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「月子様ーー!」
バタバタと縁側をお咲が駆けて来る。
「つ、月子!ま、まずい!みられたかっ?!」
岩崎のとっさの叫びに、月子もさっと体を離した。
慌てきり、落ち着きのない岩崎と月子をお咲は不思議そうに見ている。
「お、お咲、こ、これは……」
「え、えっと、えっとね、お咲ちゃん、お、お髭が!そ、そう!旦那様のお髭がね!」
「う、うん、そ、そうだな、そう、そう、髭だ!髭!」
岩崎と月子は、とっさに訳のわからない事を言ってお咲を誤魔化そうとした。
「お髭?旦那様の?」
首をかしげるお咲は、じゃあ、と嬉しげに岩崎の元に来る。
「お咲も見るよ!」
いや、そうではなく、とも言えず、岩崎は、ははは、と笑うしかできない。
「旦那様のお髭ーー!」
お咲が岩崎の髭をつかんだ。
「わっ!!痛てっ!!」
「お、お咲ちゃん?!」
次の瞬間、月子様、と、お咲が気まずそうに月子へ手を差し出した。
岩崎の口髭数本が見える。
「……抜けちゃった……のね」
月子は唖然としながら、お咲が差しだす手を見つ続けた。
「あ、あのなっ!抜けちゃったもなにも!髭、髭をなぜ引っ張る!!痛いだろ!!」
あーーと、お咲も、岩崎の叫びに引き抜いてしまった髭を見るが、そのまま、縁側からポイと投げ捨てた。
「お?!な、なんで?!」
言葉にならない言葉を吐き出し、岩崎は、呆然とした。
お咲は、へへっと照れ笑い、きゃっと叫ぶと、踵を返してバタバタ駆けて行く。
「……お咲のやつめ。髭数本だろうとな、痛いんだぞっ!!」
岩崎は、やり場のない怒りを、口髭を撫でながら押さえ込もうとしているが、
「……なあ、月子。やはり、髭か、髭だな……」
と、独り言のような愚痴のような事を、ぶつぶつと言った。
「あっ、お髭……抜かれちゃいましたね……」
少し、しょんぼりしているようにも見える岩崎へ、月子はそう声をかけるしかなく、込み上げてくる笑いを必死に堪える。
ここで、笑ってしまえば、岩崎に叱られるだろうと思えば思うほど、笑いが込み上げてきて、肩を揺らした。
「……月子、笑いなさい。構わんよ。そこまで我慢しなくてよろしい」
岩崎が力なく言う。
とはいえ、本当に笑ってしまうと、また、どうなることかと月子は、笑いを必死に堪え続けた。
「まあ、いい。それで、お咲は何しに来たのだろうか?」
確かに。
月子も、不思議に思った。
結局、お咲は去ってしまったのだ。
「おおよそ、兄上にでも、私達を呼んで来いと言われたのだろう」
月子は、ゆっくりしていなさいと、岩崎は自分一人で相手すると立ち上がると、男爵達がいる部屋へ向かった。
縁側に一人残された月子は、ゆっくりしろと言われても、どうすれば良いのかと困りつつ、ぼんやりと庭を眺めるしかない。
しかし、先程のお咲のしでかしが思い出され、自然に笑いが込み上げて来る。
クスクス笑いながら、月子は、ふと岩崎との巡り合わせを思った。
厄介払い。そして、訳ありの相手。はたまた、独身でいるとハッキリ宣言されていたのに、いまでは、岩崎に、恋仲になろうと言われ、セレナーデという曲まで月子のために演奏してくれる。
何よりも、月子と一緒に添い遂げたいと言ってもらえる嬉しさ……そして……優しい口付け。
ほんの数日前までは、佐希子の顔色を伺い母と小さくなっていたのに。
これが、幸せというものなのだろうか。
岩崎は、常に月子を幸せにすると言う。それも嬉しかった。
岩崎は、言葉だけではなく、本当に月子を幸せにしようとしてくれている。
少なくとも、月子には、そう思えた。
この時が、ずっとつづきますように……。そんなことを思いつつ、月子は空を見上げた。