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囁きと足音からなる人の気配、それに髪と肌のべたつきを感じてユカリは目を覚ます。陽光の差し伸べる恩恵の指先すら届かない暗黒の海の底ではなく今度こそ本物の砂浜で、無様に、もとい、偉大な栄光で舗装された長い旅路の果てに倒れた英雄の如くうつ伏せになっている、とユカリは気づく。ここがもしも海の最も深い場所ならば、対陸地の最前線である岸辺に打ち寄せる波の音は聞こえないはずだ。ようやく地上に、肺いっぱいに吸っても有り余る空気に満ち、揺籃のように温かな日が差し、火をかけた料理を食べられ、溺れることのない、人の住むべき原に戻って来れたのだ。


日の光の乏しい曇り空にこれほど喜びを感じるのは初めてのことだった。その全身全霊で天からの僅かばかりの祝福を享受し、ユカリはいつも共にある生命と時々そばにいない幸運に感謝した。


一方でフォーリオンの海を呪いたい気持ちを抑え、塩にまみれた痛む体を押して上体を起こす。宇宙の端でひっそりと輝いている小さな桃色の巻貝が目の前に落ちていて、その尖った方向に導かれるようにユカリは顔を上げる。


ユカリの目の前には丸々と太った男。隣には棒のような痩せた女。熊の如き巨漢。頬に傷のある女。襤褸を纏った男。他にも何人も。これから私刑でも行おうというのか、薄汚い格好で卑しい笑みを浮かべる輩に取り囲まれている。


かしら。ちょうど起きたようですぜ」と太った男が言った。


太った男の後ろには身なりの良い男もいるが、その男もまたこのごろつきたちの仲間らしい。その態度からも彼らを率いている人物だと分かる。

分厚くめりはりの利いた上下も、さらに上に来た白熊の毛皮の外套も品の良い拵えで、その男の冷酷な表情と恰幅の良い肉体に合わせて作られているようだ。その無骨な手には真珠の刀剣リンガ・ミルが握られている。


男のそばでは小男がしゃがみこみ、砂をかぶったユカリの合切袋に向かって呪文を唱えている。その魔術は名高い盗人や不吉な墓荒しが仕事の前に使うまじないの亜種で、あらゆる言語の手と肌を表す単語を組み合わせて、良き人々の中に知る者のいない罪深い言葉を飾った呪文だ。


彼らに気づかれないようにユカリはこっそりと空中に囁くが返事はない。屋外なのでグリュエーは助けてくれるだろうが、お喋りな風が沈黙を保っている辺り、魔法少女の魔導書は今ユカリに所有されていると見なしていないようだ。


身なりの良い男は整えられた口髭をなでつけながら、しゃがれ声で小男をなじる。「おい、強者ベッター。早くしろ。お前が魔法使いの持ち物には警戒しろと言ったんだ。だから俺はお前に任せた。いつになったらその鞄を開けるんだ? 鼠の仕事はもっと手早いぜ?」


そう言うとごろつきたちは皆笑う。


「あと少しです、かしら。お待ちください」ベッターは苛立ちの表情を見られないよううつむいて言っていた。


そもそもあの合切袋そのものにはたいした魔法などかかっていない。彼らは十分以上に警戒しているらしい。

かしらと呼ばれた男が小さな穴でも探すみたいに真珠の刀剣をしげしげと眺めている。


「これはどこで手に入れた?」とかしらと呼ばれた男は言う。


まるで微睡む獣の唸りのような、ざらざらとした声で、張り上げずとも威圧的だ。


ユカリが黙っていると太った男が三日月のように刃の曲がった短剣ナイフをちらつかせて言う。「かしらが聞いてんだ。何を黙ってやがる。俺が喋らせてやろうか?」


ユカリは恐怖を感じなかったが、危機感のない自分をいさめる。魔導書と共にあり続けた旅に慣れてしまい、海の腹の中に押し込められたならともかく、魔法も持っていなさそうな輩に危険を感じなくなってしまったのだ。しかし今はそうあるべきではない。魔導書は一つとして手元にない。ユカリの持つ、義母と実母かもしれない人に教えてもらったささやかな魔法だけでは、この人数に打ち勝つことはできないからだ。


「少し長くなりますが」


ユカリは海に落ちてからの出来事をできるだけ正直に話す。魔導書とトイナムの入り江に代金を払っていなかったこと以外。


ごろつきたちは様々に反応した。はにかみ屋の子供のようにくすくす笑う者もいれば、我慢できずにユカリの説明に口を挟んで他の輩に叱られる者。修行僧の如くただ黙って聞いている者もいた。しかしそれはユカリを憐れんでいるがゆえだったようだ。正直に話した結果、正気を疑われることになってしまった。

かしらと呼ばれた男だけは感情のない表情で最後までじっと話を聞き、聞き終えるとユカリの方へとやってきて、座ったままのユカリを見下ろす。


「海が喋るかは別にして」かしらはわずかに微笑みを浮かべている。「お前の話はいくつかの船が行方知れずになっていることに関係していそうだな。どうしても会わなきゃならねえ奴がその船に乗っているんだが、お前の言い分によると最高の真珠を取り戻さなきゃ海の機嫌は直らねえ、と。そういうことだな」


ユカリはこくりと頷く。信じてもらえるとは思っていなかった、という驚きは胸に秘める。


かしら。そのがきの戯言を信じるんで?」「機構の尼に違いねえ。殺しちまいましょう」「海が喋るなんてそんな馬鹿な話」「要するに坊主どもの予言を信じてるんでさあ、こいつぁ」「まだ盗まれた青銅像の祟りって噂の方が真実味がありますよ」


海が喋ることと青銅像が祟ることにどれほどの真実味の差があるのか、ユカリには分からなかった。青銅像が祟ることはシグニカではよくあることなのだろうか。


かしらは手下たちの言葉など聞こえないかのように話す。「とりあえずはこのリンガ・ミルとやらの力を確かめたいところだな。本当に光ったなら話を鵜呑みにする価値もある。これが玩具で俺たちが担がれているだけだったなら……」


真珠の剣リンガ・ミルは短剣としては大袈裟だが剣として使うには心許ない大きさだ。確かにかしらがその剣を持つと玩具のようにも見える。


「貝の王の最高傑作の真珠探し。手伝ってもらえるんですか?」とユカリは信じがたい気持ちでかしらに尋ねる。

「手伝う?」かしらは馬鹿にしたように笑う。「まあ、手伝うとも言えるな。最高の真珠を見つけて海に放り捨てればいいんだろう? 俺はただこのリンガ・ミルの剣を借り・・れりゃ、それで良い。が、別にお前の手助けはいらん。ん? どうした嬢ちゃん。表情が変わったな? そんなにこの玩具が大事か?」


大事だ。それがなければ最高傑作の真珠など探しようもない。

ユカリは無言で射殺さんばかりの眼差しでかしらを睨みつける。


かしらが何か言う前に、「開きました」とユカリの合切袋に呪文をかけていた小男が宣言した。まるで秘宝の封印された櫃を苦労して明けたかのような言い方だ。

「ならさっさと中を検めろ」とかしらはやはりぞんざいに言う。「それもお前の仕事だろう。ベッター。鼠のように素早く働け」


仲間たちにくすくすと笑われながら、小男ベッターは合切袋を砂の上に置いたまま、中身を探り始める。砂の上に座り込んだユカリにだけは、ベッターの悔しさをにじませた表情が窺えた。

そして、だから他の誰も気づかなかったことにユカリは気づいた、ベッターが合切袋の中の何かを目にして、びくりと震えるようにして一瞬だけ手を止めたことに。


「空の革袋に、麻布、ふやけた焼き菓子」そしてベッターは小さく息を継ぐ。「他には……、見たところたいしたものは入ってませんね。どうやらその真珠の剣が唯一の魔法のようです」


ベッターが合切袋に入っているはずの魔導書に言及しなかったことについて、ユカリは表情に出ないよう努める。ベッターが嘘をついたのか、それとも気を失っている間に失われたのか、分からない。

かしらが疑わし気な眼差しをベッターに向けて腰を屈め、合切袋を拾い上げてひっくり返す。確かにそこにはベッターが言った通りの中身だけがぶちまけられた。


「だが嬢ちゃんにとってその合切袋はずいぶん大事なもののようだ」かしらがユカリの表情から何かを読み取ってそう言った。「それは奪う価値があるということだ。全部持って行くぞ」


小男は小さく返事をしてぶちまけた物を拾い上げて合切袋に片づけると大事そうに抱える。

横暴を働いたごろつきたちは気分良さそうに立ち去る。リンガ・ミルの剣も合切袋も全て持って行こうとする。そこで初めてユカリはすぐ近くに町があることに気づく。町と言っても流木で組み上げたかのような掘っ立て小屋しか見当たらない。どうやら貧民窟らしい。


「グリュエー。全部取り返して」


ユカリは去り行くごろつきたちを狙い定めるように見据え、グリュエーが聞いてくれていると信じて囁く。しかし返事はなく、風も吹かなかった。


「グリュエー? グリュエー? どうしたの? 聞こえてるでしょ?」


男たちに吹きつけるのは春の長閑な風とフォーリオンの潮風だけで、その持ち物を奪い去るべき激しくも幼子の悪戯の如き風はそよとも吹かなかった。

魔法少女って聞いてたけれど、ちょっと想像と違う世界観だよ。

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