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桔流は、大学生になっても、高校時代と変わらず、“正しい恋愛”についての答えを見つけられずにいた。
そのため、桔流は結局、キャンパスライフを楽しみながらも、恋愛においては、告白をされてはとりあえず付き合い――、長続きせずに別れ――、また告白をされてはとりあえず付き合い――、という、負の連鎖のような恋愛を繰り返していた。
その中、男性同士の恋愛――というものも経験したが、結局はそれも、桔流にとっての希望とはならなかった。
同性相手という事から、“女性相手よりは気遣いにおける気苦労が少ない”――という、多少の気楽さがあったのは確かだ。
しかし、なんやかんやと恋が絡めば、恋愛とは総じて、疲れるものに変わりはなかったのだ。
そのような事から、桔流は、恋愛に対し、――“恋愛とは、結局、酷く面倒くさいものであり、理解できないものである”というラベルを貼った。
そして、恋愛にそんなラベリングをして以降、桔流は、“恋愛”そのものから、距離を置く事を考えるようになったのである。
― Drop.017『 LemonJuice〈Ⅱ〉』―
“好きです”――と、告白され、付き合ってはみるものの、その相手に芽生えるのは“情”のみであった。
たとえ、“人として好き”――というところまで至れたとしても、その相手に対し、“この人を他の人にとられたくない”――という感情が、桔流の中に芽生える事はなかった。
つまり、その当時の桔流は、“本当に”、――たったの一度も、“自分から誰かを好きになる”という経験ができずにいたのだった。
そんな日々の中で、当時の恋人と大変手間のかかる別れ方をした数日後の――とある日。
桔流は、思ったのだ。
――やっぱり、恋愛とか、付き合うとか、しない方が良い。
――疲れるし……、時間も金も勿体ない……。
――今なら、ちょうどフリーだし。もう、恋愛はこれきりにしよう。
そして、桔流は、その日をきっかけに、“恋愛とも”、お別れをした。
そんな桔流が、それからしばらく、告白の嵐をかいくぐりながら、なんとか恋愛と距離を置き続けて、半年ほどが経った頃の事――。
ついに、桔流は――、初めての恋をした。
桔流は、その時。
初めて、“自分から誰かを好きになる”という事を経験をしたのだ。
――自分から誰かを好きになった事はない。
それは、桔流が花厳についた、自分を護るための嘘だった。
実のところ、桔流は過去に、この一度だけ、自分から恋をする――という経験をしていた。
だが、桔流は、“いつ、どのようにして好きになったのか”――は、この時も分からなかった。
花厳が言っていたように、――“気付いたら好きになっていた”のだ。
それゆえ、桔流にとって、恋が不可解なものである事は、恋をして以降も、変わる事はなかった。
「桔流君は、本当に優秀だね。――僕の研究室に入ってくれて凄く嬉しいよ」
桔流が恋をした――桔流の初めての想い人は、そう言うと、桔流に微笑んだ。
桔流は、その男が自分を褒めてくれる事に――、自分の行いを喜んでくれる事に――、酷く大きな幸せを感じていた。
そんな桔流が、初めて恋をしたのは、――桔流が所属していた研究室を担当する教授だった。
また、その教授も、成績優秀で、自身が担当する分野に意欲的な桔流を、大層気に入っているようであった。
そのような事もあってか、教授は、桔流が初恋を経験する前から、助手役として、事あるごとに桔流を連れ立った。
時には、教授と学生という関係性はそのままに、二人で飲みに行く事もあった。
そのような中で、教授は、度々と桔流を褒め、称賛し、桔流という存在への喜びを言葉にした。
無論、そこに、下心などはなかった。
その証に、教授は、桔流に対し、一度たりとも下心を思わせるような行いをしてこなかった。
だからこそ、桔流は、その教授に惹かれ――、恋をした。
そして、その恋心を、より一層大きなものにしたのは、――教授がバイセクシャルである、という事実だった。
その事実が判明したのは、二人きりの研究室で、何気ない雑談をしていた時の事だ。
「――桔流君もそうだったんだね」
夕陽の差し込む静かな研究室で、教授が穏やかに言うと、桔流はにこりと笑む。
「はい。――あ。因みに先生は、今、どちらとお付き合いされてるんですか?」
そんな桔流の問いに少し慌てると、教授は気恥ずかしそうに言う。
「あ、あぁ。僕かい? ――いやぁ、ははは。それが。その。実は僕。今は、フリーってやつなんだよね。――恋愛経験が少なくて……なかなか……」
桔流は、それにも笑んで言った。
「ふふ。なるほど。――でも、恋愛って焦ってするものでもないと思いますし。――本当に好きな人がいない時は、フリーでも、全然いいと思います」
そして、桔流は、その日をかっかけに、教授の恋人になる事を夢見るようになった。
そんな桔流は、その翌日から、より一層、教授との時間を多く持つようになった。
すると、日々の努力が実っての事か、少しずつながら、教授は、桔流に対してスキンシップをとってくれるようになっていった。
その中、さらに、桔流が頭を撫でられるのが好きだと知ると、二人きりの時は、褒め言葉を紡ぎながら、桔流の頭を撫でてくれるようにもなった。
そうして、すっかり恒例となったスキンシップをとりながら、教授は、その日も桔流に笑んだ。
「桔流君が色々と頑張ってくれるから、僕も研究が捗るよ。本当にありがとう。――でも、最近は、恋愛の事を色々教えて貰ってる分、どっちが先生だか分からなくなってきたね」
桔流は、その大きな手の温もりの余韻に浸りながら、笑う。
「ふふ。俺はただ経験した事をお話ししてるだけですから。――そんな大した事はしてませんよ」
そんな桔流に微笑み返すと、教授は言った。
「いやいや。経験した事は、そのすべてが知識だ。――僕らも、様々な研究を通じて様々な経験をして、その経験から得られたものを、ひとつの知識として世に出しているだけだ。――もちろん、君から教えてもらっているのは恋愛に関する事だけど、それも、僕にとっては必要な知識だからね。――君に教えてもらった事は、貴重な知識であり、大きな財産だよ。――だから、こんな僕に呆れないで、恋愛について色々と教えてくれる桔流君には、いつも感謝してるんだ。――本当に、ありがとうね」
そして、ひとつ礼を言った教授は、再び、桔流の頭を優しく撫でた。
それに、桔流の心は、大きな幸福感で満たされる。
その中、桔流は決した。
(卒業したら、ちゃんと告白しよう)
“今すぐに”――を選ばなかったのは、生徒と教授という間柄では、気持ちを受け取ってもらえない事を確信していたからだった。
(本当はすぐにでも言いたいけど、でも――)
桔流は、以前、教授が生徒から告白を受けた事を知っていた。
また、その告白に対し――“僕は先生で、君はまだ学生だ。――だから、君の気持ちは、今の僕には受け取れない。すまないね”と、断ったのも知っている。
盗み聞きするつもりはなかったのだが、その扉を通らなければ研究室の外に出られないという状況では、その一連のやりとりを聞くしかなかった。
だからこそ桔流は、はやる気持ちを抑え、卒業の時を待つ事にしたのだ。
そして、長いようであっという間の日々を経て、桔流の学生生活は、いよいよと最終日を迎えようとしていた。
そんな、とある日の夕暮れ時。
桔流は、いつもと同じように、教授と二人きりで過ごしていた。
その中、ふと、教授のデスクに目をやると――、そこには――、小ぶりの紙袋が置かれていた。
それは、出張先からの手土産にしては小さく、しばし上品すぎる光沢感を備えていた。
また、夕陽色に染まるその純白の紙袋に添えられた、金色のブランド名の煌めきも、土産菓子ではないような雰囲気を醸し出していた。
その紙袋のすべてが、教授の手荷物としては酷く珍しい様相だ。
桔流は、そのあまりにも珍しい事につられ、教授に問うた。
「先生。――それ、贈り物ですか?」
その珍しさから、桔流はそれを、教授が、誰かから受け取った贈り物だと思った。
そんな桔流の視線に示され、ふと紙袋を見た教授は、しばし慌てたようにして言った。
「え? あ、あぁ! これかい? えっと、う、うん。――そうなんだ」
そして、言い終えた教授は、紙袋の淵に触れると、しばし照れくさそうにして続けた。
「いつ、君にお礼を言おうか迷ってたんだけどね」
「……?」
桔流は、その教授を不思議に思いつつも、彼の言葉を、黙して聞いた。
彼は、はにかみながら紡ぐ。
「ちょうど良かった。――こんなタイミングで申し訳ないけど、これは本当に、君のおかげでね」
桔流は、その、妙に改まった様子にくすぐったさを感じ、苦笑する。
「え。ちょっと、なんですか、いきなり」
そんな桔流に、また照れくさそうにしながらはにかむと、教授は言った。
「あのね。桔流君。――実は僕。……今晩、プロポーズするんだ」
「………………え?」
最愛の人さえそばに居てくれれば、他には何も要らない。
照れくさそうにしながらも、酷く幸せそうにはにかむ彼の笑顔は、そう言っていた。
その笑顔は、今の彼が、大きな幸せの中にある事を物語っていた。
自分のすべては、愛する人のためにある。
そう、言っているような、笑顔だった。
「桔流君の言った通り、これは贈り物。――これね。婚約指輪なんだ。――随分遅くなっちゃったんだけど、やっと決心がついてね」
「………………」
教授は、笑う。
「これまで、桔流君に色々と恋愛の事を教えてもらえて、本当に勉強になったんだ」
「………………」
酷く酷く、嬉しそうに。
「僕、本当に恋愛経験が少なくて、自信もなかったから。――桔流君が居てくれなかったら、きっと、こんな日もこなかったと思う」
「………………」
酷く酷く、幸せそうに。
「だから、――本当にありがとう。桔流君」
その笑顔に、桔流は笑顔を作った。
「――………………はい」
そんな桔流に、彼は澄んだ瞳で言う。
「それと、桔流君。――君に教えてもらっていた身で、こんな事を言うのはおこがましいけれど、でも、どうしても言いたかったんだ。――あのね、桔流君。僕は、今日まで君と過ごしてきて、確信してるんだ。――君のような素敵な子なら、必ず、君を幸せにしてくれる誰かと出会えるって」
彼の言葉に、桔流は今度、くすぐったそうな小さな笑い声を作り出し、頷いた。
「ふふ。はい」
彼は、真っ直ぐな瞳で続ける。
「だから、桔流君。――君も、どうか諦めないで。――君は、絶対に、幸せになれるから」
桔流は次に、目を細めた笑みを作り、応じる。
「はい。――…………先生」
そんな桔流に呼ばれ、彼はにこやかに笑んだ。
「ん?」
桔流は、それに、にこりと返すと、告げた。
「――おめでとうございます」
彼は、またひとつ笑う。
「あはは。――なんだか、改めて言われると照れるね。――ありがとう。――まぁ、プロポーズはこれからなんだけど」
幸せそうな彼に、桔流は悪戯っぽい声を贈る。
「ふふ。俺が応援してるんですから、プロポーズ、ちゃんと成功させてくださいね。――本番で焦って、変なコト言ったら駄目ですよ?」
それにも、彼は幸せそうにはにかむ。
「ふふ。――はい。気をつけますっ。――頑張るね」
桔流は、ひとつ瞬き頷くと、次に、微笑みを贈る。
「はい。――先生。――……どうぞ、お幸せに」
すると、彼は、桔流の大好きな笑顔と声で、桔流に言った。
「うん。ありがとう。桔流君。――幸せになるよ」
桔流は――、笑顔を作るのが得意だった。
そんな桔流は、その時。
その自身の特技に、改めて感謝をした。
唯一。
自分から恋をした、たった一人の想い人の幸せを、笑顔で祈る事ができたから――。
たとえ、どれだけ自身の心が泣いていようと――、その想い人の新たな門出を、笑顔で見送る事ができたから――。
そして、その想い人の門出を笑顔で見送ったその日。
桔流は、改めて、“恋”などという、不可解で、難解で、厄介なモノを――、己の世界から、抹消した。
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