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なつほ
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腐ってる太宰さん可愛いよね
ヨコハマの午後は、刺すような日差しもなく、穏やかな潮風が街を撫でていた。 武装探偵社のソファに深く腰掛けた太宰治は、手元の本――『完全自殺読本』を開きながらも、その視線は頁の文字を滑り、窓の外へと向けられていた。正確には、窓の外の喫茶店「うずまき」のテラス席に集う三人の青年たちに。
そこには、太宰の部下である中島敦、元部下の芥川龍之介、そして腐れ縁の相棒、中原中也がいた。
「おい、芥川。手前少なすぎねぇか?ほら、俺の分やるぞ」
「……中也さん。やつがれにはこれくらいがちょうどいいです、人虎のように、茶漬けを流し込む野蛮な真似は致しません」
「ちょっと芥川!? 僕、今はサンドイッチを食べてるだけじゃないか! それに中也さんも、芥川にそんなに過保護にならなくても……」
三人の会話は、三階の探偵社まで微かに響いてくる。太宰は本で口元を隠し、人知れず広角を吊り上げた。
(……素晴らしい。実に、素晴らしいよ)
太宰治には、誰にも、それこそ死んでも中也にも明かせない秘密がある。 彼は「腐男子」であった。それも、特定の組み合わせに固執しない、極めて広範な守備範囲を誇る「雑食」の徒である。
彼の脳内では今、猛烈な勢いでシミュレーションが展開されていた。 まず、今の構図。世話を焼く中也と、反抗しつつも全幅の信頼を寄せる芥川。これは典型的な「師弟・上下関係萌え」の文脈だ。しかし、そこに敦が介在することで化学反応が起きる。
(中也と芥川の間に割って入る敦くん。これは『中敦』の萌芽か? あるいは、二人の先輩に挟まれて縮こまる敦くんを、芥川が冷たくあしらいつつも意識してしまう『芥敦』の王道か。いや、待てよ……中也が敦を可愛がり、それに嫉妬する芥川という『中芥』あるいは『芥中』のラインも捨てがたい……!)
太宰の脳内キャンバスには、無数の矢印が飛び交っている。 敦と芥川のライバル関係を軸にした「敦芥」は王道中の王道。しかし、芥川が攻めに回る「芥敦」の、あの執着心に満ちた空気も悪くない。最近の太宰のマイブームは、意外にも「敦総攻め」だ。あの優しくて気弱そうな少年が、マフィアの狂犬と幹部を同時に手玉に取る……。
(……ふふ。想像しただけで、入水するより高い多幸感が得られそうだ)
「太宰? さっきから顔が怖いぞ。……っていうか、何ニヤニヤしてるんだ。気持ち悪い」
いつの間にか背後に立っていた国木田独歩が、心底嫌そうな声を上げた。太宰は瞬時に「いつもの適当な太宰」の仮面を被る。
「失敬だなあ、国木田君。私はただ、今日の夕飯は何にしようかなと考えていただけだよ」 「嘘をつけ。お前のその顔は、ろくでもないことを企んでいる時の顔だ」
国木田を適当にあしらいながら、太宰は再び階下へ視線を戻す。 そこで事態が動いた。中也が敦の口元に付いたパン屑を、無造作に指で拭ったのだ。
(!!!!!)
太宰の心臓が跳ねた。 「あ、すみません中也さん……」と顔を赤らめる敦。「手前はガキか」と笑う中也。そして、それを見て露骨に不機嫌そうな顔で咳き込む芥川。
(完璧だ。完璧すぎるよ、君たち! 中也の無自覚なスパダリ感と、敦くんの天然受身属性、そして芥川くんの『僕を見てください』と言わんばかりの嫉妬の焔! これこそが三つ巴(3P)の醍醐味じゃないか!)
太宰の脳内では今、タイトル『熱砂の三重奏~ヨコハマ狂詩曲~』という架空の薄い本が、表紙まで完成していた。 攻め:中也、受け:敦、そしてその横で、自分も愛されたいと願いつつ、敦に対しても複雑な感情を抱く芥川……。あるいは、中也と芥川が共闘して敦を追い詰めるパターンもいい。
しかし、ここで太宰にとって最も重要な「鉄の掟」がある。
それは、「自分自身がその輪に加わることは、絶対に、万が一にも、死んでも有り得ない」ということだ。
太宰治にとって、BLとは純粋な観測対象であり、美しき結晶体である。そこに自分という「不純物」が混ざることは、神聖な聖域を泥靴で踏み荒らすに等しい暴挙。 もし誰かが自分と中也をくっつけようものなら、彼はその瞬間にこの世の終わりを願うだろう。「太中」?「中太」? 冗談ではない。中也のあの、チビで横暴で酒癖の悪い男と自分が? 吐き気がする。
(私はあくまで、美しい少年たちが織りなす愛憎劇を、最前列の特等席で眺めていたいだけなんだ。そこに私の居場所なんて必要ない。むしろ邪魔だ!)
「……太宰」 不意に、低い声が耳元で響いた。 太宰が驚いて顔を上げると、そこにはいつの間にか三階まで上がってきた中原中也が立っていた。 手には「うずまき」のコーヒーのテイクアウトカップを持っている。
「うわっ、帽子置き場が勝手に探偵社に侵入してる! 不法侵入だ、通報しなきゃ」
「うるせえ。扉が開いてたから入っただけだ。……ほらよ、敦に頼まれたんだ。『太宰さんが上から寂しそうに見てるから、これを届けてあげてください』ってよ」
中也はぶっきらぼうにコーヒーを机に置いた。 太宰はそれを受け取りながら、中也の顔をじっと見る。
「何だよ、人の顔に何かついてんのか」
「いやあ、改めて見ると、中也の顔って本当に『攻め』の記号が詰まってるよねえ。その威圧感、独占欲の強そうな眉間の皺、そして……」
「はあ? 何言ってんだ手前。……おら、芥川と敦が下で待ってんだ。手前も来いよ。飯に行くぞ」
中也の言葉に、太宰は内心で激しく首を振った。
(ダメだ。一緒に行ってしまったら、私は『当事者』になってしまう! 私は、中也が敦くんに優しくしたり、芥川くんを厳しく指導したりするのを、遠くから双眼鏡で眺めていたいんだ!)
「私は遠慮しておくよ。仕事が山積みでねえ」
「お前が仕事? 明日は槍でも降るか。いいから来い」
中也が太宰の腕を掴んで強引に立たせようとする。その瞬間、太宰の肌に触れた中也の手が、わずかに熱を帯びているように感じられた。 中也の瞳が、一瞬だけ、期待に満ちた熱を持って太宰を見つめる。
(……待て、中也。その目はなんだ。その『うっすらとした好意』を隠し持ったような視線は、私に向けるべきじゃない! それは、芥川くんか敦くんに向けるべき情熱だろう!)
太宰は全力で拒絶反応を示した。 「太中」という概念が、最悪の解像度で脳裏をかすめる。それは彼にとって、この世で最も恐ろしい「地雷」であった。
「離したまえ、中也! 私の潔癖な肌に、汚らわしいマフィアの菌が移る!」
「誰が汚らわしいだ! せっかく誘ってやってんのに!」
二人が揉み合っていると、一階から敦と芥川が上がってきた。
「二人とも、まだ喧嘩してるんですか?」 敦が苦笑しながら割って入る。その隣で、芥川は相変わらず無表情だが、太宰の腕を掴む中也の手をじっと見つめていた。
(おお……! 見て、あの芥川くんの視線! あれは『太宰さんへの嫉妬』じゃない、確実に『中也さんを独占されていることへの不満』だ! そして敦くんの、二人を仲裁しようとするあの健気な仕草……これだ、これこそが私が求めていた『中・芥・敦』のトライアングル!)
太宰は瞬時に方針を転換した。
「分かったよ。そこまで言うなら行こうじゃないか。ただし、私は中也の隣には座らないからね! 私は敦くんと芥川くんの間に座る!」
そうすれば、左に芥川、右に敦。そして向かいに中也。 完璧な視界が確保される。 芥川と敦が肘をぶつけ合って睨み合い、中也が「仲良くしろ」と二人を嗜める。その様子を正面から、高画質で網膜に焼き付けることができる。
「……何だか知らないけど、太宰さんがやる気になったなら良かったです」
敦が嬉しそうに微笑む。その笑顔の眩しさに、太宰は(ああ、敦くんが攻めの場合、この笑顔の裏に潜む独占欲が芥川くんを狂わせるんだよね……)と、勝手な解釈を付け加える。
四人は街へと繰り出した。 中華街の雑踏の中、太宰は一歩引いた位置から三人の背中を眺める。 中也の広い背中。その後ろを歩く、細身だがしなやかな敦と、黒い外套をなびかせる芥川。
(「中敦芥」の並び……。体格差も素晴らしい。中也が一番背が低いのに、一番圧倒的な存在感(パワー)を持っているという、この逆転現象。それが夜の営み(概念)においてどう作用するか……。中也が二人を力でねじ伏せるのか、あるいは二人の若者に振り回されて、珍しく余裕を失う中也……ああ、どちらも捨てがたい。どちらも正解だ!)
太宰の思考は、すでにヨコハマの平和を離れ、遥か彼方の「妄想の深淵」へとダイブしていた。
「太宰、何立ち止まってんだ。置いていくぞ」 中也が振り返り、太宰を呼ぶ。
「今行くよ、中也。……ああ、そうだ。今日は私が奢ろうかな? 君たち三人が仲良く食べている姿が見られるなら、安いものだよ」
「……太宰さん、本当にどうしたんですか? 熱でもあります?」
敦が心配そうに太宰の額に手を伸ばそうとするが、太宰は華麗にそれを回避した。
「おっと、敦くん。私の体質を知っているだろう? 滅多なことで触れてはいけないよ」
(危ない。敦くんに触れられたら、それは「敦太」という地雷を踏み抜くことになりかねない。私はあくまで無機質な壁、あるいは透明な空気でいたいんだ)
レストランに入り、席に着く。 太宰の狙い通り、彼は敦と芥川に挟まれ、向かいに中也という布陣になった。
「まずは、乾杯といこうじゃないか。ヨコハマの、平穏な、そして尊い美少年たちの友情に」
「……誰が美少年だ。手前、本当に酔ってんのか?」
中也が呆れたようにグラスを掲げる。 芥川は無言で、だがどこか緊張した面持ちでグラスを持った。敦は「よく分かりませんけど、乾杯!」と元気に声を上げる。
食事中、太宰の目は片時も休まることはなかった。 芥川が敦の皿にある具材を勝手に奪い取り、敦が「あ、僕の海老!」と声を上げる。それを見て、中也が自分の皿から海老を敦の皿へ移してやる。
(キタ……! 『中敦』の供給! そして、自分の奪った海老よりも豪華なものが敦に与えられたことに、憤慨しつつも、中也からの『間接的な贈り物』を羨む芥川くん! これは『芥中』への導線か!?)
太宰は心の中で、全力の拍手を送っていた。 彼は決して口に出さない。 この「新旧双黒」という四人の関係性が、世の腐女子……もとい、自分のような腐男子にとって、どれほど奇跡に近いバランスで成り立っているかを。
中也は、太宰が自分を見ていることに気づき、少しだけ顔を赤くして視線を逸らした。 (太宰の野郎……さっきからずっと俺のこと見てやがる。……ったく、柄じゃねえんだよ) 中也の胸中にある、淡く、だが確かな恋心。 太宰はそれを「中也の人間味」として認識しつつも、自分に向けられたベクトルだけは全力で無視し、そのエネルギーを他の三人の関係性に変換して消費していた。
(中也、君のその情熱は、私ではなく、ぜひともその左右にいる二人の少年に注いでくれたまえ。そうすれば、私はもっと幸せな夢を見られるんだ)
太宰は、芥川と敦が小声で言い争っているのを聞きながら、至福の時を過ごした。
「貴様の箸の使い方はなっていない」
「芥川君こそ、好き嫌いしないで野菜も食べてよ」
そんな何気ないやり取りさえ、太宰の脳内フィルターを通れば、甘酸っぱい「痴話喧嘩」へと変換される。
「……太宰さん。さっきから、食べてませんよ。冷めちゃいます」
敦が心配そうに小龍包を太宰の皿に置いた。
「ああ、ありがとう敦くん。私は今、胸がいっぱいでね」
そう言って、太宰は小龍包を口に運んだ。 熱い肉汁が広がる。それは現実の味だが、彼の精神は今、三人が重なり合い、愛を囁き合う、あらゆるパターンのパラレルワールドを旅していた。
芥川が攻めのパターン。 敦が攻めのパターン。 中也が二人の若者を従えるパターン。 あるいは、三人が対等に愛し合う大団円。
そのどれもが美しく、尊い。 自分一人が「地雷」として、その美しき円環の外側に立ち続けること。 それが太宰治にとっての、唯一無二の、そして究極の「推し活」であった。
夕食が終わり、店の外に出ると、夜の帷が下りていた。
「じゃあな。敦、芥川、またな。……太宰、手前は飲み直すぞ。来い」
中也が太宰の襟首を掴もうとする。
「嫌だよ。私はこれから、今日という素晴らしい一日の記録を日記に書かなきゃいけないんだ。……あ、そうだ。君たち三人、せっかくだからそこで並んでくれないかい? 写真を一枚」
「は? 何でだよ。面倒くせえ」 と言いつつも、中也は敦と芥川の真ん中に立った。 太宰はiPadを取り出し、最高画質でシャッターを切った。
画面に収まった三人の姿。 中也の無愛想な顔、敦の照れ笑い、芥川の不本意そうな仏頂面。
(よし。……これで今夜は、三千文字どころか一万文字分くらいの妄想が捗るよ)
「それじゃあ、解散! 良い夜を、諸君!」
太宰は翻り、鼻歌を歌いながら闇の中へと消えていった。 残された三人は、呆然とその背中を見送る。
「……太宰さん、最後まで変な感じでしたね」
「あの人は昔からそうだ。何を考えているか、やつがれには一生理解できぬ」
「ま、いつものことだろ。帰るぞ」
三人がそれぞれの帰路につく。 太宰は、ひとり歩きながらiPadの写真を眺め、そっと呟いた。
「……やっぱり、3Pもいいけど、総攻めパターンも捨てがたいなあ。明日は敦くんを攻めの立ち回りに誘導してみようかな。ふふ、ふふふ……」
ヨコハマの夜風は、彼の独り言を優しく飲み込んでいった。 太宰治の「観測者」としての夜は、まだ始まったばかりである。
うっすらこっそりひっそりちゅやは太宰のこと好きであってほしい