コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
第0章
世の中の大きな功績はすべて、およそ不可能だと思われることをやり遂げようとした、常識外れの人々によって達成された──ジョージ・バーナード・ショー
語り部〈大和 善吉(ヤマト ゼンキチ)〉
〈0 まえがき/プロローグ〉
ヒーローとは何か。
警察官。消防士。自衛隊員。医療従業者。教育者。社会福祉士。
近年ではプロ野球選手なんかもそうだろう。
ヒーローは社会に尽くし、貢献し。市民のために支援をする。
功績を出した者は称賛され、喝采される。
──だが、そうした《社会的功績》を積み上げた者だけが、本当にヒーローと言えるのだろうか。
俺はそうは思わない。
功績は結果で、意思ではない。
ヒーローとは、本来もっと単純で、誰もが一目でそうと分かる、揺るがぬ存在だったはずだ。
子どもたちがテレビに釘づけになったあの《戦隊ヒーロー》のように。
悪を前に正義を貫ける、恐れるまでの勇気。
困っている者には迷わず手を差し伸べられるような、圧巻的行動力。
そして──どんな脅威に対しても絶対に背中を向けない、最強の意思。そういった《善》そのもの。
それがヒーローだ。
それこそが、ヒーローであるべきだ。
余計な理由付けも、複雑な事情もいらない。
誰が見ても間違いなく正しいことをする。
その潔さこそが、ヒーローをヒーローたらしめていた。
俺はそんな《分かりやすい正義》に憧れた。
憧れ、焦がれた。
それは、異様なまでの執着。
将来の夢。
それはいつだって《ヒーローになること》だった。
幼稚園の文集にも、小学校の卒業文集にも、迷いなくそう書いた。
それはもう、熱を帯びて。
大人たちは笑った。「かわいいね」「いつかきっとなれるよ」なんて、子どもに向けるお決まりの優しい言葉で撫でてくれた。
だけど、俺は本気だった。
《ヒーローは実在する》
テレビの中だけの虚構なんかじゃない。
少なくとも、俺はそう信じていた。
あれほど真っ直ぐで、あれほど強くて、あれほど清廉な、絶対的正義が、この世界に存在しないはずがないと。
だが、成長するにつれて、それはただの夢想であり、フィクションだと突きつけられた。
正義は人の数だけ形があり、誰もが誰かのヒーローである。
誰かのための行動が、別の誰かを傷つけることもある。
そんな当たり前の現実を理解するたび、俺の胸は締め付けられた。
それでも。
俺は諦められなかった。
大人になって、社会を知り、理不尽や矛盾を見せつけられてもなお、幼さの憧れは色あせなかった。
むしろ、濁り荒んだ現実の中でこそ、あの単純明快で、簡潔明瞭な《分かりやすい正義》は、目まぐるしいほどに眩しく──輝いていた。
たとえ笑われても。揶揄されても。幼稚だと切り捨てられても構わない。
自分自身を誇れるように。
俺は《英雄》になる。
そう決めた。
否、決めたはずだったんだ。
〈1 大和善吉〉
大和善吉。三十八歳。運送企業の一社員。
机の上には書類の山、隣には冷めきったコーヒーが半分残ったマグカップ。部屋に充満する湿布の臭い。積み荷の遅配処理の報告書。客からのクレームの記録。人手不足のシフト表。
身を削るような労働をこなし、日々の給料を家賃に納め、残りの金で私生活をする。
棚にはアメリカの翻訳版コミック。陳列する戦隊ヒーローのフィギュアたち。
終いに壁には、週刊誌の付録として付いていた、名も知らないグラドルのポスター………。
夢にまで見た《英雄》とは程遠い日常だ。
お陰で家族とは疎遠状態。
「いや、おかげさまでと言うべきかな………」
『いつまでもそんな子供みたいなことしてないで、中学を出たら就職しなさいよ』『父さんの知り合いが、大手運送企業の社員なんだ。どうだ? 善吉。そこでなら体力も付けられて、ヒーローになれるかもしれないぞ』『あんた、ちゃんとお金貯めてるの? フィギュアなんて、なんのお金にもならないじゃない』『善吉、プレゼントだ。このモデル、完全生産でもう売ってないらしいぞ』『あんた、面接はどうだったの?………ほら、お父さんからもなにか言ってくださいよ』『そうだな………善吉。趣味も良いが………なあ、そう言うのは、ほどほどにしておけよ』
「………全部、俺のためを思ってのことだったんだよな………」
そんなノスタルジックな自己憐憫に浸かりながら、今日もスマホのニュースを眺める。大規模火災、人身事故、凶悪事件………クラヤミに呑まれた世の中で尚──誰かが、誰かのために必死で戦っている。
「俺は………なにをしてるんだ」
毎日、ただ数字と書類に追われ、誰かのためになどならない作業を繰り返し行う。
毎日、毎日。
毎日、毎日、毎日。
かつて夢見た《英雄》──あの頃の俺なら、迷わず飛び込んでいただろう。
渦中の中心。災害現場や事件の捜査協力へ。
しかし、もうすぐ四十の身だ。
《それは警察の仕事だから》
俺ごときが出てきたところで──首を突っ込んだところで、事態は好転しないし、課題は解決を見ない。
──いつから俺は、こうなってしまったのか。
いつまで俺は、こうなのか。
「………!?」
メールの着信音。それが二回。
目に飛び込んできた情報に、俺は思わず手に持ちかけていたマグカップを倒してしまった。
バックアップのとっていない書類にコーヒーが飛び散ってしまったが、この際どうでもいい。
本当にどうでもいいんだ。そんなことは。
流し見をしていたニュースに紛れ、でも確かに煌めくその紅色の太字に、俺は釘付けになっていた。
手は小刻みに震え、心拍数はいままでにないほどに高まっていく。
三十八歳の中年が、不覚にも
ときめいてしまったのだ。