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屋久蓑大葉が財務経理課や総務部長室のある四階フロアに戻ってきたことに気付いた倍相岳斗は、大葉へ向けて小さく会釈をした。
社長へ見合いの断りついで、荒木羽理とのことを報告しに行ってきたんだろう。
どこか難しい顔をしている大葉に、岳斗は(荒木さんとのこと、上手く説明できたのかな?)と心配になった。
それに――。
(きっと社長から、昔僕がやったこと、聞いたよね)
何となくだが、大葉の表情を見るとそんな風に感じてしまう。
元々そうなるのは覚悟の上で、社長と大葉が血縁だと随分前から知っていたと告白したのだ。
そのことが許せないから業務で必要な時以外は話しかけるなと、大葉から一線を引かれたなら、それはそれで仕方がないと諦めている。
だがもし機会が与えられるなら、その時の卑怯さも含めて挽回するチャンスを与えて欲しい。
本当、つい先日までの岳斗は、屋久蓑大葉のことが大嫌いだったから。
隙あらば大葉を陥れてやりたいと思っていた。
容姿に恵まれていて、家族関係も良好。
そのくせその有難みをちっとも分かっていなさそうな大葉の様が、岳斗にはたまらなく腹立たしかったのだ。
(そもそも自分のためにあんなに親身になってくれる姉たちがいるなんて、ずるいよ……)
自分には望んでも与えられなかった温かい家庭。
それだけならまだしも仕事の面でも才覚があるとか……神様は不公平過ぎる。
そんなのただの勝手な妬み嫉みだと岳斗自身にだって分かっていた。だけど頭と心は別もので、うまくコントロールできなかったのだと素直に謝罪したなら、大葉は許してくれるだろうか。
もちろん、自分だって見た目だけなら大葉にだって負けていない自信はある。
(でもこの顔だって僕はあんまり好きじゃないんだよ)
容姿も家族関係も、自分ではどうしようもないものに、岳斗は幼い頃から翻弄されてきたのだ。
***
岳斗の母・倍相真澄は、若い頃さる大企業の御曹司と恋に落ちたらしい。
だが、その男は事故であっけなく夭逝してしまったのだと言う。
『だから岳斗にはお父さんがいないし、お母さんには旦那さんがいないけど……でも……その分お母さんが岳斗をたっぷり愛すから。二人で頑張って生きていきましょうね』
幼い頃から、岳斗が母親から何度も何度も聞かされてきた言葉だ。
その言葉の通り母親は岳斗のことを可愛がってくれたし、多少父親のいない負い目は感じることはあったけれど、それでも岳斗は幸せだったのだ。
そう。少なくとも〝あの日〟までは――。
***
『倍相岳斗くんだね?』
下校途中いきなり、如何にも金持ちという雰囲気を漂わせた運転手付きの高級車の後部シートから、見知らぬ男に声を掛けられた。
前日まではカラリと晴れた晴天だったのに、その日は朝からどんよりとした重苦しい雲が分厚く空を覆い隠していて。
登校の時には何とか持った空が、一時間目の授業が始まる頃にはポツポツと雨粒を落とし始め、給食の時間には校庭の端っこに植えられた桜の木が煙って見えるほどの大雨になっていた。
その日は午後から参観日で、校庭が保護者たちの駐車場になる予定だったから、昼休みは外へ出て遊んではいけないと教師たちから通達があったけれど、そんな必要はなかったみたいだ。
どのみち岳斗は晴れた日だって図書室で本を読むことが多かったので関係なかったのだけれど、そんなことを思ったのを覚えている。
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