テラーノベル
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私が目覚めた時、其処は何一つ変わらぬ武装探偵社で、窓の外には西日が輝いていた。私は、私らしく見せるためだけに、死にやしない入水自殺をしたのだ。案の定、死に切れず川を流れていた際に敦君に見つかって、救命か、殺害か分からぬ醜態を見せつけたのである。
不覚にも大嫌いな、夕日色の髪をした男の顔が頭に浮かぶ。私は今まで、森さんや織田作、安吾にも見せたことがないほどの惰性をその男に晒している。
嘔吐するほどむせ返っても、一夜を泣いて過ごしても、どれだけ死にそうな顔をしていても、男は何一つ悪態を吐かないのだ。
無論、胸の中で吐いている可能性は高い。だが、常に殺しにかかってくるような悪口の飛び交う男だった彼が悪態を吐かず、嫌いな私の身の回りのことをやってくれているのである。中身はとても優しい男なのだ。
このような醜態を男ではない何者かに晒すようなことがあったのならば、私の自尊心は完全に破壊されて、立ち直れない事だろう。
しかし、何故か男にそれを晒すのは悪い気がしないのだ。むしろ、優しくしてくれるようになり、少し嬉しいとまで思ってしまっている。
男に対して、そう思っている自分が不快でならない。
「この、唐変木があ!! お前は何故仕事をしていない!! お前のせいで既に俺の理想が崩れている!!
国木田独歩。正義感が強く、理想至上主義者。少し周りに厳しすぎる点さえ除けば、とても優しい男である。
その声は私のことを奮い立たせるようであった。良くも悪くも、頭に残るのだと思う。
「まァ、落ち着き給えよ国木田君」
「このような状態で落ち着けるか!!」
「少しくらい良いじゃないか。私がやらなくとも他のみんながやってくれるだろう?」
「そういう問題ではない!」
神経質な点もあるけれど、そこもまた彼の魅力的な部分である。それこそ、怠惰に生きる私からすれば、奮い立たせてくれるその声はとてもありがたいことだ。
私の中の醜い、僕と呼ぶ部分を誰にも知られず済むから。
僕の醜い部分を知っているのも、僕の身の回りのことをしてくれるのも、一人だけで良い。
その役は口が悪くて意地っ張りで、チビで単純な、でも、罪の意識で僕の身の回りのことを一から十までしてくれる、心優しい夕日色の髪をした男だけでいいのだ。
僕はその男が大嫌いだけれども、その反面で全てを知っていて欲しいとも思うのだ。僕一人では抱えきれない罪状も、死にたいと思う理由も、僕の事を何もかも、吐いた嘘など一瞬で暴かれてしまうほどに全てを知って欲しい。
僕が自死を図った際に死なせまいと必死になる彼の姿が僕は凄く好きだ。それだけで僕はまだ、僕を必要としてくれる人がいるのだと思えるのだ。
そう思っているのだが、未だ彼を大嫌いなままなのは何故なのだろう。
「お前のせいで俺達の仕事は一時間二十五分十七秒遅れた。取り返してほしいものだ」
「まァ、そんな日があっても良いじゃないか」
「お前の場合はそれが毎日だろうが!」
「失礼な。私だってやる時はやるのだよ?」
時間は何事もなく進み行くのに反して、僕の気持ちは一点に漂い続けている。大人しく波に乗ることすら出来ない。クラゲにすらなりきれず、マンボウよりも弱い。
理解しているはずの現実は僕を叩き落とすようで、あまりにも眩しすぎて直視出来ないものである。
仕事を終えて、普段よりも小さな歩幅で帰路を辿る。足元の影が長く伸びる。日が傾いて、東側は既に薄暗くなっている。
西日に焦がれる街並みが、ひたすらに、虚しい。
探偵社から大した距離のない位置に立つ社員寮の扉を開く。薄暗い中に見える扉の奥に光が灯っている。暖かい色の明かりに、人影が少し映っている。
引きつけられるように奥にある光欲しさに扉を開ける。
「また入水自殺を図ったらしいな。良い加減、死にたがる癖を何とかしたらどうだ」
その狭い部屋に座っている、小洒落た帽子を被った小柄な男は僕を見上げてから立ち上がって、台所の方へ足を踏み入れた。
明かりの中に飛び込み、そこにある景色にこれまでにないほど、安心する。
「……中也」
泣きそうな声が思わず溢れる。決して泣きたいわけではない。なのに、勝手に溢れ出してくる。
不意に、いつからか肌身離さず着ている薄茶色の外套をぎゅっと掴んでいた。その様の自分が醜くて、俯くことしか出来ない。なのに涙は止まらぬままで、嗚咽すら漏れてしまいそうになる。
「何で泣くんだよ。俺、そんな厳しい言い方してねーだろ」
心配そうに眉を寄せた男が僕を覗き込む。小さいから、体を少し傾けるだけでこちらのことを見ていた。
「ちがっ、そうっ、じゃ…ない……」
嗚咽混じりの声は部屋中に汚く響いた。
心配そうに僕を眺める男の顔を見ると、少し安心する。
「じゃあ何なんだよ」
面倒だと言わんばかりの声を出す男は僕を落ち着かせるつもりなのか、僕の背をさすっている。
人間は身体的にも心理的にも、背をさすられると安心すると、本で読んだことがある。それは、背は人間の死角であるからで、信頼や愛情を表していることが多いのだそうだ。
事実、僕は背をさすられると安心する。
しかし、男はこのようなことを知って、背をさすっているわけではないだろう。本などを嗜むような人ではないことを僕は知っている。
「分かんないっ、分かんないのっ…」
僕は言いながら首を振る。すると、ぴたりと僕の背をさすっていた男の手が止まった。
「とりあえず座れよ。お前が落ち着くまではそばに居てやる」
男は椅子をとんとんと叩き、僕に座ることを促す。僕は断る理由もなく、大人しくその椅子に腰掛けた。
男はその隣に椅子を持ってきて、腰を下ろして、またも僕の背をさすった。
男も泣き喚く僕を置いて仕事に行くほど薄情ではないようだ。
僕の涙は止まらぬまま、嗚咽が漏れ続けるばかりであった。
「何でさらに泣くんだよ、鬱陶しい」
男は不満気に言う。無理もないだろう。
好きでもない、むしろ嫌っている奴が泣き喚くのを宥めることがどれだけ面倒なことであるか、僕は嫌と言うほど知っている。
しかし、僕の目から溢れ出す雨はやまぬまま、僕の心の醜さを少し流していった。
アオイ
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コメント
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うわ、これは…読んでて胸がぎゅっとなりました。太宰の「嫌いなのに全部知っててほしい」っていう相反する感情、すごくリアルで切ないですね。背中をさすられるシーン、あの安心感の描写が秀逸で、中也の優しさがじんわり伝わってきました。キャラクターの関係性が深く描かれていて、引き込まれます。