僕の恋人はやたらとキスをしたがる。あぁ、いや、これは決して惚気話なんかじゃなくて。わりと本気で困っている話なのだ。
「涼ちゃん、おはよう」
朝、目が覚めたばかりの彼は眠そうに目を擦りながら僕に笑いかける。ところで僕の恋人は顔がいい。めちゃくちゃにいい。普通寝起きってむくんだりとかするじゃんか。そういうのもないんだよね、彼。本当に羨ましい。黙ってすましている時なんかはクールな印象を持たれがちだけれど、僕に向ける笑顔はふにゃふにゃで、もはや大型犬のそれ。
「おはよ」
と返しながらその頭をわしゃわしゃと撫でると、謎の呻き声をあげながら僕に抱きついてくる。そのまま角度を変えながら2度3度とキスも。
「あ〜っ、やばい目が覚めて横に涼ちゃんがいるとか最高すぎる、かわいい」
「もう、毎朝やるつもりじゃないよねこれ?!いい加減慣れてよ~」
僕と若井は付き合ってまだ3ヶ月なのだけれど、彼の強い希望もあり、1週間前から同棲を始めた。とは言っても、休止期間中には互いのことを知るためにと同居していたこともあるので、何かと勝手知ったる訳ではあるのだが。
「俺は毎朝でもいいんだけど?」
若井の指がするりと僕の服の隙間から侵入してきて、脇腹のあたりをなぞる。
「ひゃ、ちょっと!」
「やば、反応かわいすぎ」
そのまま僕の首元に顔を埋め、首筋に舌を這わす。寝起きのため少し体温が低いのか、いつもよりぬるめのやわらかなそれは鎖骨の辺りから耳の裏にかけてゆっくりとあがってくる。
「ちょーっと!若井さん、朝ですよ」
声がこらえきれなくなりそうになり、僕は慌てて彼を引き剥がした。
「昨日はさせてくれたじゃん」
不満そうに唇を尖らせる彼。
「今日はほら、午前から仕事あるじゃん」
「午前に仕事ない日ならいいの?」
ここで適当にうん、なんて頷こうものなら本当に午前のスケジュールが空いている日は毎朝襲われかねない。場合によっては……というか大体の場合は、午後の僕が使い物にならなくなってしまう。それはミセスとして大問題にもつながりかねないわけでして。
「……だめ」
少し間を置いてから、そっぽを向いてはっきりと拒否の意思表示をすると、え~、と彼は不満そうに声をあげる。僕はそれをスルーして、するりと彼の腕から抜け出し、彼の引き止める声を背中に聞きながら寝室をあとにした。
キッチンでコーヒーを淹れ始めると、遅れて彼もまだまだ眠いと言わんばかりにのろのろとリビングに入ってくる。先程僕がつけたテレビの画面にちら、と目を遣り、すぐに顔を顰めた。
「うわ、今日もあちー」
6月の末だが、もう夏本番ですよと言わんばかりの気温予報。
「MV撮影マジしんどいって」
そう、今日は7月に発表予定の楽曲のMV撮影があるのだ。夏をテーマにした曲ということもあり、外での撮影シーンが多い。
「熱中症気をつけなきゃね」
そう言いながら彼にコーヒーの入ったマグカップを渡すと、ありがとう、と嬉しそうに笑い、少し首を伸ばして僕の頬にキスをした。
「涼ちゃんの淹れてくれたコーヒーが飲めるなんて俺って世界一の幸せ者だぁ」
「大袈裟だなぁ」
僕は笑う。
「しかも淹れたのはコーヒーメーカーだし」
「そういうことじゃないんだよ」
彼は拗ねたようにちょっと頬を膨らませる。
「こうやって涼ちゃんがさ、当たり前のように朝に同じ空間にいて、こうやってコーヒー用意してくれて、それを一緒に飲んで……本当に幸せなんだよ」
急に真面目な顔をして、こちらをまっすぐに見つめてくる。普段から好きだの可愛いだの愛してるだの甘い言葉を臆面もなく囁いてくる彼だが、こんな風に急にかしこまられるとなんだか照れてしまう。本当は僕だって、こういう時「僕も滉斗といれて幸せだよ」とかなんとか返せたらいいのにとは思うのだけれど、なかなか恥ずかしさが勝ってしまって口には出せない。
「はいはい、準備しようね。遅れちゃうよ」
なんて照れ隠しをして、でもせめて僕が彼のことを大好きなことは伝わるようにと願いながらそのおでこに軽くキスをする。彼が僕にする回数に比べれば何十分の一くらいなんじゃないかってくらいの、僕からのキス。すると彼はふにゃふにゃの笑顔になって
「ね、いまのもっかいして」
なんて自分の唇を指さしながらいうものだから、僕はデコピンをひとつお見舞いしてやった。付き合い始めた頃から何かとキスしたがりな彼だけれど、一緒に暮らし始めてからというものそれが加速している気がする。そしてこれが、家の中だけならまだいいのだけれど、移動中の車内、控え室、しまいにはテレビ局で控え室からスタジオ等に移動する途中なんかでも、周りの目を盗んで僕の頬や唇に軽く口付けを落としていく。そして家に帰りつけば「外で我慢した分」などとほざいて散々キスをしてそのまま……という流れまでできつつあるのだ。
「涼ちゃんがほざくとか使うの初めて聞いた」
「そこ?そこじゃないでしょツッコミどころは」
目の前でスマホをいじりながら適当な相槌を打っていた元貴は、僕の話を聞いているのか聞いていないのか判然としなかったが、どうやらちゃんと聞いてくれていたらしい。いまはMV撮影中で、若井の個別シーンを撮っているため、僕と元貴はロケバスの車内で休憩中なのだ。
「つまり場も弁えずに馬鹿の一つ覚えみたいにキスしてくる阿呆をどうにかしたいって?」
「そこまでは言ってないんだけど……」
いいこと教えてあげる、と元貴はスマホから顔を上げ、何かを企むようににやりとその口角を上げる。
「これを使ったらいいよ」
そう言って彼は、車の中に用意された差し入れのお菓子たちの中からカラフルな包み紙のキャンディをつかみとって僕に差し出す。
「キャンディ……?」
意図が汲み取れずに首を傾げる僕に、元貴は説明をしてくれる。
「口の中にものが入ってる時にキスしようって思う人間はあまりいないでしょ、だから今キスされたくないなって時に若井の口にこれ放り込んどくの。キャンディなら溶けるまでの時間もあるし、いい時間稼ぎでしょ」
なるほどね、と僕は舌を巻く。さすが元貴、頭いい。
「ありがとう!あめちゃん持ち歩くようにしよ〜」
早速帰りにキャンディを買って帰ろうとスマホにメモをしている僕に、元貴がぼそりと
「これが惚気じゃなかったらなんだっていうんだよ」
と呟いたのはもうすっかり聞こえていなかった。
元貴提案の「キャンディ作戦」はなかなか功を奏した。移動の車に乗る前、控え室で過ごす時間が長めの時、家に帰りつく少し前。元貴が「タイミングが重要だから」といくつか教えてくれたタイミングに合わせて
「若井、これあーげるっ」
と言ってぽん、と口の中にキャンディを入れる。すると、ちゃんとキャンディが口の中にある間は「ステイ」をしているのだ。僕は感動した。あちこちでキスをするのは控えてほしいと口でもかなり言っていたのにまったく改善の兆しをみせなかったそれが、こんなにかわいいキャンディひとつで解決するだなんて!そしてもうひとつ学んだことは、彼は僕の「これあーげるっ」を拒否できないのだ。一度、キスしたそうにこちらに寄ってきた時に、同じようにキャンディを差し出したところ、苦渋の決断を迫られたかのように顔を顰めながらぎゅ、と口を噤んだあと、「ありがと」とふにゃりと笑ってキャンディを口にした。悩みの種を解決した上、なんとも可愛らしい彼の一面を発見できた僕は、このところとても機嫌がいい。
「涼ちゃん最近めちゃくちゃキャンディくれるよね」
若井の指摘に内心ぎくりとしつつも、そう?と何気ない風を装う。
「最近キャンディはまってるんだよね〜ほらいろいろあるじゃない。見た目も可愛いし、なんだか楽しくって。それで若井にも分けたいな〜って」
「え〜なにそれかわいい!」
するりと僕に抱きつく彼。ちょっと、控え室なんだけどなここ。耳元に唇を寄せようとする彼に
「これ今日買ったやつ!あーげるっ」
とキャンディを差し出す。企みを阻まれて、少し眉尻を下げる彼に、ちょっと罪悪感を覚えつつも、いやここテレビ局の控え室だし、いつ元貴やスタッフが帰ってくるか分かんないし、と自分に言い聞かせた。
「ありがと」
もう慣れたようにキャンディを口にする彼の頭をなんとなく撫でる。なんかちょっと、彼には悪いけど、実家のワンちゃんにご褒美のおやつをあげる時を思い出しちゃうな。
「これなに?おいしい」
「あっほんと?プリン味のキャンディあって面白いなって買ったの」
言い訳のように「キャンディにハマってる」なんて彼には説明したが、これはあながち嘘ではなかった。若井に飽きられないようにといろんなキャンディを探してるうちに、かなりハマりつつあり、いろいろな味や種類のものを買ってみては自分も試しているのだ。
「僕もまだ食べてみてないんだよね」
もう1個取り出そうとポーチに手を伸ばすと、それを遮るように彼に肩を掴まれる。なんだろう、と思う間もなく、そのまま顎に手を添えられた。唇が重なる。言葉を発したそのままに薄く開いていた唇の隙間から彼の舌が潜り込んでくる。甘い。バニラビーンズの香りにカラメルの味。絡み合う舌の間で、何か硬いものが転がる。さっきのキャンディだ。舌も、香りも、唾液も、甘く僕に絡みついて離さない。
「……ん、は」
唇が離れる。糖分でべたつく唾液が線となって僕らを繋ぐ。あまりに急な展開に脳が追いつかず、目を白黒させている僕に彼はしてやったりといわんばかりに笑った。
「ね、おいしいでしょ」
ようやく理解が追いつき、顔が急に熱を持つのが分かった。
「ちょっ……!」
文句を言ってやろうとその腕を掴んだ僕に、彼はんべっと舌を出す。その舌にはさっきの深いキスのせいで随分と小さくなってしまったキャンディがのっている。
「元貴から教わんなかった?キャンディはこういう使い方もできるんだってこと」
僕は目を見開いた。
「なに、聞いてたの、こないだの……」
「え?別に。でもこんなこと涼ちゃんは思いつかないだろうな〜って。そしたら入れ知恵すんのなんて元貴だろ」
全部見抜かれている。うぐぐ、と言葉に詰まっていると
「俺にキスされんのヤダ?」
目を逸らしながら静かなトーンで彼は言葉を紡ぐ。僕は慌ててかぶりを振った。
「嫌なわけないじゃない!たださ、あんまりにも多いから、TPOもあるし、それに……」
それに、と言い淀んで視線を下げる。キスされるのが嫌で意地悪でこんなことをしたんじゃない。だって、僕は彼の事が大好きなのだ。それはおそらく、彼が思うよりもずっと。ふと目を上げると、こちらを寂しそうに見つめる彼と目が合った。
「不公平じゃない、僕ばっかりドキドキさせられて」
えっ、と彼は息を呑んだ。
「僕なんかさ、なかなか緊張しちゃって自分からキスできないのに、若井は平然としてくるからさ。甘い言葉だってぽんぽん言うし、こんなに意識しちゃってんの僕だけかなって……」
「何言ってんだよ!」
彼が僕を勢いよく抱きしめる。腕に込められた力はいつもよりも強く、しっかりとその身体に密着させられる。
「俺がドキドキしてないわけないじゃん!」
これならちゃんと伝わるだろ……と彼はちょっと泣きそうな声で言う。確かな心臓の音。僕のものとは反対側から、でもそれは僕のそれと同じくらいのリズムを刻んでいて。
「俺は……涼ちゃんのことがめちゃくちゃ好きで好きで、ドキドキしまくってて、それが嬉しいから言葉とか行動で示したくなっちゃうだけで……余裕なんてまったくねぇの!」
てか余裕あったら家帰るなり押し倒してねぇだろ!と何故か怒られて。僕はそれはそうか、と吹き出してしまった。
「むしろ俺、涼ちゃんはいつも軽く受け流してくるから、実は俺の事そんなに好きじゃないのかもって不安に思ってたんだよ……それに加えて最近はキスも防がれるしさ」
彼の意外な言葉を僕は目を丸くする。そうだったのか。なんだ、ふたりとも似たようなことで悩んでいたのか。僕は彼の頬に手を添える。
「ごめん……だってあんなに甘くされたらこっちの理性がもたなくなっちゃいそうで」
大好きだよ、滉斗。僕は彼に口付ける。触れただけのそれは角度を変えながら次第に深さを増していって。
甘い。甘くて溺れてしまいそうだ。でもこれはキャンディの甘さだけじゃないことを、僕はもう知っている。
※※※
昨日とは一転甘々なお話を🍬
最近作業のお供にキャンディを買うんですが、ついパインアメに走りがちなわたしです
おすすめあれば教えてくださいー!
コメント
12件
りょつぱ守備範囲外だったはずなのに、いろはさんの書くお話が良すぎてりょつぱも楽しめる身体にされてしまった、、() むしろ甘々なりょつぱ最高!かわいすぎる~
💙💛のあまーいお話、最高でした~🫣💕 私、仕事で煮詰まった時は強炭酸のラムネなめてます!笑 良かったら試して下さい♥️
キャぁぁぁぁぁ ー!ここに神様います!!!