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芙月みひろ
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#虐げられヒロイン
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水曜日の式場の定休日に、始はじっとオフィス街でも一際そびえたつビルを見上げていた。
キュッとネクタイを締めなおすと、3階分はありそうなエントランスに足を踏み入れた。
奥に見える総合受付に向かうと、にこやかで上品な制服に身を包んだ女性3人が会釈をした。
(さすが大企業だな……)
始は軽く息を吐くと、その女性ににこやかに微笑みかけた。
「いきなりで申し訳ありません。約束はしておりませんが、副社長の宮田健斗さんにお会いしたいのですが」
名刺を渡すと、じっと相手の女性を始は見た。
「お約束がないとなると……」
そう言った彼女だったが、始の真剣さが伝わったのか、「少々お待ちいただけますか?」そう言うと受話器を取った。
始がジッとその彼女の答えを待っていると、
「え?」と驚いた様子の彼女を見て、始はやっぱりダメか……と諦めかけていたその時。
「始君!」その声とともに、大人っぽくなった健斗がエレベーターから走ってきた。
「副社長!!」
受付の女性の驚く声にも構うことなく、
「芳也に何かあったのか!」
始の肩を揺さぶるように慌てた様子に、始はやっぱり健斗さんだと内心安堵した。
「ご無沙汰しています。お仕事中にこんなところまで押しかけて本当に申し訳ありません」
頭を下げた始に、
「そんな事はいいから!君がこんな所までわざわざ来るなんてよっぽどの事だろう?」
その言葉に始は少し目を落として、言葉を考えた。
「お仕事中だと思います。一度僕に時間を頂けないですか?」
「ああ、もちろん。今日の夜……」
慌てて追いかけてきたのだろう、後ろに控えていた彼女の秘書らしき女性をチラリと見た。
「今日の夜は、大平商事との会食が入っております」
申し訳なさそうに言った彼女はじっと考えるような仕草をした。
「今からでしたら、30分ほどお時間を調整できます。上でお話を聞かれてはいかがですか?」
「ああ、そうしよう。始君こっちへ」
「ありがとうございます」
エレベータは早く、静かに高層階へ上がっていき、ポンと無機質な音が響いて静かにその扉は開いた。
まるでホテルのロビーの様なそのフロアに当たり前に進む健斗を見て、本来芳也もこの空間にいるべき人間なのではないのか……そんな事を思いながら始は健斗の後姿を見ていた。
始は副社長室に案内されると、健斗はゆっくりとソファに座った。
「コーヒーでいい?」
「はい」
今の芳也の事を話す始の言葉を、健斗は黙って聞いていた。
「本当にこの10年、アイツは変わりました。心から笑わなくなった。いつもどこかで苦しんでいるようで。今の仕事を選んだのも自分への罪だと言って……でも、本当に本当に愛する人を初めて見つけたんです。だから。お願いします。どうかアイツを許してやってください」
始はガバッと頭を下げた。
ゆっくりと立ち上るコーヒーの湯気を見ながら、低い声で健斗は言葉を発した。
「あいつはまだその事にとらわれてるのか?」
「え?」
怒りを含んだその言葉に始は、顔を上げた。
「俺は、確かにアイツを恨んだ。でもそれも俺が未熟だったせいだし、芳也だけが悪い訳でもない。でも、今あいつとの距離を置いているのは、あいつが俺や親父の力を借りなくても、お前はやっていける。俺のおまけなんかじゃない。そう思ってほしいからであって、あの事をひきずってなんかいない」
「知っていたんですか?」
始は初めて健斗から聞く芳也への思いを聞いて驚いて尋ねた。
「あたりまえだろ?弟だよ。いつも俺の陰で、俺へのコンプレックスの塊で。自分なんて必要ないとか言ってたんじゃないのか?」
少し苦笑しながら言った健斗の言葉に、始も曖昧に頷いた。
「小さい頃からアイツは俺の物を欲しがった。それが次第に大人になって奪う事で、自分の価値を見出そうとしていたこともわかっていた。それが俺より自分が優れていると思う事でアイツの心の安定になっていたことも」
「だから小百合を手に入れたって言われたとき、やっぱりと言う気持ちもあったんだ」
そこまで言って健斗はちらりと、後ろの秘書を気にした。
「大丈夫です」
ふわりとすべてを包み込むように微笑んだその顔を見て、始は「え?」と声を出した。
「彼女は俺の秘書で横山唯奈さん。俺もあれから初めて大切な人を見つけたんだ。そして小百合も今は幸せなんだよ」
「そうなんですか……」
「確かにあの時はみんなが傷ついた。あいつが小百合に近づいて、俺をズタズタにして、そして小百合も。でも小百合は小百合の意思で芳也を選んだ。そしてあれ以来アイツはずっと苦しんできた。もう十分だろ?俺も小百合も幸せなんだから」
「でも、芳也は、自分を許せずにいます。そしてお父上に言われるまま結婚しようとしています」
「なんだって?結婚!?」
「はい、早坂アイリさんと……」
「あんなのでっち上げだと思っていたが……親父……まだそんな事を……」
健斗はため息をつくと、始を見た。
「そんな政略結婚をしなくても、今のミヤタは揺るがない。芳也はあの親父の被害者だ。幸せにならないといけない」
「ありがとうございます」
頭を下げた始に、考える様子をしていた健斗だったが、ゆっくりと始を見据えた。
「始君。お願いがあるんだ」