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あのさかを

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あのさかを

1 - 第1話

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2022年07月19日

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「『あの坂をのぼれば、海が見える。少年は朝から歩いていた。草いきれのむっと立ちこめる山道である。――』」

窓際の前から三番目の席で、ユタカはうつらうつらと船を漕いでいた。

ぽかぽかと陽射しのあたたかな春四月、昼休み明けの五時間目の授業はひたすらに眠い。ましてや今日の給食は揚げパンで、欠席した佐々木のパンを巡って繰り広げられたじゃんけん大会を勝ち抜いて一個半を胃に入れているから、なおさらだ。

しかし島田はずるいよなあ、とユタカは給食の時間の出来事を振り返った。じゃんけんの決勝で負けたからって、泣き出すことはないじゃないか。

おかげでユタカは戦利品の半分を島田に差し出すことになってしまった。勝ち抜いた者の正しい権利だから独り占めしたって誰も表立ってユタカを責めはしないだろうけれど、そういうところで度量を見せておくほうが、今後クラスの中で立ち回っていくのにもなにかと有利なのだ。なにしろまだ四月で、このクラスの人間関係がどうなるかは未知数なのだから。「心の広いやつ」というポイントは稼いでおくにこしたことはない。ユタカは成績もあまりよくないし、スポーツもせいぜい平均程度、見た目だってまあ、女子に「生理的にアウト」とは言われないだろうけどっていう程度だから、そういうところに気が回せるかどうかが大事だ。母さんはユタカは和風でいい顔をしてると言うけども、父さんと顔を見合わせて苦笑できる程度にはユタカも自分を客観視ができる。ユタカの顔立ちは母さん譲りで、だから母さんはちょっぴりユタカに点が甘いのだ。ユタカの立ち位置は父さんの言う「いいとこ中の上」が妥当なところだろう。

担任の宮村先生に指名されて音読をしているのは、廊下から二番目の列にいる高山ミドリだ。高山の声は高くてよく通る。声優になりたいから毎朝発声練習をしているのだと大まじめに言うのを聞いたのは、前にクラスが一緒になった一年半ばかり前のことだ。いまも高山が声優を目指しているのかどうかはわからない。小学五年生にもなると、男子と女子がそういう将来の夢の話を(総合学習の時間とかのキレイなタテマエが大事な授業を除いて)する機会なんて、そうそうなくなっている。だから今朝の高山が発声練習をしてきたかどうかわからないけれど、ともかく高山はきれいな声で淀みなく教科書を読んでいて、それはユタカのうたたねの格好のBGMだった。

「はーい青山くん、起きて」

――宮村先生がユタカの席の真横まで来て、ゴホンと咳払いしてそう言うまでは。

「あ、わっ」

「眠気覚ましに続き読んでちょうだい」

「えっと」

「ここ。はい、立って」

失敗、失敗。ガタガタと椅子を鳴らしてユタカは立ち上がった。アハハと声を上げて笑ったのが何人かいたけれど、宮村先生が「はい、おしゃべりしない」と声をかけて静かになった。

宮村先生はユタカの母さんより少し年上らしいおばさん先生で、おっとりしてるように見えるけれどなかなか厳しい、らしい。ユタカの学年の担任になるのは初めてだからよくは知らないけれど、きょうだいが担任されたことがあるという子の情報ではそうだった。とりあえず新学期になって二週間、ひどく怒られたことはまだないが、大事なところできりりとした声で指示されるとなんだか従わざるを得ない雰囲気になる。去年の担任はキャンキャンとよく怒る若い女の先生で、怒ってもあまり迫力がなく、先生の言うことを聞いたら負けだと思ってるような奴らによく振り回されていたのが面倒だったから、今年の担任が宮村先生なのはユタカとしてはまあまあ歓迎だった。いまのところそういうやんちゃな奴らも、様子を見ているのかわりと大人しくしているし。

希望を言うなら一緒にサッカーをしてくれるような若い男の先生が一番良かったけれど、この学校にそんな条件に合う先生は二人ぐらいしかいないので、仕方ない。

「……『もう、やめよう』」

ユタカは両手で教科書を持つと、宮村先生の指差した部分から読み始めた。

「『急に、道ばたに座り込んで、少年はうめくようにそう思った。こんなにつらい思いをして、いったいなんの得があるのか。――』」

前半部分は聞き流していたけれど、音読をさせられると話の内容が頭に入ってきた。主人公の少年は海を見るために坂をのぼってきたけれど、あんまり遠いので嫌になってしまったらしい。

「はい、ありがとう。じゃあ続きを――森君、読んで下さい」

次の人間が指名されて、ユタカはふうと息をついて腰を下ろす。

「『あれは、かいちょうだ!』」

森が大袈裟なくらいの声でそう読んで、何人かが笑った。

「森君。そこは『うみどり』。ふりがなつけたでしょう?」

「あれっ、そうか。じゃあえーと、『あれは、海鳥だ!』」

森はめげずに臨場感たっぷりに読み直した。今度起きた笑い声はさっきよりは小さかったけれど、森はめげない。

森は大物だなあとユタカは思う。ちょっとくらいスベってもまったく気にしない。身体も大きいし、声も大きいし、度量も大きいのだ。大きく見せなければとわざわざ考えて行動するユタカとは違う。一年生のころから森はずっとそうだ。女子の中には森をバカだっていうやつもいるけれど、彼女らは小五にもなってバカをやれることがどれだけすごいのか、わかっていないのだろう。

「『――、ゆっくりと坂をのぼってゆく少年の耳にあるいは心の奥にか、かすかなしおざいのひびきが聞こえ始めていた。』」

「はい。森君、ありがとう」

森が最後まで読み終わって着席する。宮村先生が黒板の前に戻って、授業の最初に書いた題名のとなりを、こんとこぶしで叩いた。

「『あの坂を登れば』というお話ね。このお話について、今日からしばらく、みなさんと考えていきますが――」

「せんせぇ」

先生の口上を遮って声を上げたのは、一番前の席の門野だった。

「発言は手を上げて。なんですか、門野さん?」

「これってあの山?」

門野は窓の外を指差して、首を傾げた。先生の注意なんてまるでこたえていない、いつも通りのマイペースぶりだ。門野はこう言ったらなんだけれど少しテンポがとろくて、ときどき苛々させられる。でもなんとなく憎めないし、はっとするような言葉を言うこともあった。

教室の中の大多数が、門野が指を指した方を見た。宮村先生も見て、ああ、と笑った。

門野が指差したほうに山が見える。中腹に神社があって、このあたりでは「八幡さんの山」と呼ばれている山だ。山頂近くまで通じる道路もあるけれど、徒歩のためのハイキングルートも整備されている。

去年の遠足で、四年生はそこを登ったのだった。

「『あの坂をのぼれば、海が見える。』そうですね、門野さんの言ったとおり。山の頂上の展望台から、海が見えます。去年見た人?」

ぱらぱらと手が上がった。

「見てねえよー! 先生、先に言っといて!」

「先生は去年はあなたたちの担任じゃありません」

「そうだったー!」

森が大袈裟に嘆いて笑いを誘ったけれど、ユタカも実のところ森と同じ気持ちだった。言われてみると海がどうのこうのと言われた気もするけれど、遠足のゴール地点だった広場にへとへとになってたどり着いて、弁当を食べておやつを交換して、あとは下山時刻までそこらで遊ぶのに夢中で、そこから更に階段を上って展望台に登る気になんて、あのときはとてもじゃないがなれなかった。

「もしかしたら彼は、あの山をのぼったのかもしれないね。みなさん、遠足はどうでしたか?」

げー、とか、大変だった、とか、楽勝! とか、疲れたぁ、とか、色んな声があがった。宮村先生はにっこりして、

「じゃあ次は、遠足を思い出しながら読んでみましょう。はいみなさん、最初から黙読」

パチンと手を打ち合わせて、そう指示をした。ユタカは教科書に目を落とす。

――あの坂をのぼれば、海が見える。

なんだかとたんに、主人公の少年が羨ましくなってしまった。

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