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「野菜がこれだけ手に入った。一旦、帰るとするか」
言いながら、包みを抱えた岩崎はそっぽを向いて、月子へグイグイ肘を突き出してくる。
腕にしっかり掴まれと言いたいらしい。
月子は、戸惑いつつも、笑いが込み上げて来て、それをこらえるのに精一杯だった。
見慣れた路地に入り、暫く歩むと、岩崎の家が見えた。
ところが、門前に数人の女学生達が佇んでいる。
その中の一人が、岩崎の姿を目ざとく見つけた。
「岩崎先生!」
皆が一斉に、岩崎へ呼びかけて来る。
「旦那様……学校の生徒さん達ですか?」
月子は不思議に思った。
どう考えても、まだ、授業が終わっていない時間に思える。それなのに、なぜ、女学生だけが集まって来ているのだろう。
「あっ、ちょっ!岩崎!!」
背後から、慌てて声をかける者がいる。
中村が、息を切らせながら、岩崎を引きとめようとしていた。
学校から全速力で走って来たのだと中村は言いつつ、女学生達へ視線を移す。
「あぁ、先回りは無理だったわけだなぁ。岩崎、適当に流しておけ!」
これからが、大変だと中村は顔をしかめきる。
すると、つかつかと月子にも見覚えのある女学生が岩崎へ歩み寄って来た。
「先生!私達は、反対です。どうして、演奏会の場所が変更になるのですかっ!」
女学生──、一ノ瀬玲子が岩崎に食ってかかった。
毎年校内の講堂で、保護者や学校関係者を招いての発表会ともいえる演奏会を、なぜ今回は、街の演芸場で開くのかと、玲子含め女学生達はいたくご立腹だった。
「なっ?面倒なことになってるだろ?」
中村が岩崎へ囁いた。
岩崎は、少し考え玲子へ声をかける。
「一ノ瀬君。その話は誰が?」
もちろん、岩崎と月子が汁粉屋に行っている間に男爵が動いた事はわかっていたが、とりあえず、あまり深入りするのも不味かろうと、岩崎はあえてとぼけてみせた。
「……校長から話がありました。岩崎男爵の後援であると……」
玲子は、挑むかのように口角を上げ岩崎を見ている。
「……それで?決まったのなら仕方ないだろう?」
なあ?と、岩崎は中村へ声をかけるが、巻き込んでくれるなとばかりに中村は、顔をひきつらせ後ずさっている。
「とにかく、私は今日は休みなのだ。明日、学校で校長から、詳しい話を聞くことだろう」
重い、と言って、岩崎は抱えていた野菜の包みを中村へ渡した。
「すまないが、家に入れてくれないか?君達がそこにいては、どうにもならんのだが?」
憤る女学生達を、岩崎は、じろりと睨み付けた。
たちまち、女学生達は小さくなるが、玲子だけは別だった。
「お逃げになるのですか?!男爵夫人もお唄いになるらしいじゃないですかっ?!」
どうやら、校長は、こちらの事情を洗いざらい喋っているようで、学生主体の発表会なのにと、玲子は、かなり苛立っている。
「そうか。なるほどねぇ。今年は、余興を入れるのか」
あくまでも、とぼけきる岩崎に、中村は、背後で野菜の包みを抱き締めながら、はらはらするのみで口出し出来ない。
「ああ、中村君。それ、うちの今晩の食材なんだ。落とさないでくれたまえよ?」
さあさあ、入った入った、などと、岩崎は空々しく中村を家へ招き入れようとした。
「あー!それは、それは!」
中村も、取って付けたらように叫ぶと、包みをしっかり抱え込み、岩崎と共に家へ入ろうとする。
「一ノ瀬君、悪いが退いてくれないか?」
捨て台詞のような言葉を言われた玲子は、悔しさを露にし、ぐっと手を握りしめると、何故か月子を睨み付ける。
「あなた、なんなの?あなたのせい?あなたが、現れるまで、岩崎先生は……!!」
そこまで言うと、玲子は駆け出した。
おそらく玲子の取り巻きなのだろう一緒に来ていた女学生達も、慌てて玲子の後を追った。
「……なんとか、切り抜けられたな」
岩崎が中村へ言う。
「ああ、そうだけど、一ノ瀬女史は、演芸場なんてと、偉い剣幕で……」
「それで、授業を抜け出して私の所へ?」
「そーゆーこと。こりゃ、ヤバいと思って、おれも追っかけて来たわけよ」
はぁと、中村は大きく息を吐く。
「中村、どうせもう学校には、戻らんのだろ?飯食っていけ」
「おっ!いいのか!岩崎!」
「ただし、酒は無しだぞ」
「ああ!かまわん!かまわん!つまりは、月子ちゃの手料理だろ?!むちゃくちゃ、食いてぇよ!!」
ハハハと、緊張がほぐれきった中村は笑っているが、隣では、岩崎が俯き、
「……月子の……手料理……」
と、呟く。
月子は、月子で、モジモジしている。
「え?!何?!なんで、二人して、初々しい事やってんの?!」
中村がニヤケた。