「…しかし、ツミが御主神を喰らった弊害は大きい。少し外へ出ろ」
マテラが指示し、それに従って全員家から出ると、マテラは太陽へと目線を誘う。
薄暗い空に浮かぶ、闇のような穴が空いた、円状の太陽に。
「かつて、ツミが御主神を喰らう前まで、あの天道に穴など無く、直視することも叶わぬほどに光り輝いていた。それが今となってはあのような姿に…」
マテラは目を伏せる。
「主を失い、力の源たる天道の光すら年々減りつつある。幸いにも完全な死からは逃れたが、残ったのは過去の経験と記憶のみ。ツミの成長を促す程度のことしかできやせん」
自らの醜態に呆れて鼻で笑っているが、その様子はどこか寂しそうに見えた。
「元よりあの蛇畜生は獲物。誰に頼まれようが、どの道倒すつもりであった」
そう説明され、イナは腑に落ちた様子で相槌を打つ。
その反面、ヒメは違和感と疑問を感じていた。
ヒメはそれを包み隠さずマテラに問い掛ける。
「じゃあ、どうしツミさんは頼まれた時に断るような素振りを…?皆で協力するとか、事情を話すとか…」
「臆病なのだよ。あの子は」
「…?それってどういう──」
ヒメが言い切る前に、マテラは話を遮って、その大きな翼を羽ばたかせ、大空へと飛び立つ。
「知りたければ直接聞け。それは人の編み出した術だろう」
薄暗い空の中を、仄かに輝く白い鶏が、紅い線を引いて、一筋の雲を描いた。
数刻後、ツミ連れて帰ってきたマテラの指示で、村の一カ所に大量の米俵と、あらゆる蓋のある容器が集められていた。
「こんなに集めてどうすんのでっか」
一人の村人がマテラに聞く。
「酒を造る」
その言葉に、村人達は困惑と疑問の念を抱く。
酒。
凶星の暴虐以来、年々と数を減らしていたアルコール飲料。
醸造にいくつもの手間を必要とするのに対し、実用的な使い道は消毒程度しか無く、食料の発酵やその類はいつの間にか腐敗としか認識されなくなった。
同時に、アルコール自体も少しずつ人々の記憶から消え去ってしまった。
一部の集落では未だに醸造されていると聞くが、この村では、良くても酒という知識そのものが受け継がれているかどうか。
幸いにも一人、アルコールについての知識を持っている薬師の娘が、この村にはいた。
「酒って、これに似たもののことですか?」
ヒメが腕に抱えたひょうたんの入れ物の蓋を開け、マテラに見せる。
「ほう、えらく濃い酒だ。とても人が飲めるものではないが……」
「遥か遠いご先祖様が角の生えたお人から頂いた、尽きることの無い酒を、消毒液として代々受け継いできたと母から教わりました」
その話を聞いて、マテラは豆鉄砲を食らったような表情を見せる。
愉快というべきか、そんな様子でマテラは呟く。
「なんの因果か、因縁か…。いや、気の長い親殺しか」
小さい呟きが聞き取れず、ヒメが疑問符を頭に浮かべていると、マテラが大声で村人に言う。
「今からこの鬼酒を元に酒造を開始する!全員離れておけ!」
マテラの指示通り、ツミ含め、村人全員がその場から数十メートルほど離れる。
マテラはそれを確認すると、米俵の目の前で翼を広げた。
次の瞬間、どこからともなく火が現れ、マテラを中心に渦巻いていくではないか。
轟々と燃え盛る焔を纏うマテラ。
鬼酒を贅沢に並々注いだ桶を飲み込み、米俵すらも焔の中へと溶けてゆく。
すると焔は鳥を象り、空を覆い尽くしてしまいそうなほど大きな翼で、仄暗い空を舞い飛んだ。
朱い焔の体から、翡翠色の火花を散らして、太陽にも届かんとするほどに、高く舞い上がる。
その様は、まさに第二の太陽。
直視できないほど輝く体は、雲を穿つ。
真なる空を羽ばたこうとした瞬間、張り詰めた糸が切れたように、焔の大鳥は力無く落下を開始する。
舞い散る羽根はさながら太陽の軌跡。
燃え盛っていた焔も既に過去のもの。
燃え尽きた羽根の灰が雨の如く降り注ぐ。
マテラが地面と激突する刹那、急いで駆け寄ったツミの外套に受け止められ、無事に着地した。
数秒遅れて、木の樽がツミの体に激突する。
その衝撃のあまり、ツミの体はあらぬ方を向いて呻き声を発していたが、十を数えるよりも早く回復したため、本人とマテラは特に気にすること無く立ち上がった。
ツミは樽を抱え、マテラの様子を伺っている。
「そう心配するな」
マテラは一言、そうツミに言い聞かせると、日の角度を見ながら皆に話し掛ける。
「この樽にはもはや毒とも言える酒が入っている。弱い者なら嗅いだだけで死ねるだろうな。これは禍星を倒すためのものだ、決して触るでないぞ」
そう言い終わると、村人にさっさと家に帰るように促す。
イナとナダ、ヒメとツミを除いて。
「…ヒメには帰ってもらって構わんのだが……」
「いいえ、こうなった以上、私も見届けさせていただきます」
マテラは一息つくと、森の方角とは反対の、村のはずれにある、荒れた畑へと向かった。
雑草の中に潜っている、一本の木の棒を拾う。
「折れた鍬か。丁度良い」
そう一言、マテラは呟くと、折れた鍬の柄を荒れた畑の端に突き刺した。
次にイナとナダに弓矢を取ってくるよう指示し、イナが帰ってくるまでの間に、ツミの外套をヒメに被せ、畑の外に立たせる。
雑草とはいえ、何年も放置されていたからか、ヒメの肩ほどの高さがある。
赤い頭巾を被っているならともかく、多少暗くなってきた今の時間では、草の陰に紛れて視認が難しくなる。
突き立てた棒の上で跳ね、そうそう抜けないようにしている内に、イナとナダが戻って来た。
「それで、私達はどうすればいいんだ?」
マテラはニヤリと笑みを浮かべる。
「なに、簡単な特訓さな」