テラーノベル
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第16話 まだ 名前のない余白⸻
夕暮れの屋上。
フェンスの向こうで、空がゆっくりと藍色へ溶けていく。
昼と夜の境界は曖昧で、
世界はまるで、水彩絵の具を滲ませた紙のようだった。
澄は、その空を見ていた。
風がページをめくる。
閉じかけた本の紙がさらりと鳴った。
「あや」
凛として静かな澄の声が響く
「ん?どうしたの 澄」
あやは澄に視線を向ける
透き通る湖のような静かな眼差しがあやをみつめる
「…..」
「今日の空は、少し静かだね」
やがて澄は静かにそう語りかける
「そう?」
あやは笑って空を見上げる。
「私はいつも通りに見えるけどなぁ」
夕暮れの空には、気が付けば青紫の色彩が差していた
「……そうだね」
澄は頷く。
そしてゆっくりと視線をあげる
さらりと綺麗な薄紫の髪が肩にかかる
彼女の視界には、
同じ空が幾千枚も重なって視えた。
晴れた空。
雨雲に覆われた空。
夕焼け。
星のない夜。
そのすべてが、
一枚のガラスへ映り込む景色のように、
具現化していない無数の可能性が静かに重なり合っている。
まだ 現実ではない。
ーけれどー
どれも確かに存在していた。
静寂が空間を包む
「あ 2人ともみーっけ!」
春風のような可憐な声が響く
あやが我に返るように視線を声に向けると
扉の隙間からエルが手をこちらにパタパタ振りながら新作のパンを嬉しそうに掲げる。
「見て見て! 今日はコンビニの期間限定のメロンパン!」
思わず、その愛らしい光景にふと頬が緩む
「あ、それ美味しそう」
あやが小さく笑う。
「やれやれ」
エルの後ろから追いついたように生徒会会議帰りの梓も顔を覗かせる
梓はコーヒーを片手に、小さく肩をすくめた。
「君たちは毎日パンの話をしているね」
「だってパンをもぎゅもぎゅしてるとき幸せだもん!」
エルがパンを胸元にぎゅっと抱きしめ天真爛漫な愛されスマイルを咲かせる
その横で
澄だけは、静かに本を閉じた。
「さぁ あや 澄ちゃん!二人の分もあるから好きなの選んでいいよー!」
エルが目の前にたくさんのパンを取り出す
ピザパン ぷりんパン くりーむパン
「買いすぎだ」
梓が隣で呆れたように突っ込みをいれる
「にゃははー」
エルが少し照れたようにはにかみながら
こちらにパンを差し出す
「はい!どーぞっ!」
「え いいの!?」
あやが瞳を輝かせて
「エル ありがとう!どれにしようかな〜?」
あやは楽しそうに頬に手をあてて並べられたパンをみつめだす
「……それ」
澄の静かな声に
三人が振り向く。
「もう選んでるよね」
「え?」
あやが首を傾げる。
「まだ決めてないよ?」
数秒の沈黙。
あやはエルのパンを見つめ、思い出したように言った。
「やっぱり一口ちょうだい」
エルが笑ってパンを半分に割る。
時間が、澄の中でだけ数秒早く進み、そして重なる。
澄は、小さく視線を伏せた。
「……そう」
それ以上、何も言わなかった。
⸻
それから1週間後の放課後
放課後。
「あれ……」
あやが慌てた様子で鞄の中を何度も探している。
「ない..ない」
「あやの大切な宇宙論のノートがない」
しばらくしてから
泣きそうになりながらしゅんとしている
「え!? 一緒に探そう!」
その様子をみてエルも机の下を覗き込む。
「私も探すよ」
梓も少ししてから立ち上がる。
その時。
澄だけが、窓の外の雲を見つめたまま静かに言った。
「もう見つかってる」
「机の、一番奥」
「….?」
あやは言われた通りに机の奥を丁寧に探し出す
数分後。
「あった!」
机の脚の奥、誰も見ていなかった暗い隙間からノートが見つかる。
その光景にエルが目を丸くした。
「澄……どうして分かったの?」
澄は少しだけ視線を伏せる長いまつ毛が白く透き通るような頬に影をおとす
「……視えたから」
その瞳は、みんなと同じ教室にいながら、どこか遠い世界を見つめているようだった。
その瞬間あやは 心の中に日常の小さな違和感を感じた。
「澄…」
ーー
次の日の放課後
あやは澄と一緒に屋上にいた
風が二人の髪を靡かせる
「澄..来てくれてありがとう」
あやは小さく視線をあげる
「構わない」
それを一瞬捉えて 澄は呟く
「……」
「前から気になってたんだけど」
あやがフェンスへ寄りかかる。
「澄ってさ。」
「未来が見えてるの?」
その言葉がおちたとき 風が止んだ
「未来……」
澄が視線を上げる
その言葉を、
口の中で転がすように繰り返してから、
小さく首を振った。
「少し違う」
「私は未来を見てるんじゃない。」
「未来になる前の世界を見てる。」
⸻
「未来になる前?」
「ええ」
澄は空へ白く細い指先を伸ばす。
逆光が細い影をつくりだす
やがて
夕焼けの雲がゆっくり流れていく。
「雲って」
「形が決まる前は、どんな形にも見えるでしょう。」
「うん……」
「私には、それが人の選択でも見えてしまう。」
一本
二本
百本
千本
枝が伸びるように
世界が
音もなく分岐していく。
⸻
「だから」
澄は笑わなかった。
「安心できない」
その一言だけだった。
あやは何も言わない。
澄は続ける。
「今ここで笑っている、あやも。」
「泣いている、あやも。」
「怒っている、あやも。」
「ーそしてー」
「私の前からいなくなる、あやも。」
「全部。」
「同じくらい鮮明に見える。」
風が吹く。
澄の銀色の髪が、
夕焼けの光を受けて揺れた。
「だから..」
「私は、一つだけを信じることができない。」
⸻
しばらく二人とも黙っていた。
遠くで運動部の笛が鳴る。
誰かの笑い声。
鳥が一羽
校舎の屋根を横切っていく。
その何気ない景色さえ、
澄には、
幾千通りの未来の分岐線のように重なって見えていた。
⸻
「ねえ。」
しばらくして
澄が静かに言う。
「全部の未来が本当に存在するなら。」
「選ぶ意味って、あると思う?」
⸻
「……」
ただ 静かに少し寄り添う
「そっか」
「……..」
あやは
胸元の白いリボンを指先で整えた。
「私は ただ 今ここにある温度を大切にしたい」
澄をみつめて優しく微笑む
澄がゆっくり視線をあやに向ける
「……」
「どうして?」
「だって。」
あやは小さく笑う。
夕陽を映した瞳は、
どこまでもまっすぐだった。
「未来って。」
「何が起きるかより。」
「誰とそこへ行くかの方が、私にとっては大切だから」
澄の瞳が、
湖の波紋ようにほんの少しだけ揺れる。
「私は みんながいる未来を選びたい。」
「私も」
「エルも」
「梓も」
「栞も」
「まだ会ってない誰かも」
「一緒に笑ってる未来」
「でもね 何かを選ぶことは 何かを選ばないこと同じ」
澄の胸元のリボンに触れる指先に少しだけ力がはいる
「だから」
小さく吸い込んで
「少し 痛い」
⸻
その瞬間だった。
澄の視界を埋め尽くしていた無数の未来が、
水面へ落ちた雫のように、
静かに波紋を描いた。
笑う未来。
泣く未来。
失う未来。
別れる未来
澄はその光を見つめる
今まで何億通りもの未来を観測してきた。
「未来を 誰と見るか ね」
「……そうか。」
澄は小さく息をつく。
「観測って。」
「未来そのものではないの。」
「選び続けること」
「その軌跡を見届けること。」
「なるほど 興味深い」
ーー私もまた、未来を選んでいたのかーー
⸻
翌日
窓際。
ページをめくる音だけが、
静かな教室に溶けていく。
ふと顔を上げる。
教室の向こうでは、
エルが笑っている。
あやも笑っている。
梓が困ったように肩をすくめ、
栞がその光景を嬉しそうにノートへ書き留めていた。
その瞬間。
枝分かれしていた無数の未来は、
風に揺れる若葉のように静まり返り、
一本だけ
柔らかな光を宿した世界線が、
澄の視界に残った。
澄は静かに本を閉じる。
「……観測対象、更新。」
ほんのわずか
誰にも気づかれないくらい小さく、
その唇が緩んだ。
「興味深い。」
窓の外では初夏の風が吹き、
教室中に響く笑い声を、
どこまでも遠く運んでいった。
ーー
「窓辺の観測者」
昼休み。
図書室の奥、陽だまりの差す窓際。
澄はいつもの席で、一冊の本を片手で静かに読んでいた。
窓の外では初夏の風が若葉を揺らし、校庭から遠く笑い声が届いてくる。
ページをめくる音だけが、小さく時間を刻んでいた。
そのとき
開け放たれた窓枠へ、一匹の黒猫がひらりと飛び乗る。
「……来たの」
澄は視線だけをそちらへ向ける。
猫は返事をする代わりに、小さく「にゃあ」と鳴いた。
まるで、いつもの挨拶だった。
猫は迷いなく窓から部屋へ入り、机の上を器用に歩く。
そして当然のように、澄の膝へ飛び乗った。
本を片手に文字に視線をおとす ただ避けようとはしなかった。
猫は丸くなり、ごろごろと喉を鳴らし始める。
柔らかな振動が制服越しに伝わってくる。
澄は片手でページをめくりながら、もう片方の手をそっと猫の背へ添えた。
ゆっくり、一度だけ撫でる。
猫は安心しきったように目を細め、そのまま身体を預けた。
「君は、不思議だね」
澄が静かに呟く。
「未来なんて見えないはずなのに。」
猫は答えない。
ただ、膝の上で琥珀色の瞳で澄をみあげた
そしてそのまま心地よさそうに眠り始める
澄は小さく息をつく。
「……君はそのままでいい。」
未来も。
可能性も。
失われる世界線も。
何ひとつ知らずに、今という一瞬だけを生きている。
窓から吹き込む風が、本のページをふわりと揺らし 澄はそっと紙を押さえ、再び文字へ視線を落とした。
膝の上では猫が穏やかな寝息を立てている。
その重みだけが、「この瞬間」が確かに存在している証のようだった。
澄の口元が、ごくわずかに緩む。
それは誰にも気づかれないくらい、小さな微笑み。
けれど、その日いちばん自然な表情だった。
窓の外では風が木々を揺らし
世界は何事もなかったように、静かに次のページへ進んでいった。
コメント
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みぅです🤍🥀読了しました。 第16話、すごく綺麗で、ちょっと切なくて…。澄の「未来になる前の世界を見てる」っていう感覚、すごく繊細で胸に響きました。あやの「誰とそこへ行くかの方が大切」っていう言葉、あの場面でちゃんと返せるの強くて優しいなって。 最後の黒猫のシーン、静かな温かさがあって、ほっとしました。澄がちょっとだけ微笑んだところ、ちゃんと見逃さなかったよ。更新された世界線、ずっと見届けたいです🌙
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