コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「一体何が、どうして?」ユカリの求める答えは誰も持ち合わせていない。
同じ呪いでも生者たちの行進は死者たちよりも速い。ぎこちなさはまるでなく、よく訓練された兵士のように呪いの命ずるままに敵を追う。
「ユカリ!」とソラマリアが鋭く発し、ユカリの死角に迫っていた死者を剣の腹で打ちのめした。
「ありがとうございます!」ユカリは暴れ馬のような頭の混乱をどうにか収めるべく集中する。「とにかく解呪です。解呪すれば生者も死者も解放されるはずですから」
「つまり琵琶だな」
ソラマリアは覚悟を決めて、琵琶の棹を握って構える。
その時、自称ラミスカが手のひらをいっぱいに広げ、『虚ろ刃の偽計』に呪われた生者たちの方に向ける。すると今や見る影のない八つの太陽とは比べるべくもない真の陽光の如き光が溢れ返った。もう一方の手のひらもまた同様に光を放ち、周囲に向ける。そうして軽快な足の運びで掌の中の眩い光を振り回す様は黄金の鞠で遊ぶ子供のようであり、太陽を翻弄したという古の女神のようでもあった。すると光に目を眩まされた歩く死者たちの間に混乱が生まれる。
ユカリにも自称ラミスカの癒しの魔法が凄いことは分かっていたが、こちらも分かりやすく派手な魔法だ。
「死者たちの方には効果覿面だね。こっちの存在を忘れたみたいに彷徨い始めてるよ」と自称ラミスカは己の功績を分析する。「だけど砦の連中は、眩しがってはいるが歩みは止まらないね。いや、少しばかり躊躇いがあるかな」
「わ、私も!」
ユカリは生者たちの方に魔法少女の杖を向け、水を噴出する。ただし高水圧ではなく大水量で、押し寄せる人の群れを面で押し返す。それにただ呪いに操られているだけの人たちを穿つわけにはいかない。辺りを泥濘にして受け止められる分、風で吹き飛ばすよりは傷を増やさないだろうという思惑もあった。
「ソラマリアさん! 今の内に!」
【ソラマリアに躊躇いはあったが、魔法の弾き手に躊躇いはない。ソラマリアの鍛えられた指が素早く爪弾く。繊細な演奏だ。水底を揺蕩うような低音域の調べが辺りに染みわたる。
音が空気の振動ならば、その琵琶の音は確かな脈動だ。それはどれほど小さな生命にも宿る旋律であり、死を隔絶する力であり、淀みなく進む歩みだ。それは大地の奥の軋りであり、木々の吸う水の流れだ。
ソラマリアのよく知る、知らないはずの響きだ。壁の向こうから、地平の向こうから、記憶の彼方から響いてくる。しかしソラマリアを呼ぶ者はいない。聞こえてくるのは常にソラマリアの呼び声だ。
その剣がソラマリア自身であるように、その響きがソラマリア自身だった。学びの供も戦いの供もそばにいない。ただ孤独のみを供にして音色が戦場跡を駆ける。
ただ常に敬慕すべき女神が見守ってくれているのだと感じている、恐れるもののない戦士だ。理念も栄誉もなく、ただ高く高く高く積み上げられる犠牲だけが戦士の喜びだった。
剣を振るうように爪弾くと、軍団から逃れるように突出して楽の音の先駆けが呪われた平野を走る。戦意無き死者を刺し貫き、士気無き生者を斬り伏せた。敬愛する女神に導かれるように迷いなく、カードロアから溢れ出し、東から北、西へと渦巻く残留呪帯を打ち崩し、南の国境の大規模魔術、亀裂蓋に押し寄せる貪欲な呪いを打ち倒す。
連なる牙を前にした子兎のように、平野に散乱する呪われた武具が小刻みに震える。赤子が母にするように呪われた死者は封じられた大地に縋りつき、過ちに気づいた咎人のように呪われた生者は過ぎ去った戦地に跪く。
魔法を知らぬ金属ならばそうであるように、広きケドル領に散らばる呪われた武具は数十年を経たことを知り、朽ちて罅入り、崩れて砂に還った。
旧都カードロアの死者たちが地に伏すと、新カードロア砦の生者たちは悲鳴をあげ、ある者はひっくり返り、ある者は砦へと逃げていく。】
その困惑ぶりを見るに呪われていたこと自体に気づいていないのだろう、とユカリは推測する。そしてその狂乱も問題だが、蟲の呪いと違って今回は呪いが再発する様子がない。にもかかわらず魔導書が現れる様子も、祟り神が現れる様子もない。魔導書を得る方法の仮説に再び修正を加えなくてはならないらしい。
呪いを解くのでもなければ、祟り神を調伏するのでもなければ一体何をすればいいのだろう。
ソラマリアが少し恥ずかしそうに弦から手を離すと聞く者の魂の奥底にまで流れ込んでいた重低音が止んだ。
呪いが収まったのを確認し、自称ラミスカは手のひらの陽光を隠してしまうと、一仕事を終えたと言わんばかりにもったいぶったため息をつく。そしてユカリに向き直る。
「別にあんたがいなくても何とかなったね」
自称ラミスカから発せられたその言葉の妙な刺々しさにユカリは面食らう。確かに呪いを解いたのはソラマリアで、かつ自称ラミスカだけでも呪われた者たちを抑えられたのかもしれない。しかしユカリもまた危難を退けるのに貢献したのは事実で、何の脈絡もなしにそのようなことを言われる筋合いはないはずだ。
困惑のあまり考えていたことをユカリが言葉にできないでいると自称ラミスカは言葉を重ねる。「もうオンギ村に帰っても良いんじゃない?」
ユカリの心が急激に沸騰するが、それこそが自称ラミスカの狙いであり、挑発であると自分に言い聞かせる。
「突然なんですか? なんでそこまで言われなくては……何が言いたいんですか?」
「外は危険でいっぱいだ、なんて魔導書から遠ざけるために言い聞かせてきたけど。まさか自分から飛び込むだなんてね。エイカに比べれば聞き分けの良い子供だと思っていたんだけど、そこに関してはよく似てるよ」
ユカリの知っている者たちの中で、その言い草が当てはまる人物は一人しかいなかった。
確かにその可能性に思い至ると新たな星を見つけた天文学者のように喜び、吉兆を求める占星術師のように何度も何度も思いを馳せたが、いざ現実味を帯びると僅かに不気味さを感じた。
ユカリは唾を飲み込み、信じられない気持ちで目の前の少女に恐る恐る尋ねる。「義母さん、なんですか?」
自称ラミスカは両腕を広げてくるりと回り、揶揄うように凛々しい眉を上げ、白い歯を零して見せる。その笑い方も、明るい茶髪もよく似ていることにユカリはようやく気づく。
「見て分かんないかい?」
「分かるわけがないです! 大体! そもそも!」
ユカリは聞きたいことが多すぎて何を言えば良いのか分からなくなる。
「待て。とりあえず一度砦に戻らないか? 解呪したことを皆に説明した方が良いだろう」とソラマリアが提案する。「それに、細かい事情は知らないが、話せば長くなりそうだ。それに不躾だが、まだ証明できていないだろう?」
つまり自称ラミスカが義母ジニである証明が、だ。自称ラミスカは見た目にはユカリと変わらない十代の娘に見える。しかし本来義母ジニは五十を超えており、今となってはそれすら怪しい。もっと年老いていても、もっと年若くてもおかしくない。何せ魔法使いであり、かつ家族にさえ死を偽装する嘘つきだということになるのだから。
言葉少なにユカリとジニは同意し、三人は砦に戻ることに決める。
砦に戻るとまず最初に広場、あるいは瓦礫がないだけの場所に集まり、錯綜する即席の噂に翻弄される人々に説明した。呪いを解く旅をしていること。そしてその解呪を終えたこと。これに関してはシシュミス教団の方から元々簡単に説明されていたらしい。そのために驚きも少なかったようだ。
まるで遠い異国の見知らぬ王と臣下たちが聞いたこともない怪物を打ち倒した武勇伝でも聞かされているかのように、人々は地続きに感じない現実を受け入れようと苦心していた。
自分たちがさっきまで砦の外にいたことを不可解に感じつつも、呪われていた実感がないようで、ソラマリアがケドル領を解呪したことも目にしていなかったため、腑に落ちないようだった。とはいえ平原を覆っていた、彷徨う呪われた死者たちが地に還っている有様を見て最終的には納得した。
その後、広場の端の丁度いい具合の瓦礫に腰を落ち着け、ユカリと自称ジニは言葉を交わす。ソラマリアは遠慮して少し離れた場所で見守っていた。
そして自称ジニは間違いなく義母ジニだった。家族しか知らないありとあらゆる思い出を語った。中にはユカリさえ覚えていないものもあった。
そうだと分かって、しかし今までに何度も想像していた感動の再会とはいかなかった。多くを隠していること、それが魔導書に関するものだということ、そしてユカリこと愛娘ラミスカを想ってのことだろうということ。どれか一つであれば、ユカリは自身の取るべき態度が分かるが、それらが混然一体となってぎくしゃくした。
「義父さんにも隠してたんですか?」ユカリは精一杯責めるような眼差しを向ける。
「これに限ったことじゃないけど、ルドガンには隠し事ばかりさ」とジニは寂しげに自嘲気味に呟く。「元気にやってると良いんだけど」
「他人事みたいに言いますね。オンギ村は義父さんの故郷なのに。あんなことがあって、もう戻れないんですよ」義母からは何の言い訳も釈明も返って来なかった。「それで? 何が目的で死んだふりなんてしたんですか? さっきは巨人の遺跡が目当てだって言ってましたね。それと何か関係が?」
ジニは愛おしむように娘の紫の瞳を見つめる。
「それはまだ話さない」
「へぁ?」驚きのあまりユカリは変な声が出た。「何が!? どういうことですか!? この期に及んで。何を隠すことがあるんですか?」
「まだ話すべき時ではないんだよ」
「そんなことないですよ。じゃあ私のことなんですよね? 私自身も知っていた方が良いに決まってます。私にだって何かできるはずです」
「いや――」
「私が! 義父さんが! 手紙で死を伝えられただろう兄姉たちが! どれだけ悲しい思いをしたか、今もしているか分かんないんですか!? それなのにその理由さえ――」
涙声で叫んで勢いよく立ち上がるユカリの肩にソラマリアの手が置かれる。「ユカリ。怒りは秘めてこそ己の力になるものだ」
ユカリは犬のように荒くなった息を整え、再び瓦礫に座り、居住まいを正し、義母と向かい合う。
「後々、やっぱりあの時喋っておけばよかった、なんてことになりませんか?」
「ああ、少なくとも今はそう思ってるよ。話さないのは意地や虚勢なんかではなく、冷静に考えた末の最適な、いわば作戦なんだ。作戦を成功させるか、あるいはより良い作戦を思いつくまでは話せない」
ユカリは磨き上げられた紫水晶のような濡れた瞳を拭い、縋るような思いで尋ねる。「それは私のための作戦なんですよね?」
「ああ。あたしはいつだってラミスカのことを想っているよ」
久々にジニの強くて優しい眼差しに見つめられ、ユカリは再び瞳を滲ませる。