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ケイナの正式な買い取りのため、ワイは奴隷商の元へ向かった。金は用意済み、あとは交渉するだけや。
路地裏に差し掛かると、湿った空気が鼻を突いた。どこかで腐った果実が転がっとるんやろうか。それとも、排水溝に溜まった泥が発酵しとるんか――とにかく、この一帯は金の匂いよりも、汚濁の臭いのほうが強い。ワイは足を止め、奴隷商の店を見上げた。
木造の建物は長年の風雨に晒されて、ところどころ黒ずんどる。看板はかつて何かの紋章が刻まれとったらしいが、今はもう判別不能や。扉の前には、見るからにガラの悪い男が一人、壁にもたれかかっとる。顔に刻まれた無数の傷が、ここがただの商店やないことを物語っとるわ。
男はワイと目が合うと、ニヤリと笑い、頭を軽く下げた。まるで、「客なら勝手に入れ」と言わんばかりの態度や。ワイは軽く息を吐いてから、重い扉を押し開けた。
中に入ると、薄暗い空間が広がっとる。空気はよどみ、埃っぽい。酒と煙草、そして何かしらの獣脂の匂いが混じり合い、鼻を刺激する。部屋の奥、机を挟んだ向こう側に、奴隷商が座っとった。
男は小太りで、顔は脂ぎっとる。鼻の頭には玉のような汗が浮かび、指にはいくつもの金の指輪がはめられとる。足を組み、椅子にふんぞり返ったまま、ワイを見つめてニヤついとる。
「よう、お前さんがケイナを不法所持してる男か?」
奴隷商はニヤリと笑いながら、机の上に投げ出した指をカタカタと鳴らす。まるで、自分がこの場の主導権を握っとるとでも言いたげな態度やった。
「……せやで。買い取る金は用意してきたわ」
ワイは一歩踏み出し、腰の袋を取り出すと、無造作に机へ放り投げた。鈍い音が室内に響き、袋の中の硬貨が微かに擦れ合う音が続く。
袋はずっしりと重い。リンゴとマンゴーを売って稼いだ金や。単なる果物やない。ワイの汗と努力、そしてケイナを救うための決意が詰まっとる。
奴隷商の目が細まり、指先で袋をちょんと突いた。まるで、その価値を確かめるかのように。
「おお、ずいぶんと羽振りがいいじゃねえか」
袋の感触を楽しむように撫でながら、奴隷商は満足げに鼻を鳴らす。だが、次の瞬間、まるで「ここからが本番だ」とでも言わんばかりに肩をすくめ、手をひらひら振った。
「だがな……あの娘は逃亡奴隷だ。買い取るなら、相応の“違約金”も払ってもらわねぇとな?」
やっぱりきたか。ワイは内心舌打ちしながらも、表情は崩さんかった。こいつは最初からそう言うつもりやったんやろう。
ワイは奴隷商の背後をちらりと見た。
そこには三人の護衛が控えとった。どいつも筋骨隆々で、鋭い目つきをしとる。腰には剣や棍棒を下げ、まるで猛獣が獲物を狙うような視線をワイに向けとる。こいつら、やる気満々やな。
こっちが違約金とやらを払わんと判断したら、即座に「力」で解決するつもりやろう。戦えば勝てんことはない。けど、ここで騒ぎを起こせば後が面倒や。できる限り、交渉で片を付けるのが理想やな。
ワイはゆっくりと腕を組み、奴隷商を睨みつけた。
目の前の男は、ふてぶてしい態度のまま薄笑いを浮かべとる。年季の入った商売人特有の目つきや。鋭くもなく、かといって油断もさせん、どこか底の見えん視線。小太りの体を深く椅子に沈め、まるでこの状況すら楽しんどるような顔やった。
「……やっぱり言うと思ったわ」
ワイがそう言うと、奴隷商は肩をすくめ、わざとらしく手を広げた。
「おやおや、そんな目で睨まないでくれよ。何も悪いことはしていないさ。ただ、正当な商売をしているだけでね」
その顔には悪びれる色なんか微塵もない。まるでこの状況すら計算通り、とでも言いたげな表情やった。
「商売ってのはこうやって儲けるもんさ」
奴隷商はゆっくりと机に指を這わせると、一定のリズムでトントンと叩いた。木製の机が乾いた音を立てる。その音が、どこかワイを試すような、焦らすような響きに聞こえた。
ここでワイが感情を露わにすれば、それこそ相手の思うツボや。こういう交渉の場では、先に苛立ちを見せたほうが負ける。奴隷商はそれをわかっとるんやろう。だからこそ、ワザとらしい態度を崩さへんのや。
ワイは一度目を伏せ、ゆっくりと深く息を吐いた。感情を整えるように、焦るな、と自分に言い聞かせる。
「ほんま、悪どい商売しとるなぁ」
静かに、けれど確実に、その言葉を放った。
奴隷商はクツクツと喉の奥で笑い、椅子の背にもたれた。
「悪どい? そりゃ心外だな。お客さん、これが奴隷売買の常識ってもんだぜ」
そう言いながら、奴隷商は懐から煙草のようなものを取り出し、ゆっくりと口にくわえた。火をつけるわけでもなく、ただ口元に咥えたまま、余裕のある笑みを浮かべる。その仕草の一つ一つが、まるで「お前の反応なんてすべて想定済み」と言わんばかりやった。
ワイは、それをじっと見つめたまま、わずかに口角を上げる。
「そっちがその気なら、ワイにも考えがあるで」
奴隷商の目がわずかに細められた。ほんの一瞬やが、その目には警戒の色が見えた。
ワイはゆっくりと足を組み直し、背筋を伸ばす。軽く指を組み、奴隷商の目を真正面から捉えた。
交渉の主導権を握るのは、どちらか。今から、それをはっきりさせたる。
勝負はここからや。ワイはただの客やない。交渉相手として、こいつに一つ教えたるで。