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ノアは、決めたら即行動するタイプである。
ニヒと夢の中で会っていたのは僅かな時間だったのにも関わらず、現実世界のノアは3日も眠り続けていた。その間、ロキがずっと傍にいてくれた。
目を覚ましてすぐに飛び起きたノアは「もう一人の自分と約束したから城を出る」とロキに端的に説明をして、一緒に孤児院に戻ろうと子供みたいに駄々をこねた。
どう考えても意味不明の説明だったのに、ロキは苦笑するだけ。明け方だったのに、何も聞かずに素早く孤児院に戻る手筈を整えてくれた。
唯一、困ったのはフレシアに見つかってしまい、強く引き留められてしまったこと。
なかなか手を離してくれないフレシアに、しびれを切らしたロキが強硬手段に出ようとしたので、ノアは文通を提案した。
「わたくし、お手紙でしたら沢山お喋りできますから」
折衷案をのんでくれたフレシアは、はにかみながら宛先が書かれたメモを差し出してくれた。
メモを受け取った瞬間、ノアはとてもくすぐったい気持ちになった。
それは護衛と護衛対象者の関係じゃなく──お友達になれたから。
これまで友と呼べる存在がいなかったノアは、孤児院に戻ったらすぐにフレシアに手紙を書こうと心に誓った。
そんなこんなで、ノアはロキと一緒に馬車の中にいる。
暁と藍色が混ざる空の下、王都はまだ眠りについている。カラカラと回る車輪の音がやけに大きく車内の中に響いている。
ノアは窓を見る。流れる景色の中、身体を捻って後ろを見れば、王城はみるみるうちに小さくなっていく。
「あんた、本当に良かったのかい?」
ずっと黙ったままだったロキが、ため息交じりにそう言った。
「はい。これで良かったんです」
即答した途端、隣に座るロキがあからさまに肩をすくめたが、ノアは気付かないフリをする。
「もともと夜会が終わったら、孤児院に戻るつもりでしたし……」
「し?」
「私、あそこにいちゃいけないんです」
「……へぇ」
「それに皆が幸せになるためには、私が一刻も早くお城を去るのが最善だったんです」
「そうかい」
上手く説明できていないのに、ロキはあっさりと納得した。
再び車内は、沈黙が落ちる。景色がちょっとずつ変わっていく毎に、空は青みを帯びた色になる。もうすぐ朝だ。
ほんの数日前なら、まだお城の大きなベッドで寝ていた。フレシアに起こされて、簡素なドレスを着て、グレイアスに怒られて、アシェルとお茶をした。
そんな日々がもう当たり前のようになっていて、それができないことに寂しさを覚えてしまう。
(でも、大丈夫。すぐに戻る)
寂しいと感じるのは、それまでの時間が楽しかった証拠だ。
なくなってしまったものを惜しむより、幸せだったと笑った方がいい。そうやって、これまで生きてきた。だから今回もそうすればいい。
そう。それで万事解決だと、思っていたけれど──
「ノア、あんたねえ」
ロキが呆れた声で話しかけるが、ノアは返事をしない。
でもロキは、お構いなしに言葉を続ける。
「皆が幸せになるためって言ったくせに、どうしてあんたは泣いているんだい?」
「っ……!」
何も言い返せなくて、ノアは強く唇を噛んだ。
強く噛み締めた唇から、嗚咽が漏れる。ブルーグレーの瞳からは大粒の涙があふれていた。
ノアの瞳から零れ落ちた涙は頬を伝い、膝に幾つもの染みを作る。これで泣いていないと言い張るのは少々……いや、かなり無理がある。
「……新種のキノコを食べただけです」
「へぇ。泣き虫になるキノコなのかい?」
「そ……そうです。そうなんです。びっくりです」
「へぇ」
悩んだ挙句に口にした言い訳は、自分でも苦しいものだった。ロキの「何言ってんだよ」という視線がめっちゃ痛い。
「あんたはどうしてこう……強がりばっかり言うんだろうねぇ」
俯いたノアの頭を、ロキは撫でる。つい先日、拳骨を落としたとは思えない優しい手つきで。
「自分を犠牲にして、それで丸く収まるなんていう考えは偽善だよ。そりゃあ我慢しなくちゃいけないことは、この世の中ごまんとあるけどさ」
「……」
「まぁ、あるんだから、我慢しなくて良いときはしちゃいけないんさ。ノア、そうじゃなきゃ、本当に我慢しないといけない時にできなくなってしまうよ」
「……」
ロキにしては珍しく穏やかな口調で話してくれるが、ノアは頑として頷かない。
でも間違っているとは思っていない。そして今、とても辛い。
アシェルと離れることが、こんなにも苦しいことだなんて思ってもみなかった。
どうしてだろう。元の生活に戻るだけなのに、心の一番大事な部分がすっぽり抜け落ちてしまって、それをどうやって埋めていいのかわからないのだ。
「……っ……ふぇ……うっ……うぅっ」
俯いたまま、ノアはぎゅっと胸を押さえる。その拍子に、涙がぼたぼたと手の甲に落ちた。
後悔しない選択をしたはずなのに、前向きな気持ちになれない。これからどうしていいのかわからない。
元の生活に戻って、アシェルのことを思い出さないようにすれば、この苦しみから解放されるのか。
もし、うっかり彼の面影を探してしまったら「全部終わったこと」と自分に言い聞かせればいいのだろうか。それでも探してしまうなら、自分に罰を与えればいいのだろうか。
そんなことをぐるぐる考えたら「無理!」と叫びたくなる衝動に駆られて、ノアはまた唇を噛む。鉄さびの味が、口の中に広がる。
「ノア、城に戻るかい?今なら間に合うさ。あんたが決めたことなら、あたしゃ力になるよ。それがどんな決断でも、ね」
本当に本当に、一体どうしたの?と聞きたくなるほど優しいロキの言葉が耳に響く。
ノアは、すかさず首を横に振ろうとした。でも自分の意思に反して首がどうあっても動かない。イラついて何度も試すが、やっぱり首は横に動かない。
一人悪戦苦闘するノアに、ロキは残念な子を見るような視線を送る。
「あんたねぇ。自分自身に意地張ってどうするんだい?いい加減、素直になりな」
堪え性のないロキは、完全に苛立っている。ノアの頭に置いている手は、無意識に拳を握る形になっている。それが勢いよく落とされるのは時間の問題だ。
でもロキは、ノアの頭に拳骨を落とさなかった。
「……はぁーあ、こりゃ柄にもないことを言ったせいなのかねぇ」
そんなロキの呟きと同時に、馬車が急停車した。
街道のど真ん中で停まった馬車に、ノアは事故でもあったのかと涙をぬぐいながら窓を覗き──すぐに、引っ込めた。
なぜならノア達の行く手を阻むように、王城の衛兵たちが道を塞いでいたから。
しかもその最前列には、アシェルがいた。
夜会の時の衣装よりはるかに豪奢で、凛々しい正装姿で。