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休日の昼下がり。
カフェの厨房の隅で、みことは絆創膏で右腕を覆いながら、小さく息をついた。
(……大したことない。すちに言ったら、また無理させちゃう)
昨日、客同士の言い合いに巻き込まれて、割れたグラスの破片が当たった。
幸い大きな怪我ではない。でも、それをすちに言えば――絶対に、心配して、過剰に反応するのが目に見えていた。
だから、黙っていた。
けれど――それは長くは続かなかった。
その日の夜。
みことが帰宅して着替えようと服を脱いだ瞬間、すちの表情が一変した。
「……なに、それ」
みことが隠そうと腕を引っ込めるより早く、すちは腕をとって見つめた。
赤く腫れた傷。痛々しい痕。
「……カフェで、ちょっとだけ。大したことないよ?」
みことの言葉に、すちは唇を強く噛み、そして低い声で呟いた。
「なんで言わなかったの」
「……だって、心配させたくなくて……」
その瞬間、すちはみことの肩をぎゅっと抱きしめた。
「……バカ。心配かけたくないって……それ、俺にとって一番辛いやつなんだけど」
みことの目が、大きく揺れた。
「ごめん、すち……怒らないで」
「怒ってるよ。めちゃくちゃ、怒ってる。でもそれより――みこちゃんが痛い思いして、それを俺に見せないでひとりで我慢してたことが……悔しい」
すちはみことの手を取って、自分の胸に押し当てた。
「俺にもっと頼ってよ。泣いてもいいし、痛いって言って。俺、何のためにいるの」
みことの目に涙が滲んだ。
「……ごめん。でも、ほんとに、大好きだよ。すちが一番大事だから……」
「俺もだよ。だから、みこちゃんのこと、ひとりにさせたくないんだ」
みことをそっと抱きしめるすちの腕は、いつもより強く、でもあたたかかった。
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服の隙間から覗いた、小さな赤い傷跡。
ふと目に入ったその瞬間――すちの時間が一瞬止まった。
(……なに、これ)
まるで自分の心に爪を立てられたような痛み。
ほんのわずかな出血痕なのに、見た瞬間、すちは全身の血が逆流したような気がした。
(なんで……言わなかったの)
すぐに怒りがこみ上げた。でも、それは「責める」ための怒りじゃない。
“傷ついたこと”そのものよりも――自分が知らなかったことが、たまらなく怖かった。
(俺の前では平気なふりして、痛いのに黙って……なんで、そんな我慢するの…)
心配をかけたくなかった? 迷惑をかけたくなかった?
――そんなの関係ない。
愛してる人が痛い思いして、俺はそれを知らずに、のんきに隣にいたっていうその事実が、 なによりも、情けなくて、悔しくて、怖い。
(俺は、“いざってとき”のためにいるんじゃないの)
震える指先で、そっとその傷をなぞる。
「……なんで、言わなかったの」
声が低く、かすれたのは、怒鳴りたかったわけじゃないから。
ただ、どうしようもなく、苦しくなったから。
自分が守れなかったこと。
そして、その痛みを分けてもらえなかったこと。
その両方が、すちの心を深く抉っていた。
(俺は、もっと……みこちゃんに寄り添えてると思ってたのに)
でも、すぐに思い直す。
(違う。怒っても、責めても、意味ない。今は、ただ……守ることだけに集中しないと)
深く息を吸って、みことの手をそっと包み込む。
(次は、絶対に……どんな小さなことも、俺が一番に気づけるようにする。 だからもう、痛い思いなんか……絶対させない)
強く、静かに、そう決意した。
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