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第11話:朱い霧の脱出行と迫る蜘蛛の糸
1.(ロストール強襲とカトリーヌの離反)
「貴様の右腕は――あの人類最大の罪人、エドワード・ヒューストンの『罪』そのものだ」
ウェルズリー准将が冷酷に突きつけた鉄の棒を、アランは憎悪に満ちた瞳で見つめ返していた。アランを背に庇うカトリーヌ准佐の背中が、緊張でわずかに強張るのが伝わってくる。
「撃て」
准将の乾いた命令が下され、周囲の兵士たちが引き金に指をかけた、まさにその瞬間だった。
朱い霧の奥から、大気を裂くような奇妙な「軋み音」が響き渡った。地鳴りが起き、地面が激しく振動する。
直前のバンチャーとの激戦の爆発音、そしてアイアン・デューク号の凄まじい排気音が、最も最悪な存在を引き寄せてしまったのだ。
「迷い子(ロストール)だッ! 大群が来るぞ!」
斥候の悲鳴のような叫びと同時に、霧を割り、赤い筋繊維の塊と化したおびただしい数の異形――通常個体「ロストール」の群れが津波のように押し寄せてきた。
「規律に従い、防衛陣形を展開しろ! 旗艦を守れ!」
ウェルズリー准将の冷徹な号令が響き、現場は一瞬にして血と硝煙が渦巻く戦場へと変貌する。
押し寄せる赤の濁流。兵士たちの隊列が乱れ、銃撃の咆哮が響き渡る中、カトリーヌがアランに向き直った。彼女は煤に汚れた顔で、しかし力強く不敵に笑ってみせる。
「行きな、小僧! あんたはこんなところで死ぬべきじゃない!」
「カトリーヌ……!」
「ここは私が食い止める。さっさと走りな!」
カトリーヌは過熱した蒸気ボルト銃を構え直すと、アランに背を向け、押し寄せるロストールの群れの中へと果敢に飛び込んでいった。
アランは彼女の背中を一瞬だけ視界に焼き付け、混乱を極める戦場から、朱い霧の彼方へと身を躍らせた。
2.(右腕の暴走と、手遅れの「マザーズ・クライ」)
戦場の喧騒が遠ざかる頃、アランの足取りは急速に重くなっていった。
路地裏の影に逃げ込み、壁に手をついた瞬間、右腕の奥から火傷のような凄まじい超高熱が這い上がってくる。
「う、あ、……つ……っ!」
肘から先が「黒金色」に染まり、本人の意思に関係なく、刃や顎のように不気味に蠢き始める。先の戦闘で右腕を酷使した代償はあまりにも大きく、ウイルスの浸食が牙を剥いていた。喉を焼くような悍ましい「飢餓感」がアランの理性をガリガリと削っていく。
アランは震える左手で懐をまさぐり、変異抑制剤「マザーズ・クライ」の小瓶を取り出した。
だが、そのガラス瓶は先ほどの爆風に晒されたせいか、中央から無惨にひび割れていた。中身の薬液は、すでに一滴残らず零れ落ち、アランのポケットの布地を虚しく濡らしているだけだった。
「そんな……嘘だろ……」
頭の中が真っ白になる。
このままでは、自我を失い、あの知性のない「ロストール」に成り果ててしまう。
(まだ死ねない。あの男を……エドワードを殺すまでは、怪物になるわけにはいかない……!)
薄れゆく意識の淵で、アランの脳裏に浮かんだのは、ノーチラス号で過ごした温かな日常と、彼を人間として繋ぎ止めてくれるリーザ、そしてギリアムの顔だった。
二人の元を去ったはずの足は、生への執着と復讐の執念に突き動かされ、無意識のうちにノーチラス号の隠しルートへと向かっていた。
3.(街に伸びる「縫い手の糸」)
高熱に浮かされ、泥のように重い身体を引きずりながら、下水道の暗渠(あんきょ)を進むアラン。
しかし、暗闇の中で彼の瞳が、ある違和感を捉えて止まった。
古びた煉瓦の壁に、粘着質で不気味に赤黒い「糸」が、まるで血管のようにびっしりと張り巡らされている。
「これは……『縫い手(ステッチャー)』の……?」
それは、エドワードが放った、追跡と捕獲に特化した変異個体の這い跡だった。
アランは心臓が凍りつくような感覚に襲われる。その赤い糸は、一本、また一本と合流し、太い束となって下水道の奥へと伸びていた。
その先にあるのは――リーザとギリアムが潜む、ノーチラス号のドックだった。
「俺を追ってきたのか……? いや、違う。あいつらの狙いは、最初から……!」
巻き込みたくないからこそ、一人で街を彷徨っていたはずだった。それなのに、自分の存在そのものが、大切な二人を地獄へと引きずり込もうとしている。
アランの心に、肉体の限界を遥かに超える絶望と、激しい焦燥感が火をつけた。
「行かせるか……っ! 触れさせない……!」
右腕の繊維が悲鳴のような軋み音を立てる中、アランは残された全ての力を振り絞り、赤い糸が示す悪夢の先へ向けて全力で走り出した。
4.(ノーチラス号の再会と、カトリーヌの合流)
「アラン……!? しっかりして!」
ノーチラス号の頑丈なハッチが開き、転がり込んできたアランの身体を、リーザが必死に支えた。アランの右腕はすでに黒金色の繊維が肩口にまで及びかけ、呼吸は荒く絶え絶えだった。
ギリアムが素早い手つきでアランの首筋に「マザーズ・クライ」の予備を突き刺す。
薬液が身体に回り、右腕の侵食が辛うじて引いていく中、アランはリーザの制止を振り払って叫んだ。
「ギリアム、リーザ……今すぐ、ここを捨てろ! 『縫い手』が、エドワードの追跡者がここに向かってる!」
その緊迫した言葉が終わるか終わらないかの瞬間、ノーチラス号の外壁を乱暴に叩く金属音が響き渡った。
ギリアムが即座に義眼を光らせ、ボルト銃の安全装置を外す。アランも侵食の痛みに耐えながら、右腕を再び武器の形へと変形させようとした。
しかし、ハッチの向こうから聞こえてきたのは、聞き覚えのある不敵な、だがひどく疲弊した女性の声だった。
「おいおい、手荒な真似はよしてくれよ。せっかく組織を裏切ってまで、ここを嗅ぎ当てたんだからさ」
ハッチがゆっくりと開くと、そこには傷だらけになり、王立防衛軍の紋章を自ら引きちぎったカトリーヌが立っていた。彼女はハッチの縁に寄りかかり、苦笑いを浮かべる。
「あの堅物准将のやり方には、もう愛想が尽きてね。恩人を怪物呼ばわりして後ろから撃つのが『鉄の外套』の正義なら、そんな規律、こっちから願い下げだ」
彼女は銃身の冷えた蒸気ボルト銃を肩に担ぎ、アランを見据えた。
「行き場がなくなっちまってね。小僧、アンタのその『父親殺し』の旅路――私にも一枚、噛ませてもらいにきたよ」
アランを取り巻く、呪われた「Woven」の宿命。
それは、その残酷な糸の隙間に、カトリーヌという新たなそして力強い信頼の糸が、今、確かに織り込まれた瞬間だった。
コメント
1件
第11話、読み終わりました…!もう、手に汗握る展開の連続で、息を止めて読んでしまいました。まず、カトリーヌが組織の紋章を自ら引きちぎってアランのもとに駆けつけるシーン、痺れましたね。あれはもう、彼女なりの「信頼」の証であり、覚悟の表明ですよね。そして何より、マザーズ・クライの瓶が割れていて「嘘だろ…」と呟くアランの絶望感が、こちらまで胸を締め付けられました。右腕の暴走描写も生々しくて、焦りと痛みがひしひしと伝わってきました。そんな中でも、リーザたちの元へ向かう足…そこに彼の執着と人間らしさが滲み出ていて、本当に繊細な心理描写だなと思いました。次が待ち遠しいです!🌷