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冬の空は澄んでいて、どこまでも広がっていた。
僕は足を止め、ふと空を見上げる。
──もう、刹那には会えない。
その事実を噛み締めるたび、胸の奥にぽっかりと穴が空いたような感覚になる。
今日は久しぶりに、あのカフェに向かっていた。
いや、本当はずっと避けていた場所。
最後に刹那と会った場所。
カフェのドアを押すと、店内の暖かい空気が包み込んだ。
「いらっしゃいませ」
聞き慣れた店員の声がする。
視線を奥の席に向ける。
──そこには、誰もいない。
分かっていたはずなのに、胸が少し痛んだ。
ゆっくりとその席に向かい、腰を下ろした。
刹那がいつも座っていた向かいの席をじっと見つめる。
「ご注文は?」
「あ……コーヒーを」
運ばれてきたコーヒーの湯気が、かすかに揺れている。
僕はスマホを取り出した。
メッセージでも残っていたらよかったのにな。
今さら、後悔しても遅いのに。
「……また、会いたいな」
ふと、呟いた言葉が空気に溶ける。
そのとき、店のドアが開いた。
「……?」
反射的に顔を上げる。
そこに立っていたのは──刹那に似た雰囲気の誰かだった。
「……?」
目が合う。
でも、違う。
──刹那ではない。
似ているけれど、刹那じゃない。
視線を落とし、冷めかけたコーヒーを口に運んだ。
そのとき。
「……もしかして、桜井さん?」
声がした。
驚いて顔を上げる。
そこに立っていたのは、刹那に似た雰囲気の人物──けれど、全く別の誰か。
「俺……柊刹那の弟なんです」
心臓が一瞬、止まったような感覚に陥る。
「え……?」
「ずっと探してました。あいつのこと、知ってる人を」
言葉が出てこなかった。
自分以外に、刹那のことを知っている人間がいた。
「少し、話せますか?」
コーヒーを持つ手が震えているのを感じながら、それでも、ゆっくりと頷いた。
──
「……刹那は、どんな人でしたか?」
カフェの片隅。
刹那の弟は、まっすぐに僕を見つめていた。
「どんな……」
言葉に詰まる。
どんな、なんて。
──優しかった?
──気まぐれだった?
──掴みどころがなかった?
どれも違う気がするし、どれも正しい気がする。
「……変なやつ、だった」
結局、そう答えるのが精一杯だった。
刹那の弟は小さく笑った。
「……やっぱり、そうなんですね」
「え?」
「おれ、あいつのこと、よく知らないんです。小さい頃に別々に暮らしたから」
「……そう、なんだ」
「でも、たまに手紙が届いてました」
そう言って、バッグから少し古びた封筒を取り出す。
「……刹那の?」
「はい。最後の手紙です」
封は開かれていた。
手紙の端には、小さな染みがついていた。
刹那の弟は、それを僕の前にそっと置いた。
「読んで、いいんですか?」
「たぶん……あいつは、桜井さんにも読んでほしいと思います」
僕は、そっと手紙を開いた。
──
『元気にしてる?』
最初の一文を読んだだけで、胸が締め付けられた。
軽くて、けれど、どこか優しい筆跡。
『ねぇ直斗(弟の名前)。お願いがあるの。これが最後のお願いだから聞いてほしいな。桜井渉っていう人に伝えてほしい。この手紙を渡してほしい。』
『渉。この手紙を読んでいるという事は出会えたんだね。気づいてる?私はもうこの世にはいない。まぁこの手紙を書いている私はまだ生きているんだけど。もうすぐ消えてしまう。でも、消えるのは怖くない。今までみたいに、ただ生きてるだけの毎日はつまらなかったからね。』
指先が震える。
『突然目の前に現れて、突然目の前から消える。そんな自分勝手な事をしてしまって、渉は困惑してるよね。ごめんね。私は渉と過ごした時間はとても楽しかったよ。私はもう存在が消えてしまうけど、渉は私の事忘れないでほしいな。また自分勝手なお願いをしてるね、ごめんなさい。
渉はすぐに自分の気持ちを隠すよね、もしかしたら自分の気持ちさえ気づいていないのかもしれないけど。そんなんじゃ誰にも助けてもらえないよ。偉そうな事言うけどもっと素直になりなさい。自分にも。』
『最後に、さようなら、そしてありがとう』
視界が滲む。
刹那。
──ずっと、何を抱えていたんだ。
「……あいつは、最後、どんな顔をしていましたか?」
目の前の弟の問いかけに、僕は唇を噛んだ。
──笑っていた。
最後に見た刹那の顔を思い出す。
気まぐれで、優しくて、どこか儚げで。
「……笑ってた」
それだけを、静かに答えた。
刹那の弟は、少しだけ安心したように微笑んだ。
「きっと、それなら良かったんだと思います」
「……うん」
震える手で手紙を閉じた。
刹那は、いなくなった。
もう、二度と会えない。
けれど。
「……俺は、忘れない」
それだけは、確かだった。
でも、それだけじゃない。
刹那がくれたものは、ただの思い出じゃない。
刹那と過ごした時間が、今の自分を変えた。
これから、僕はどう生きる?
ずっと塞ぎ込んでいた心に、小さな灯がともるような感覚がした。
コーヒーを飲み干し、立ち上がる。
このままじゃいけない。
刹那がいた時間を、無駄にしたくない。
もう一度、前を向こう。
今度こそ、自分の人生を歩いていくために。
カフェのドアを押すと、冷たい風が吹き込んできた。
けれど、それはどこか心地よかった。