テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
番外編 【新田は書店で気づかれないように立ち止まる】第三話
だが、嬉しさというものはたいてい単体では来ない。
書店で自分の担当本を見ると、必ず別の感情も一緒にやってくる。
不安だ。
売れるだろうか。
この並びで、手に取られるだろうか。
タイトルで損をしていないか。
帯は強すぎなかったか、弱すぎなかったか。
猫好きに寄せすぎていないか。
逆に文学っぽさが足りないと思われないか。
この本は、本当に届く形になっているのか。
編集者の仕事は、出したら終わりではない。
出した瞬間から、別の種類の責任が始まる。
新田は平台の少し離れた位置に立ち、別の本を手に取るふりをしながら、客の流れを眺めた。
立ち読みの学生。
スーツ姿の会社員。
トートバッグを提げた年配の女性。
雑誌から流れてきた若いカップル。
誰もが自分の目的を持って棚を見る。
そのなかで、あの本はただ一冊の背表紙でしかない。
世界は残酷なくらい平等だ。どんな思いで作った本だろうと、書店の棚では全部同じ条件で並ぶ。
スーツ姿の男性が一度、猫の表紙に目を留めた。
手を伸ばしかけて、やめた。
別の話題作を取って去っていく。
新田の胸がわずかに沈む。
仕方ない。
そんなことでいちいち揺れていては編集者などやっていられない。
そう思うのに、やはり少しだけ堪える。
今度は若い女性が足を止めた。
ポップを読んで、本を手に取る。
帯を見る。
裏表紙を返す。
少し迷って、また戻した。
新田は知らず、息を止めていた。
戻された本が、平台の上で少しだけ斜めになる。
彼は反射的に直したくなったが、さすがに堪えた。編集者が自分の担当本の角度を直していたら、ほとんど怪しい人である。
そのときだった。
別の客――四十代くらいの女性が、ふらりと寄ってきた。
まずポップを読む。
次に表紙を見る。
そして迷いなく一冊取った。
その人は、そのまま本を抱えてレジのほうへ歩いていった。
新田はその後ろ姿を、見送った。
たった一冊。
だが、たった一冊ではなかった。
あの本が、どこかの家へ行く。
誰かの夜へ行く。
もしかしたら帰りの電車かもしれないし、風呂上がりのソファかもしれないし、眠れないまま開く台所の灯りの下かもしれない。
そこへ届く。
新田はその事実に、ふいにひどく無防備になった。