キーボードの前に座る涼ちゃんの背中は、昔より少し小さく見えた。
「キーボード担当、涼ちゃんです」
紹介されるたび、胸の奥がきゅっと縮む。
その言葉自体は、間違っていない。
でも最近は、それが**“居場所を限定される言葉”**みたいに聞こえた。
(俺は、キーボード弾いてればいいんでしょ)
リハーサル中、元貴と若井が意見を交わしている。
曲の構成、煽り、MCの流れ。
涼ちゃんは、黙って鍵盤を見つめていた。
「……ここ、少し抑えめでいくね」
誰に言うでもなく、音量を下げる。
前なら「どう?」って聞いていた。
今はもう、聞かない。
どうせ、答えは決まってるから。
本番が終わり、拍手が鳴る。
ファンは笑顔で「涼ちゃんー!」と叫んでくれる。
なのに、心は冷えたままだ。
楽屋に戻ると、涼ちゃんは隅の椅子に座り、キーボードケースに手を置いた。
大事なはずの相棒なのに、今日はやけに重い。
(俺が弾かなくても、成り立つよな)
そんな考えが、頭から離れない。
「涼ちゃん、今日の音よかったよ」
元貴が声をかける。
昔なら、それだけで救われていた。
「……ありがと」
笑顔は作れる。
でも、目は合わない。
若井はその様子を見逃さなかった。
涼ちゃんが、少しずつ“自分を引っ込めていく”感じ。
その夜、ひとりで帰る道。
イヤホンから流れるのは、昔3人で作ったデモ音源。
キーボードが前に出て、自由で、楽しそうで。
「……戻れないな」
呟いた声は、夜に溶けた。
最近の涼ちゃんは、
・必要以上に前に出ない
・意見を言わない
・褒められても信じない
ただ「キーボード担当」として、
無難に、静かに、壊れないように存在しているだけ。
それが一番、楽だから。
でも――
心の奥では、確実に何かが削れていた。
音は出せる。
指も動く。
ステージにも立てる。
それなのに、
(俺、ここにいる意味ある?)
その疑問が、闇の入口だった。
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