容赦ないな。
でも仕方がないか、と僕は思った。
だけど何だろう。
小骨が喉に刺さっているようなこの違和感は。
あの轢き逃げ事件において、僕らは重大な何かを見落としていた気がするんだ。
それが何なのか、執筆に集中する叔父さんを見つめながら僕は考えていた。
++
カヨの息子であるEは、妻子を連れ、数年振りに実家に帰省していた。
煙草の煙をくゆらせながら、散歩がてら近所をぶらぶらと歩く。
母親が自死してから30年になる。
父親は健在だ。
当時は、田舎であるこの町では母の死に関する噂が絶えなかったが、30年も経つと噂を流していた者達も歳を取って亡くなっていく。
十字路に差し掛かり、ふと足を止めた。
30年前、母親の車を借りて運転していたら近所に住んでいた女の子を跳ねてしまった。
俺は怖くなってその場から離れ、実家のガレージに車を停めて父と母に挨拶もせずに逃げ帰った。
俺は大学にも行かず、布団の中で毎日震えていた。
母が死んだとの報せが来たのは俺が女の子を轢いた1週間後だった。
息子である俺が葬式に出ないのはあまりに不自然なので、逮捕の恐怖に怯えながらも 再び実家に帰った。
俺はそこで目撃者がいなかった事、雨でタイヤ痕が消えて捜査が難航している事を知った。
唯一、母親だけは俺が轢き逃げの犯人だと気付いてしまったのだろう。
母さんが死ぬ事はなかったのに。
結局、俺は捕まらずに済んだじゃないか。
良い大学を出て良い会社に就職が決まっていたのに、捕まったら全てが台無しになるところだった。
母さんにだって可愛い孫を抱かせてやれたのに。
……日が暮れてきたな。 そろそろ帰るか。……ん?
|踵《きびす》を返し、曲がって来た道を戻ろうとした時、十字路の右側にあたる道の方から大きな影が伸びていることに気付いた。
この影……、人間にしてはデカいし、車にしても高さがありすぎる。
熊?ははっ、まさかな。
ここはそこまで田舎じゃない。
俺は少しだけ後ずさり、曲がり角の先が見える位置に立った。
ほんの2、3メール先に、体長5メートルほどの巨大な猫のようなものがいた。
ひぃっ!と声にならない声をあげ、俺は腰を抜かしそうになりながらも、それに背を向けて走り出した。
何だあれは!?虎か!?
虎は子供と行った動物園で|檻《おり》越しに見た事があるが、あそこまでデカくはなかったはずだ
種類によって大きさが違うのか!?
もしかしたらチーター!?ピューマかもしれない。
それよりはなぜここに猛獣が!?
海外でライオンが逃げ出したってニュースを見た事がある!
きっとそれだ!日本の動物園から虎が逃げたしたんだ!
逃げる事が最優先のはずなのに、猛獣がこの町にいる理由を頭の中で必死に巡らせながら、一度も振り向くもなく俺は走る。
誰か……、誰か!
大通りに出た。
細い脇道に入った方が逃げきれる可能性があったはずだが、そんな事を考えている余裕がなかった。
まばらだが、道路を渡った先に、サラリーマンや学生達の人が見える。
安堵した俺がやっと後ろを振り向くと、目と鼻の先に猛獣の顔が迫っていた。
ひぃっ!
「だ、誰か……。虎だ……!」
俺は残りの力を振り絞って走り出した。
だが足がもつれ、絡まる。
ほぼ同時に全身に衝撃が走った。
身体が吹き飛ばされ、地面に衝突するまでの僅か1秒にも満たないはずの映像が、スローモーションで再生される。
全身に走る激痛が静まる気配はなく、生暖かく鉄の匂いを発する液体が、俺の身体の側面をじわじわと包み込んでいく。
俺は虎に追い付かれてしまったのか……。
「おい!生きてるか!?」 バタン!と扉が開く音と、男性の叫ぶような声が聞こえる。
俺の身体は動かない
動かせないのだ。
「見てたよな?こいつが急に飛び出してきたんだ!」
男性が周りに確認しているようだ。 それより虎はどうなった?
みんな、逃げないのか?
「その人、『虎が……』とか叫んでたような……」
「薬でもやってるんじゃないですか?」
「俺は悪くない!こいつが飛び出してくるから!」
「すげーっ!血まみれじゃん!クラスの奴らに画像回してやろうぜ!おい、お前らも早く撮れよ!!」
考察や言い訳や撮影はいいから、誰か早く救急車を呼んでくれ。
何足もの靴が視界にぼんやりと浮かんでいる。
「大丈夫ですか!?今救急車呼びましたから!」
若い女性の声が聞こえた。
ああ、やっと呼んでくれたのか……。
「……なーんて、嘘ですけど」
同じ声が、介抱する振りをしながら俺の耳元で囁くようにそう行った。
は?嘘ってどういう事だ?
「本当は呼んでないんですよ、救急車」
ふざけるな。人の命が掛かってるんだぞ!
「それはこっちの台詞よ。30年前、あなただって救急車を呼んでくれなかったくせに」
……?
女性は俺を介抱する振りをしながら続けた。
「生まれ変わっても、あなたへの憎しみは消えなかったみたい。まあ自業自得ね」
生まれ変わった?
30年前?
まさか、この女はあの女の子の生まれ変わりだとでもいうのか?
そんなはずが……。
Eの意識はそこで途絶え、救急車が到着したのはそれから50分も後の事だった。
『若い女性が救急車を呼んだ』と叫んでいる目撃情報がいくつかあったが、女性は被害者を少しの間介抱した後に立ち去ったという。
#都市伝説
沙里央
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コメント
1件
みぅです🤍🥀 第1話、読み終えました。 都市伝説「ウインカーおじいさん」がただの怪談じゃなくて、過去の轢き逃げ事件に繋がっていく展開がすごく面白かったです。叔父さんのミスリードの手法もカッコよかったし、最後のカヨの息子のパートで一気にホラー感が増しました…。救急車を呼ばなかった女の子の生まれ変わり?が現れるラスト、めちゃくちゃゾッとしました。続きが気になります!