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「今日も負け越したか……」
ディクソン・エルシエットは、賭博施設からの帰り道そんなことを呟いた。
エルシエット伯爵家に婿として入ってから、彼はギャンブルに嵌っていた。前々から多少は嗜んでいたのだが、様々なストレスによりそれが悪化したのだ。
当然のことながら、イフェリアを含めたエルシエット伯爵家の面々にはそれをやめるように言われている。だが、彼は決してその悪癖を改めようとしなかった。
減ったお金は、勝って増やすことができる。彼はそう考えていたのだ。
「まずいな、このままでは……」
そうやってギャンブルを続けている内に、彼はどんどん手を付けてはいけないお金まで使い始めていた。
彼の悪癖によって、エルシエット伯爵家の財政は火の車になってしまっているのだ。
しかし、ディクソンは愚かにも未だに信じていた。賭博で勝てば、それらのお金は全て返ってくると。
「ディクソンさん」
「……」
「おっと、それは少しあんまりじゃありませんか? 待ってくださいよ」
そんなディクソンは、自分に声をかけた人物を無視して歩き続けようとした。
その理由は、その人物と話したくなかったからだ。路地裏から現れた明らかに柄が悪い二人組は、そんなディクソンを追いかけてやがてその肩を掴む。
「ぼ、僕を誰だと思っているんだ? そんな風に肩を掴むなんて無礼だぞ?」
「残念ですけどね、身分がどうだとか言う前に、あなたは俺達にしなければならないことがあるでしょう?」
「し、知ったことか。僕の力を使えば、お前達なんて消し去ることは簡単だ」
ディクソンは、既に追い詰められていた。
度重なる失敗によって彼は、借金をした。しかし何度も借りていく内に、彼はこの国で最も頼るべきではない者達に行きついてしまったのだ。
「……あんた、俺達のことを舐めているのか?」
「何を――うぶっ!」
不遜な態度を続けていたディクソンは、ゆっくりと地に膝をつけた。
それは男によって、顔を殴られたからである。ディクソンは鼻から血を流しながら、目の前にいる男の冷たい視線を感じていた。
「まあ、俺みたいなのがこんなことを言うのは変なのかもしれないが、ギャンブルなんてものはやめて真面目に働くことだな? そうじゃなければ、返せるものも返せなくなっちまう。ゴルザス、こちらの紳士を連れて行って差し上げろ?」
「おい、立て!」
ディクソンを責めていた男は、もう一人の大柄な男に指示を出した。
その男によって、ディクソンは無理やり立たされる。彼は怯えていた。これから自分が、何をされるのかがまったくわからなかったからだ。
「ぼ、僕をどこに連れて行くつもりなんだ?」
「仕事をしてもらうんですよ」
「し、仕事だって?」
「ええ、あんたが膨らんだ借金を返せないから、こっちが仕方なく仕事を用意してあげたんですよ。まあ、精々汗水たらして働いてくださいよ、お坊ちゃま」
男は心底馬鹿にしたような口調で、ディクソンにそう言ってきた。
それにディクソンは怒りを覚えたが、最早彼に怒る気力はなかった。追い詰められて殴られて、彼は既に恐怖に支配されていたのである。
こうして、一人の貴族の令息は姿を消すことになったのだった。
◇◇◇
「し、失踪?」
「ああ、そうみたいなんだ……つい先日、いなくなってしまったらしい」
ギルバートからの報告に、私はひどく驚いていた。
エルシエット伯爵家の財政が火の車であること、それがディクソンの悪癖によるものだったということ。それらももちろん、衝撃的なことではある。
ただ最も驚いたのが、ディクソンが失踪したということだ。事情はわからないが、エルシエット伯爵家に婿入りした彼はいなくなってしまったらしい。その消息は、まったく掴めていないようだ。
「話に聞いた所によると、結構あくどい所からお金を借りていたみたいだからね……」
「それが怖くて、逃げ出したということかしら?」
「もしくは、連れて行かれたのかもしれないね。どちらにしても、ディクソン・エルシエットという人間が再び姿を現す可能性は低そうだ」
ギルバートの言葉に、私は少し震えてしまった。
ディクソンは今一体、どこで何をしているのだろうか。果たして生きているのだろうか。彼の末路を考えると、気分が悪くなってくる。
「まあ、何はともあれ、これでエルシエット伯爵家がお金の無心をしてきた理由は判明した訳だ……それで、どうするつもりだい?」
「どうするつもりと言われてもね。縁を切っておいて、今更頼ってくるなと思ってしまうけれど」
「それが当然の反応だろうさ。それなら、丁重にお断りしようか? それとも、こんな手紙は届かなかったということにするかい?」
「返信くらいは、出しておいた方がいいのかもしれないわね。どちらにしても角は立つでしょうし、それならこちらの意思を伝えておいた方がいいように思えるわ。それに無視というのはなんだか子供っぽいしね?」
ギルバートの言葉に、私はそのように返答した。
元親族として、最低限の礼節は弁えた方がいいだろう。感情に任せるよりも、そちらの方が私好みだ。ここはあくまで、大人の対応をするとしよう。
「問題なのは、借金をしたあくどい所かしら? その人達が、こっちに来る可能性はないとは言い切れないわよね?」
「それは確かにそうかもしれないね。親族だからと返済を要求してくるかもしれない」
「それは正直な所、面倒ね。それに腹が立つわ」
「縁を切ったと言って納得してもらえるといいんだけど、それは恐らく難しいだろうね」
早速手紙を書き始めながら、私はギルバートとそんな会話を交わした。
こちらに借金取りが訪ねて来るかもしれない。それは私にとって、非常に億劫なことだった。
どうにかして、それを回避したいとは思う。だが、それもまた中々に難しいことである。
「……相談するべきかしらね」
「相談?」
そこで私は、ゆっくりと筆を止めた。
これからの人生のためにも、過去から続く因縁は断ち切っておかなければならない。
そのために私は、行動を開始するのだった。