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番外編 【新田は書店で気づかれないように立ち止まる】第二話
昼過ぎ、外回りのついでを装って、新田は駅前の大型書店へ入った。
平日の午後にしては客が多い。
一階は雑誌と新刊、二階が文芸、三階が実用。新田はエスカレーターに乗りながら、なぜかネクタイを直した。誰に会うわけでもない。ただ妙に落ち着かない。書店へ行くのは仕事の一部のはずなのに、その日は足音まで少し不自然に感じた。
二階へ上がる。
文芸新刊台。
話題書の平台。
受賞作。
映像化帯付き。
有名作家の新刊。
どれも自信たっぷりに並んでいる。
新田は歩調を変えないよう努めながら、視線だけを滑らせた。
あった。
平台の端、三冊面陳。
大きな扱いではない。
だが、埋もれてもいない。
『猫は原稿を読まない』
その瞬間、新田は胸のどこかが静かに緩むのを感じた。
無事に並んでいる。
それだけのことなのに、やはり少し安心する。
近づいて確認したい。
だが近づきすぎると不自然だ。
編集者が自分の担当本の前で長々立ち尽くしているのは、傍から見るとかなり妙である。新田は一度、その場を通り過ぎた。通り過ぎながら値札と冊数と周囲の本との位置関係だけをざっと見る。癖になっている。
そのまま一周して、別の棚から戻ってくる。
今度は少しだけ近くまで寄った。
ポップが付いていた。
手書きの、小さなカードだった。
“笑えるのに、じわじわ痛い。うまくいかない大人の生活にそっと効く一冊。”
新田は、その字をしばらく見た。
若い書店員の字だった。丸みがあり、だが妙に丁寧で、投げやりではない。ちゃんと読んだ人の字だとわかる。
誰かがこの本を読んで、何かを受け取って、しかもそれを別の誰かに手渡そうとしている。
そのことが、思っていた以上に嬉しかった。
「……」
口元が緩みそうになって、彼は少しだけ顔を伏せた。
こんな場所で、そんな顔をするものではない。