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なつほ
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太宰:だざむ 中也;ちゅや 敦:あつぴ 芥川:やつがれ
ヨコハマの喧騒から少し離れた、知る人ぞ知る隠れ家的なカフェ。その一角にある広めのボックス席には、およそお互いの顔など見たくもないであろう四人の男たちが顔を突き合わせていた。
「……で、太宰さん。何故僕たちがこんなところで、ポートマフィアの御方々と茶をしばいているのですか……?」
中島敦が、目の前のコーヒーカップを震える手で持ち上げながら、隣に座る太宰治にひそひそ声で尋ねる。向かいの席には、不機嫌を絵に描いたような顔で腕を組む中原中也と、殺気すら漂わせながら紅茶を睨みつけている芥川龍之介が座っている。
「いいじゃないか敦君。今日は休戦日! たまにはこうして若手と旧世代が交流を深めるのも、ヨコハマの平和のためだよ」
「平和のためなら、まずその隣の人に蹴りを入れるのをやめてもらえませんか……」
太宰がテーブルの下で、中也の脛を執拗に爪先でつついているのを敦は見逃さなかった。
「おい、手前……さっきからチマチマと……殺すぞ青鯖!!」
「おや、中也。そんなに怒ると血管が切れて、せっかくの低い身長がさらに縮んでしまうよ。というか、君は最近、街の若い女の子たちの間でなんて呼ばれているか知っているかい?」
太宰がニヤリと、どこか楽しげに、そして最高に性格の悪そうな笑みを浮かべた。
「あぁ……? なんだそりゃ。中原さんとかだろ。それ以外に呼びようがねェだろうが」
「甘い、甘いよ中也! 君、実は一部の層から『ちゅや』って呼ばれてるんだよ」
その瞬間、カフェの空気が凍りついた。
「…………は?」
中也が呆然と口を開ける。芥川も、持っていたカップをソーサーに置く音がガタリと響いた。
「ちゅ……『ちゅや』だと!? ふざけんな! 誰だそんなふにゃけた呼び方してる奴は! 俺はポートマフィアの幹部だぞ!?」
「いやぁ、語呂がいいからかなぁ。みんな『ちゅや、ちゅや』って。可愛いよね、マスコットみたいで。君の、幹部様の威厳はどこいったの?」
「手前えええええ!!」
中也が身を乗り出して太宰の首を絞めようとするが、太宰はひらりと身をかわして、今度は敦の方を向いた。
「ちなみに敦君。君もなかなか個性的だよ。『あつぴ』だってさ」
「あつ……ぴ……!?」
敦は飲もうとしていたコーヒーを危うく吹き出しそうになった。
「ぴ、って何ですかその半濁点……! どこから来たんですかそれ!? なんか、僕なんて変な半濁点ついっちゃってますよ、それじゃまるでひよこか何かじゃないですか……!」
「あつぴ……。ふん、貴様のような軟弱者にはお似合いの呼び名だな」
今まで沈黙を守っていた芥川が、鼻で笑うように吐き捨てた。
「なっ……! 芥川に言われたくないよ! じゃあ芥川は何て呼ばれてるか知ってるの!?」
「僕は興味がない。世俗のくだらぬ噂など……」
「君はねぇ、芥川君。そのまんまだよ。『やつがれ』」
太宰の言葉に、芥川が目を見開いた。
「……は?」
「お前のもはや名前じゃなくて一人称じゃんか」
敦がすかさずツッコミを入れる。
「やつがれ……。それは僕が僕を呼ぶ際の名だ。何故それが他者から呼ばれる名になるのだ。羅生門で切り裂くぞ」
「いや、だって君、いつも『やつがれは、やつがれは』って言ってるじゃないか。もはやそれが固有名詞だと思われてるんだよ。ねぇ、やつがれ君?」
「太宰さん、その呼び方は流石に煽りすぎです……! あ、芥川、羞恥心と嬉しさで羅生門を出そうとするな! ここは公共の場だ!」
暴走しかける芥川を敦が必死に抑える。一方で、ようやく怒りが一周回って冷静さを取り戻しつつあった中也が、鋭い視線で太宰を射抜いた。
「……おい。太宰。手前、自分だけはまともな呼ばれ方してると思ってんじゃねェだろうな」
「私はもちろん、太宰さんとか、……」
「嘘をつけ。俺の耳にも入ってきてるぜ。手前は『だざむ』だろ」
一瞬、太宰の笑顔がぴくりと固まった。
「……だざむ?」
「そうだ。なんだよ『む』って。最後の一文字どこに捨ててきたんだよ。締まりがねェんだよ手前みたいにな!」
今度は中也が爆笑する番だった。
「だ、だざむ……。確かに、太宰さんのミステリアスな雰囲気が一気に消え去る響きですね……」
「敦君、君まで……。失礼だなぁ。私はもっとこう、クールで近寄りがたい二つ名が欲しかったのに。だざむって。語尾に『む』がつくなんて、まるで眠そうな子供みたいじゃないか……」
「手前にはお似合いだよ。だ・ざ・む」
「うるさいよ、ちゅや。帽子置き場の分際で」
「誰が帽子置き場だコラ! 『ちゅや』って呼ぶんじゃねェ!!」
再び始まった旧双黒の言い争いを、新双黒の二人は複雑な表情で見つめていた。
「……なぁ、芥川。僕たち、いつまでこれに付き合わなきゃいけないのかな」
「知らぬ。だが、『あつぴ』と呼ばれる貴様と共にいるのは、僕の矜持が許さぬ」
「いや、君だって『やつがれ』なんだから、もうどっちもどっちだよ……」
敦はため息をつきながら、冷めかけたコーヒーを啜った。
結局、その日の会合(という名の口喧嘩)は三時間にも及んだ。 互いのあだ名を馬鹿にし合い、最終的には「どの呼び方が一番マシか」という、中学生のような不毛な議論に発展していった。
「いいかい、整理しよう。一番可愛いのは『ちゅや』。一番意味がわからないのが『あつぴ』。一番手抜きなのが『やつがれ』。そして一番親しみやすいのが『だざむ』。……完璧だね」
「勝手にまとめるな! 俺のどこが可愛いんだよ! 重力操作で潰すぞ!」
「あつぴ……あつぴ……。貴様、その呼び名、今すぐ捨ててこい。僕の不快指数が上がる」
「捨てられるなら捨ててるよ! 勝手につけられたんだからしょうがないでしょ!」
文句を言い合いながらも、不思議と四人の間に流れる空気はどこか柔らかかった。かつて命を削り合って戦った宿敵同士であるはずの彼らが、今こうして、どうでもいい「あだ名」の話で熱くなっている。 夕暮れ時の光が窓から差し込み、長い影をテーブルに落とす。
「……ふん。まぁ、たまにはこういうのも悪くねェか。だざむ」
中也がわざとらしく、ニヤリと笑って太宰を呼んだ。
「やめてよちゅや。鳥肌が立つ。でも、そうだね。君たちがヨコハマを守って、世間の平和な子たちが僕たちの名前で遊べるくらい、今は平穏だってことだ。……あつぴ君と、やつがれ君にとってもね」
太宰がふっと、いつになく優しげな表情を見せた。
「太宰さん……」
「太宰さん。……感謝します」
芥川が深々と頭を下げたが、その顔には少しだけ、いつもの険しさが消えていた。
「よーし、じゃあ今日は僕のおごりだ! 中也の財布でね!」
「やっぱりそう来るかよ手前!!」
中也の怒声が店内に響き渡ったが、誰も本気で怒っている者はいなかった。 ヨコハマの街に夜の帳が下りる頃、四人はそれぞれの帰路につく。 武装探偵社へ戻る道すがら、敦はふと思い出したように自分の頬を指で突いた。
「……あつぴ。……まぁ、そんなに悪くないのかな。……いや、やっぱり恥ずかしいよ!」
独り言を呟きながら赤くなる敦の背後で、マフィアのビルへと向かう芥川もまた、口元を隠して呟いていた。
「……やつがれ。……ふん」
その声は、どこか満足げだった。
そして翌日。 探偵社のホワイトボードには、何故か大きく「だざむ( ˘ω˘ )」と書かれていた。 それを見た国木田独歩の怒号が響き渡るまで、あと五分。 平和なヨコハマの朝は、今日も賑やかに始まろうとしていた。
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