なにか結婚が決定事項になりつつありますが。
このまま私はどんぶらこっこと流されていっていいのでしょうかね、と夜、縁側で、なにかが有毒かもしれない呪いの植木鉢を見ながら思っていると、有生がやってきた。
背後に立って、黙っている。
なんだろう? と反り返るようにして真後ろの有生を見ると、
「広田も認めてくれたから……」
となにか言いかける。
認めてくれたから……?
と思ったが、そこから先の言葉はなく、有生は側に腰を下ろし、鉢を見ながら言ってきた。
「それ、単にお前が弱ってるやつを植えたから枯れたんじゃないのか?」
「……そういえば、そうですね。
ちょっと根詰まりして弱ってきたかなと思ったのを株分けして植えたら、枯れてしまったんですよね、二度とも」
今度は元気なやつ植えてみます、と笑うと、有生は、
「そうだな。
呪いなんてな……」
と言いかけてやめる。
呪いなんてない、という言葉が出なかったようだ。
呪いなんてない。
祟りなんてない、と言ってしまうのは、今の夏菜にも抵抗があった。
祟りがないのなら、結婚しなくてもいいことになってしまうからだ。
二人は目を見合わせ、
……ははは、と笑った。
「今週末は100均で観葉植物でも買うか」
「あ、いいですね~」
と言いながら、月の明るい夜空を見上げる。
「明日だな」
「明日ですね」
と社長と目と目で会話し合う金曜日。
幹事の夏菜も、それについてきた有生も利南子たちの呑み会に参加していた。
何度か席替えをしているうちに夏菜は指月の隣になる。
指月は彩美が連れてきた彼女の部署の男の先輩と話していた。
「俺が、男は無理だったって話をしたら、こいつ、怯えたような目で俺を見るんですよ」
そう夏菜を指差し、言ってくる。
「いやいやいやっ。
だって、いきなりそんな話題、振られても困るじゃないですか」
と慌てて言い訳のように夏菜は言った。
「おかしな風に気を使った態度をとるな。
俺は別に男は好きじゃないからな」
と指月に言われ、そ、そうなんですか、とほろ酔い加減の夏菜は頷く。
「お好きなわけでもないのに、指月さん真面目だから期待に応えようとされたんですね」
そんな夏菜の言葉に、応えようとしたのかっ、という目でみんなが指月を見る。
だが、指月は淡々と言ってきた。
「応えてはいない。
ちょっと妄想の中で抱き寄せてみただけだ」
「誰をですか?」
少し天然が入っている柴田がそうストレートに訊くと、指月は思い出すような顔で、考え言ってくる。
「社長を」
「社長を……っ!?」
とみんなざわめいたが、指月は、
「いや、深い意味はありません。
単に、抱き寄せてみたかったから抱き寄せてみただけです」
そう、しれっと言ってきた。
その様子を見ながら、夏菜はおそるおそる指月に声をかける。
「あの~……。
酔ってますよね? 指月さん」
いや、と指月はまったく乱れのない姿勢のまま酒を手に言う。
そして、周囲を見回し、
「おや、男性陣と私との間に距離が空きましたね」
そう自ら言って笑っていた。
……酔ってますよね、と夏菜は思う。
どうやら、藤原は俺が酔っていると思っているようだ……。
酔っている指月は、そんなことを思いながら、二次会の会場に向かって夜道を歩いていた。
すぐ前を歩いている夏菜は彩美たちになにか言われながら、
「えーっ。
そんなことないですよーっ。
いや、ほんとにーっ」
と苦笑いしながら叫んでいる。
典型的なやられキャラだな、と指月は思った。
だが、やられキャラだが、藤原がいるだけで、場が和むというか。
緊迫感がなくなるというか……。
途中参加の人間もいて、呑み会の人数は結構多くなっていた。
中には同期で張り合って、ピリピリしている男連中もいたりして。
うっかり仕事の話になろうものなら、一触即発な雰囲気になったりもしていたのだが。
向かい合って座るふたりの、火花飛び散る視線のど真ん中に、夏菜がサーモンを落としていた。
二人にしてみれば、相手を睨んでいた視界に突然、一切れのピンクのサーモンが降ってきて。
それがペタッとガラステーブルに張り付いたところで、あのちょっと間抜けな感じの声の夏菜が、
「私のサーモンッ!」
ととてつもなく哀れげに叫んだのだ。
二人は視線を合わせたまま、ぷっと吹き出していた。
「僕のあげるよ、藤原さん」
とまだ皿にサーモンがあった片方の男が笑って言う。
そもそも、そのサーモンはびっくりするくらい薄くスライスされていて。
そんな向こうが見えそうなサーモンごときで、あんなにも哀しむ夏菜がおかしかったのだ。
一家に一台、藤原夏菜。
一社に一人、藤原夏菜。
背後に殺気を持った人間が現れたら、一瞬で相手を投げ飛ばすような女なのに。
何故、本人の言動はこんなにも間が抜けているのか。
今、有生は移動する列の先頭辺りで、柴田と話している。
やられキャラ夏菜は、それからかなり離れて自分の前にいた。
……藤原は俺が酔っていると思っているようだ、
と酔っている指月は思う。
今なら、許される気がする。
ちょっとくらいなにかしても……。
そう。
今なら藤原になにかしても、酔っているからとちょっとくらいなら、許される気がする!
危険な酔っ払いの思考で指月はそう思う。
ごく自然な感じに足を速めて近づく。
殺気には鋭い夏菜に気づかれぬように。
そして、指月は、すれ違いざま、軽く夏菜の手に触れてみた。
彼女を追い抜こうとしたとき、たまたま、振った手が当たったようなフリをして。
「ああ、すまん、藤原」
といきなり手になにかが当たったので、ん? と周囲を見回した夏菜に指月は言った。
「ああいえ。
指月さん、大丈夫ですか?
酔ってないですか?」
と夏菜が自分を見上げ、訊いてくる。
酔ってはいないが。
此処は酔っているフリをした方がいいな。
酔っ払いは、こんなとき、必ず酔っていないと言い張るものだから。
俺もそう言うべきだな、と酔った頭で思いながら、指月は言った。
「いや、大丈夫だ。
酔ってはいない」
「……そ、そうなんですか?」
と夏菜が苦笑いして言ってくる。
そのとき、有生がこちらを見ているのに気がついた。
こちらを窺う有生の顔が、らしくもなく、ちょっと不安げに見え、なんだかすごく悪いことをしてしまった気分になる。
早足で夏菜から離れると、有生から少し遅れていた柴田に追いつき、話し出した。
後ろから、
「いやいやいやっ。
ほんっとーに違いますってー」
という夏菜の声だけが、周囲の話し声をかき分けるようにして聞こえてくる。
「ほんっとうに、すっごくっ、悪い顔してたんですよっ。
そのときのハシビロコウッ」
……なんの話をしてるんだ。
かなり後ろにいるはずの夏菜の声だけが、やけによく聞こえてくるが。
きっとあいつの声が変わっているからだろうな、と柴田と話しながら思っていた。
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