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エリスの視界をヒュドラの顔が覆っていく。
絶望という文字が広い部屋に充満する。
俺は何度だってミスをした。
本気で生きると決めて。でも出来なくて。
何度も、何度も絶望という刃に切り裂かれた。
でも、心は折れなかった。
だって、俺は一人じゃなかったから。愛しの人が居たから。
「エリス……」
俺の瞳から雫が落ちる。
俺は信じている。
未来は変えられるって。愛しの人となら、絶対に変えられるって。
簡単なことじゃない。そんなことは分かってる。
でも、エリスとなら、きっと。
俺は何処までも強くなれる。
この時。俺は本気で、そう思っていた。
─────────────────────────
エリスがヒュドラの総攻撃。その一発目を避けた時、異変が起こった。
エリナリーゼが不運という風に乗って俺にぶつかった時、声が聞こえた。
「やっぱり、私はルーデウスに守られてばっかりね」
俺の耳、そして涙を揺らす声。
俺の覚悟を肯定する声。
瞬間、彼女の腕に力が込もる。
その力は腕から剣へ。そして攻撃へと繋がる。
彼女は冷静に戦況を分析していた。
ヒュドラの攻撃。その速さ、威力。
そして、一瞬。ヒュドラの動きが止まっていたことを彼女は見逃さなかった。
俺の不発だった風魔術は無駄なんかじゃなかったんだ。
掌に集めた大きなエネルギーは、ヒュドラの警戒を誘い、一瞬だけ動きを止めた。
俺がクズなことには変わりない。
風魔術が不発だったことは事実。
しかし、エリスには、その援護で十分だったんだ。
一発目を避けたエリス。彼女は、その時点で察していたんだ。
これ以上は避けられない。ならば、
『全部、斬り落としてやる』
彼女らしいな。
予見眼の未来。俺の知ってる未来を変えるのは、
『エリス・グレイラット』
バン!バン!バン!バン!バン!
ヒュドラの総攻撃は全部で七発だった。
避けた一発目を引いても残り六発。これで殺す、ヒュドラの考えは間違えていなかった。
間違っていたのは彼女への評価。
ヒュドラの成長に促されて覚醒する少女。
エリス・グレイラット。彼女は、いつだって俺の想像を超える。
一発目を避け、残り六発。
彼女はそのうちの五発を避けるのではなく、最速の振り上げ、振り下ろしを使い、叩き斬った。
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バン!
大きな音が鳴った。
音の正体。それは、ヒュドラの攻撃に人がぶつかる音。
エリスが頭突きを食らって、壁にぶつかる音。
「ぶえぇ」
とてつもない速さでエリスが壁にぶつかる。
その瞬間。苦しそうな声を上げて彼女が吐血した。
唇と地面に鉄の匂いが広がる。
ゴトン
それと同時、ヒュドラの首が落ちる。
同時に落ちた五本の首、エリスが一瞬で叩き斬った首。
ヒュドラの総攻撃。彼女が食らったのは最後の一発。
その攻撃で彼女が吐血した。
でも、でも、逆に言えば……
それだけで済んだんだ。
俺は全速力で走った。
壁に背中を預けて、ぐったりと座る彼女の前に。
「ルーデウス、ごめん、なさい」
俺のせいなのに謝る彼女。
俺の言葉は決まってる。
笑顔で、自信を持って。
俺も、彼女みたいに。人を安心させられるように。
「エリス、大丈夫。後は任せてください」
ヒュドラの首は残り二本。
苦しそうに吐血するエリス。早く治してあげたい。
夫として治さなきゃいけない。
エリスの怪我、治すなら上級治癒魔術。詠唱に時間が掛かる魔術。
しかし、今は時間がない。
治すのはヒュドラを倒してから。
その後に、ゆっくりとエリスを治す。
俺は彼女となら何度だって夢を追える。
何度だって幸せが蘇る。
また、俺の瞳から雫が落ちる。苦しくて絶望する時に出る涙。
でも、今回は…
…彼女との未来を見据えた、希望の涙だった。
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エリスを背中に置いて、俺は再度ヒュドラと相対する。
ヒュドラは最善を選んだ。
エリスから倒すという最善。
でも、それが失敗した時、結果は最悪に変わる。
「この戦いが終わったら、エリスに謝らねぇとな」
ヒュドラの首を斬れる剣士。
野放しにしていた、もう一人の剣士。
『パウロ・グレイラット』息子を想う剣士がヒュドラを追い詰める。
エリスが作ったチャンス。
万全に近いパウロ、首の少ないヒュドラ。
エリスのおかげで油断を断ち切れた俺。
そんな俺たちが負けるとしたら、それは『不運』しかない。
俺たちは負けない。
この時は誰も知らなかったんだ。
敵は、ヒュドラなんかじゃなかったんだって。
バン!
「ルディ!行くぞ!」
「はい!父さん!」
パウロの踏み込み。全員の視線が俺たちに集まる。
小さな、小さな人間に集まる。
刹那、音が鳴る。
場所は遥か上空。
大きなヒュドラよりも上の『天井』
天井の音。この音が証明するのは、加速する『不運』だった。
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俺はタルハンドの言葉を思い出していた。
迷宮の心得、そのうちの一つ。
『天井を攻撃してはいけない』
こんな言葉。
広い部屋、自由に動ける部屋。
遥か彼方、上空にある天井。
普通なら誰も攻撃出来ない場所。
そう、彼女を除いて、覚醒した少女『エリス・グレイラット』
彼女の剣撃によって飛んだ首。
下からの振り上げによって飛んだヒュドラの首。
そんな首が跳ね飛び、時間を掛けて天井にぶつかったんだ。
とてつもない剣撃だった。
見惚れてしまうほどの攻撃とスピード。
俺の魔術なんて霞んでしまうほどの威力。
そんな剣撃だからこそ、ヒュドラの首が天井まで届いてしまったんだ。
ガタン!
天井が崩れる音。
落ちてくる岩。
下敷きになるのはパウロじゃない。
エリナリーゼでも、タルハンドでも、ギースでもない。
エリスでも、俺でもない。
これが『不運』の正体。
誰も知らない絶望の連鎖。
岩が落ちる先は俺の尊敬する師匠。
『ロキシー・ミグルディア』
最悪の不運が、小さな髪に牙を剥き始める。
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絶望も不運も試練も、一回じゃ終わらない。
何回も、何回も、潰れるまで続くんじゃないかって思うほど襲いかかってくる。
でも、これで最後だ。
大好きなエリス。大好きなロキシー。
俺の試練。二人を守るのは俺だ。
俺は青い髪を見つめた。
俺の大切な人。尊敬する師匠。
彼女の口が、細く、小さく動く。
「ルディ」
小さな身体が俺に助けを求めてる。
ロキシーが絶望に焼かれている。
上空から降ってくる大量の岩。
数秒先の未来、俺の予見眼に映るのは…
『ロキシーの死』
でも、大丈夫。
今度は絶望なんてしない。
エリスが見せてくれた未来。
証明してくれた事実。
予見眼で見た物は覆せる。
さぁ、恩返しをしよう。
あの小さな背中に、俺の尊敬する偉大な師匠に。
もう失敗はしない。
掌に風魔術を作って、ロキシーに落ちてくる落石に向ける。
落石を龍神に見立てて。助けて、超える。
やっと分かった。
俺の試練の正体。不運にも立ち向かう、その心。
最後の最後で理解した。
バン!!!
刹那、大きな音が鳴った。
今度は人がぶつかる音じゃない。不運の音でもない。
ロキシー・ミグルディア。青い髪を救う幸せの音。
「師匠、エリス。俺は、まだまだ強くなる」
精神的にも、肉体的にも俺は成長し続ける。
その覚悟を決めた一歩。俺はロキシーを見た。
救われて、笑っているはずの彼女。
俺の成長を喜んでいるはずの彼女。
幸せを掴んだはずの彼女。
視線を凝らして、青い髪を見る。
大丈夫、大丈夫。みんなを俺が幸せにする。
信じ続ける幸福。俺の視線の先にあったのは…
「ルディ。逃げて、逃げてください」
小さい少女の、絶望した顔だった。
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─ロキシー視点─
皆、とても強かった。
ルディもエリスも、パウロさんたちも。
皆、とても強かった。
私にとってお伽話だったヒュドラ。
そんな化け物の首が一瞬にして落ちる。
そして、その首をルディが一瞬にして燃やしていく。
私も、そんな皆さんに加勢しようと試みました。
エリスの動きは速すぎるので、せめてパウロさんの加勢へ。
傷付いたエリナリーゼさんとタルハンドさん。
全員の回復と詠唱短縮で炎の加勢。
私も皆さんの役に立てている。そう思っていました。
そんな時、大きな岩が降ってきました。
ヒュドラの首が天井にぶつかったことによる大量の落石。
すぐに悟りました。
私は、ここで死ぬのだと。
「ルディ」
せめて、最後は惚れた人の名を口にして人生に幕を閉じる。
私は覚悟していました。
私には夢がありました。
教師になりたいという夢。でも良いんです。
一度はルディに助けられた身。私が死ぬのは必然。
私は目を瞑って、生きることを諦めていました。
バン!!!
そんな時、大きな音が鳴りました。
ルディの掌から鳴った音。
彼から放たれるのはとてつもない風魔術。
私を覆っていた絶望。落石は全て飛ばされて、私の視界が明るくなる。
あぁ、ルディ。本当にあなたは私の想像を超えていく。
二度もルディに助けられた。
この戦いが終わったら、感謝して、また話しましょう。
楽しい話。烏滸がましいですが、弟子と師匠として。
また笑いながら。
でも、そんな夢は儚く散っていきます。
何か嫌な予感がしたんです。
私を助けてくれたルディ。
後衛の私に風魔術を撃ってくれたルディ。
後衛を、私を見てくれているルディ。
後ろを見てしまったルディ。
あぁ、私の視界を化け物が覆っていく。
彼の背中がヒュドラに睨まれている。
「ルディ。逃げて、逃げてください」
私を二度も救ったルディ。
恩人で、憧れで、自慢の弟子なのに。
私は、最後まで…
…彼の、足手纏いだったんです。
─────────────────────────
俺の背中に生温かい息がかかる。
グルル、という獣の声が聞こえる。
俺の頭は理解を示さなかった。
理解したのは、ロキシーを助けたという希望。
絶望なんて理解出来なかった。
バン!
その瞬間、俺の脇腹が蹴られた。
エリナリーゼの時とは違う。強いけど優しい蹴り。
温もりを感じるほどの、守るための蹴り。
揺れたのは赤い髪。
俺の視界の端で、吐血しながら飛び込む少女。
「ルーデウス……」
俺の名前が呼ばれた。
吐血混じりの声。それでも、その声の主は間違えない。
ドン!
パウロが首を一つ斬った。
とてつもなく大きな音を鳴らして斬った。
でも、そんな音、俺の耳には届かなかった。
彼女に呼ばれた名前。何故か、その声が一番大きく聞こえたんだ。
「うわぁぁぁぁぁ!」
残り一つの首。
俺の目の前に現れた首。
俺は、そんなヒュドラの赤い瞳に左手を突き刺して、止めを刺す。
「ロキシぃぃぃぃぃ!」
俺は大きな声を出した。
大切な師匠の名前。名前を呼んだだけで察して、炎を撃ってくれた師匠。
止めを刺してくれた師匠。
俺の左腕が燃えるように熱い。
いや、熱いというのは少し違うな。というより、熱さを感じることも出来なかった。何故なら…
俺の左腕は、消えていたから。
「治癒魔術を、掛けないと」
俺は、痛みに耐えながら治癒魔術を詠唱する。
傷は治せても、欠損は治せない上級治癒魔術。
でも、エリスは治せる治癒魔術。
「よし、エリス。今治しますね?」
本当に危なかった。
一人なら俺は負けていた。
でも、俺は一人じゃなかった。
ロキシーを守って無防備だった俺。そんな俺を、エリスが守ってくれたんだ。
エリス、エリス。
俺の大好きなエリス。
俺の大好きな、お嫁さん。
俺は、愛しの人を見つけるために辺りを見渡した。
タルハンドを見つけて、エリナリーゼを見つけて、ギースを見つけて。
ロキシーを見つけて、パウロを見つけて。
一人を除いて。皆、元気に立つ姿を見つけた。
なぁ、それなのに。元気なのに、なんで、
なんで、そんな顔してんだよ。
全員の見つめる先は一つ。
可愛くて、可愛くて。
美しくて、カッコよくて。
ちょっとヤンチャな、俺のお嫁さん。
いつも、髪を元気に揺らす。
俺の、大切な人。
「……エリス?」
何度だって夢を見たさ。
最強を超える夢、一緒に冒険をする夢。
子供を作って、幸せに暮らす夢。
何故か当たり前だと思っていた光景。だから、その夢が叶わなくなるなんて思いもしなかった。
彼女が、エリスが居なくなるなんて。
疑いもしなかった。
「ルー、デウス……」
彼女は吐血して。
その姿に似合わない笑顔で、俺を見つめて。
ゆっくりと、言葉を吐き出す。
「だいすきぃ……」
俺の夢が終わる。
世界が、濡れていく。
大好きな、俺のお嫁さん。
彼女は、エリス・グレイラットは…
左足を、無くしていたんだ。