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第9話:新世界(最終回)
甘やかな夜が明け、ミュンヘンの空に清々しい朝の光が差し込んでいた。
カーテンの隙間からこぼれる柔らかな陽光が、ベッドの上を白く照らす。俺は腕の中に残る、愛おしい温もりを確かめるようにゆっくりと目を覚ましました。
「……ん 」
胸元で微かに身じろぎをしたネスが、長い睫毛を震わせながらそのハシバミ色の瞳を開く。
その瞳を見た瞬間、俺の胸に温かい安堵が広がった。そこに宿る光は、記憶を失っていた頃の怯えた他人行儀なものでは決してない。俺のすべてを全肯定し、熱を孕んで真っ直ぐに俺だけを映し出す、紛れもない『俺の魔術師』の瞳だった。
「おはよう、カイザー」
「 ああ。よく眠れたか、ネス」
ネスはふわりと愛おしそうに微笑むと、自ら俺の胸に顔をうずめ、背中に細い腕を回してきた。その自然な甘え方に、俺の心臓は切ないほどの愛おしさで跳ね上がる。
「すごく、幸せな夢を見ていました。……いいえ、夢じゃありませんね。ちゃんとあなたの体温があって、ここに僕の大好きな王様がいます」
「当たり前だ。お前が俺を忘れて泣いていた夜も、俺はここにいただろ」
俺が意地悪く囁くと、ネスは顔を真っ赤に染めて俺の胸を軽く小突いた。
「もう、そのお話はしないでください……! 思い出すだけで恥ずかしくて、胸が張り裂けそうです。僕、あなたに『ひとりにして』なんて酷いことを……」
「気にするな。お前の安い脳みそがバグってただけだって、言っただろ」
俺はネスの顎をそっと指先で掬い上げ、まだ少し眠たげなその唇に、優しく、けれど深くキスを落とした。触れ合う唇から、互いの体温がじわじわと染み込んでいく。
「ネス。お前が俺を忘れても、何度だって惚れ直させてやるって言った言葉、嘘じゃねぇからな」
「 はい……。記憶がなくても、僕の心は最初からあなたに溺れていました。カイザー、僕のこれからの人生も、僕のこの命も、世界の果てまで全部あなたに捧げます。愛しています 僕の神様」
朝の光の中で交わした、二度目の、そして何よりも強固な愛の誓い。
かつての狂信的な主従関係を超え、試練を乗り越えた俺たちは、お互いがお互いのすべてであるという確信を、より深くその魂に刻みつけていた。
*
それから数週間後。俺たちは、事故以来初となる公式戦のピッチに立っていた。
超満員のスタジアム。
地鳴りのような大歓声と、眩しいカクテル光線。緑の芝生の上に立つと、一瞬だけ、あの激しい雨の音と、ひしゃげる金属の轟音が脳裏をよぎる。身体が微かに強張るのを、俺自身、否定できなかった。
トラウマ――どんなに強靭なアスリートであっても、死にかけた記憶は肉体に深く爪痕を残す。
だが、その恐怖は、背後から近づいてきた男の手によって一瞬で消し去られた。
「カイザー。僕が後ろにいます。あなたの行く手を阻むものは、僕がすべて排除します」
振り返ると、背番号『14』を背負ったネスが、不敵な、そしてこの上なく美しい微笑みを浮かべて立っていた。あいつの瞳には、恐怖の破片などひとかけらも残っていない。ただ、俺を世界の中心に立たせるという、果てしないエゴと執念だけが燃え盛っていた。
「ふん……。誰に口を利いてる、ネス。俺が誰だか忘れたか?」
「いいえ。世界一のストライカー、ミヒャエル・カイザー。僕の、たった一人の王様です」
トン、とネスが俺の背中を、かつてのように力強く叩く。その瞬間、俺の身体にまとわりついていた目に見えない鎖が、すべて粉々に砕け散った。
44
Mami
556
(ああ、そうだ。お前が俺の後ろにいる限り、俺は無敵だ)
ピーーーッ!と、試合開始のホイッスルがスタジアムに鳴り響いた。
*
試合はバスタード・ミュンヘンが攻め込まれる展開から始まった。
相手の厳しいマークに遭い、俺の前線へのパスコースは完全に塞がれているように見えた。観客席からも、復帰戦の俺たちに対する不安の声が漏れ聞こえる。
だが、俺たちの進化を、世界はまだ何も分かっていない。
中盤でボールを奪取したネスが、目まぐるしく変わるピッチの状況を一瞬で支配する。相手ディフェンダーが三人、一斉に俺のマークへと走る。常人ならパスを躊躇うその刹那、俺とネスの視線が交差した。
言葉なんていらない。あいつが記憶を失っていた間に交わした、あの生々しい体温の記憶。お互いのすべてを手探りで手繰り寄せた、あの擦れ違う日々の苦しみ。そのすべてが、今、ピッチの上で一つの『完全結晶』へと昇華する。
「いけ……っ、カイザー!!」
ネスの足元から放たれたボールは、相手ディフェンダーのわずかな隙間を縫うようにして、放物線を描きながら、俺の右足の前へと完璧なピンポイントで収まった。
で、あいつの耳元に唇を寄せた。
「見たか、ネス。これが俺たちの新世界だ」
「はい……!最高です、カイザー。僕たちの愛は、世界で一番強くて、美しい!」
大歓声の中で、俺たちは固く抱き合いながら、お互いの存在の愛おしさを噛み締めていた。
失った記憶、流した涙、暗闇の中での擦れ違い。
そのすべては、俺たちがより深く愛し合うために必要なプロローグだったのだ。これから先、どんな嵐が吹こうとも、どんな困難が立ち塞がろうとも、俺たちは何度だって出逢い、何度だって恋に落ちる。完璧な王と、彼に寄り添う唯一無二の魔術師の物語は、ここからまた、新しく永遠を紡ぎ始める。
(第9話・最終回・了)
読んでくれてありがとう御座います。またカイネスのノベルを投稿するのでお楽しみに〜♡