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「エメリア様、いらっしゃいますか? ティナーシェです」
ドアをノックすると、中から「入って」と言う声が聞こえてきた。
静かにドアを開け中へとはいると、ベッドから気だるそうに身体を起こしたエメリアがいた。
「お休み中でしたか?」
「ううん。横になっていただけ。眠れないもの」
そう言ったエメリアの目元はクマでどんよりとして、顔色も悪い。
「街で人気のチョコレートを頂いたんです。エメリア様にもどうかと思って」
ティナーシェがスラム街へ行く時に必ず立ち寄るお菓子屋さんの女性が、聖女様達へと言ってチョコレートを沢山持ってきてくれた。
これはもちろんティナーシェへ持ってきてくれた訳ではないのだが、渡された時に意味ありげな視線で見つめられた時には、いつも男装をして買いに行っていることがバレているんじゃないかとドキドキした。
「チョコレート……。こんな時間に食べたら豚になるわよ」
「豚どころか、今のエメリア様はアスパラガスみたいですよ。少しくらい召し上がっても大丈夫です」
「ふふっ……あんたってたまに天然入るわよね。そうね。折角だから頂くわ」
ティナーシェがテーブルにチョコレートの箱を置いて座ると、エメリアがワインを用意してくれた。赤ワインの注がれたグラスを受け取り、チョコレートを2人でつまむ。
蕩けるように甘いチョコレートの中にはナッツが入っていて香ばしい。
「んーん! 美味しい。赤じゃなくて白の方が良かったかしら」
「赤ワインでも十分合いますよ」
「そう?」
しばらくチョコレートとワインの組み合わせを楽しんでいると、エメリアはポソッと呟いた。
「ごめん」
「え?」
突然謝ってきたエメリア。なんの事だろうとエメリアを見ると、気まずそうにワイングラスを見つめている。
「落ちこぼれなんて言ってごめん。ムカつくからって酷いことしたわ。うじうじして鬱陶しいの、今の私よね」
「もう気にしてませんし、落ちこぼれなのは事実ですから」
「お人好しね、ほんと。いい気味って思うでしょ。アルテア様が私をお叱りになっているのね、きっと」
「もしそうだとして、エメリア様が後悔し反省しているのなら、アルテア様はきっともうお許しになる筈です」
「そうだといいわね」
エメリアの赤茶色の瞳から、静かに雫がこぼれ落ちた。
他にいい人が見つかるだなんて、とてもじゃないけど言えない。
ティナーシェだって、マルス以外の人を好きになれる気なんて全くしないのだから。
「好きだったの、彼のこと。性格のキツイ私をいつも笑って受け止めてくれて。今思えば、甘え過ぎていたのね」
振り絞るような声は、時々掠れて震えている。
好いた惚れたで決まらない貴族同士の結婚。最初こそエドモント王太子とエメリアとは、家同士の思惑で動いていたのかもしれない。けれどティナーシェが舞踏会で見た二人の姿は、相思相愛そのものだった。
ハンカチで涙を拭いてこちらを見てきたエメリアは、「ふふっ」ともう一度笑った。
「あんたが友達になってくれて良かったなんて言ったら、都合が良すぎるって怒るかしら? だって、こうして一緒に泣いてくれる友達なんていなかったもの」
気付けばティナーシェの頬にも涙が伝っていた。慌てて手で涙を拭うが止まってくれない。
「よく分かんないけど、あんたも道ならぬ恋をしているんでしょう? 後悔、しちゃだめよ」
隣に座って抱き寄せてきたエメリアに小さく頷き返したティナーシェだったが、落とし所をどうつけたらいいのかは分からない。
好きな人と一緒になる。それだけのことが、なぜこんなにも難しいのだろう。
せめてどうか、エメリア様の心に安寧が早く訪れますように。
ティナーシェは、心の中で切に祈った。
◇◆◇
エメリア様、大丈夫かな……。
ティナーシェが部屋を出る間際、「明日からちゃんと仕事に戻るわ」って言っていたけど、無理してないだろうか。
とぼとぼと歩いて自室へと向かうと、マルスが部屋の前に立っていた。
「マルス? 先に休んでてって言ったのに」
前髪の影でマルスの表情はよく見えない。
無言のまま近付いてきたマルスは突然ティナーシェの背と頭とに手をやると、そのまま唇で唇を塞いできた。
「んん……っ」
――なに、どうしたの?
赤ワインの味がするのはティナーシェが飲んだものか、それともマルスのものなのか。
最後に名残惜しそうに下唇を食んできたマルスは、コツンとティナーシェの肩に頭を置いた。
「ティナはどうしたら、俺の言うこと信じてくれる?」
「え……」
「俺はティナと番になりたい」
「マルス……?」
すぅっと息を吸い込む音が聞こえた。
「おやすみ」
部屋の前に取り残されたティナーシェは、暗闇に消えていくマルスの後ろ姿をただ見送った。
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