💚「先生…ごめんなさい」
🤍『いいよ。そんなの。それより、体調は大丈夫?』
電話口で、ひたすら申し訳なさそうに謝る亮平に、優しい声が返って来る。熱に浮かされた真っ赤な顔で、布団を被り、亮平は静かに泣いていた。
2日前。
ひどい悪寒と関節の痛みに耐えながら、受験会場へと向かった亮平は、試験が終わるとそのままたちまち寝込んでしまった。
病院へ連れて行かれ、案の定、流行っていたインフルエンザと診断され、帰宅した途端、高熱に苦しみ、ほとんど寝たきりになった。顔色も悪い。弟の翔太は、心配して兄のそばにいたがったが、母親がそれを許さず、ここ2日は、両親の部屋に寝起きしていた。
母親づてにそんな事情を聞いた村上が、すぐに亮平の携帯に連絡を入れたのだ。
🤍『試験のことはもう気にせずに…亮平くんなら、高校受験で絶対に巻き返せるから』
💚「はい…」
亮平の声は明らかに落胆しきっている。
受けた中学校はひとつだけ。
体調が悪く、試験の結果も散々だった。自己採点をする気も起きないほどの体たらくだ。
受験にかける想いが人一倍強かった亮平は、周りの子供たちよりも落胆も大きく、今はほとんど飲まず食わずで、気つけば涙を流して泣いている有様だった。今も弱々しい声で、まるでこの世の絶望のすべて背負い込んだような顔をしている。
🤍『そろそろ切るね。ゆっくり寝なさい。落ち着いたら、また遊ぼう』
💚「はい…」
亮平は機械的に同じ返事を繰り返すと、無感情に電話を切った。
枕に涙が零れ落ちる…。
昨夜も中学受験に失敗したところで人生が終わるわけではないと、繰り返し父や母に諭されたし、たった今も村上だって、優しく慰めることしかしなかった。
しかし、それは、亮平にとって責められるより辛い時間に感じられた。彼は、何よりも自分自身で自分を責めている。そんな亮平の、真面目過ぎるほど真面目な性格を知っているからこそ、両親も村上も壊れ物のように彼を扱っていたのだが、亮平にはそれは分からなかった。
💙「おにいちゃ……」
部屋の戸口から、顔が隠れるように大きなマスクを付けて、翔太がこちらを覗いている。 小脇には、大好きなクマのぬいぐるみを携えて。
💚「だめだよ。入ってきちゃ…」
💙「あう……」
翔太の目は潤んでいる。
亮平は自らの涙をパジャマの袖で拭うと、にっこりと笑って見せた。
💚「お兄ちゃんは、もう何ともないから」
💙「何ともなくないもん」
翔太が反論する。
翔太は少し泣き始めていた。
でも、泣き声を上げては迷惑だと思ったのだろう、いつもよりしくしくとおとなしめに泣いている。それが却って兄の哀れを誘った。
💙「いたいの?」
💚「お喉がね…痛いかな。あと、すごくだるいな…」
💙「そう」
翔太は悲しそうに頷くと、覗いていた顔を引っ込めて、消えた。
続いて、ぱたぱたと小さな足音が聞こえる。階段を下りて行ったようだ。
しばらくベッドの天井を見るともなしに見ていると、また、ぱたぱたと足音が聞こえて来た。
翔太だ。
手に、パックのオレンジジュースを持って来ている。小さな手にそれはやけに大きく映った。オレンジのパッケージは、翔太の大好物のジュース。自分のおやつの分を持って来てくれたのだろう。
💙「これね。あげる。……ちょっとだけ入ってもいい?」
お願いをする翔太がとても健気で可愛らしい。喉が渇いていたので、少しならいいだろうと、亮平は無言で頷いた。
亮平も少し、寂しかったのだ。
翔太は花が咲いたように笑顔になって、部屋の中に遠慮がちに入って来た。久しぶりで人見知りをしている風情がある。
頬を赤く染め、翔太は枕もとにおずおずとやって来た。そして、手に持っていた冷たいジュースを、そっと亮平のおでこにあてた。
💙 「あまーくてね。おいしいよ」
💚「うん。ありがとう」
大儀そうに起き上がり、ストローを挿して、一口目を飲むまで、まるでそれが神聖な儀式であるかのように、唾を飲み込んで翔太は亮平を見守っていた。
冷たくて甘いジュースの味に、亮平が微笑むと、翔太は嬉しそうに笑った。
💙「おいしい?」
💚「うん、おいしい。ありがとうね」
頭を撫でてやると、翔太は嬉しそうに目を瞑る。
……こういうので、いいんだよな。
ぼんやりと、亮平は考えた。
平和な日常。
村上に恋をする前は、こんなありきたりの毎日で溢れていた。
村上と出会い、彼にどうしようもなく惹かれてしまってから、亮平の毎日は一変した。
強烈な快感を知り、急速にオトナの仲間入りをした。
おかげで、両親はそうやって自分たちを作ったのだと、斜に構えた感じの悪い見方をするようにもなってしまった。
…こうして、まだ何も知らない無垢な翔太に触れていると、なんだかくすぐったいような、眩しいような…それでいて、思いっきり虐めて泣かせてしまいたいような、複雑な気分になる。
でも、それは絶対にしない。
翔太は真っすぐに亮平を愛していて、それは、欲とか、執着とか、そういった穢れたものとは無縁の感情で。翔太がかなりのブラコンなのはわかっているけど、翔太に支えられている自分も大概ブラコンだと亮平は思う。
亮平は笑った。
💙「んゅ?」
嬉しそうに笑う翔太は、続けてお見舞いのつもりか、得意な歌を歌い始めた。
音楽で習った童謡を、まだ声変わりとは無縁の、高く澄んだ声で心を込めて歌う翔太の声に耳を澄ませ、亮平は穏やかな気持ちで目を閉じる。
こうして二人でいれば、村上のことも、佐久間のことも、受験のことも、忘れることができるような気がした。
それがたとえたった一時の平穏だとしても。
コメント
11件
かわいい…ただただかわいい🥹💚💙
ああぁ。兄弟愛が尊すぎる😭😭😭

きゅん🥺💙