テラーノベル
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家の空気は、この数日で劇的に変化した。
かつての張り詰めた緊張感は、今や「共通の敵」を見据えた、静かで熱い結束へと姿を変えている。リビングのテーブルには、黒がどこからか調達してきた電子部品や、茶々が記憶を頼りに書き出した施設の神経回路図が所狭しと並べられていた。
「⋯⋯ん。⋯⋯信号のパターン、⋯⋯特定した。⋯⋯六時間おきの定期同期、⋯⋯それ以外は、⋯⋯低周波のバイタル監視。⋯⋯施設は、⋯⋯まだ様子を見てる」
黒がハンダごてを握り、緻密な基板を作り上げていく。その横で茶々が、俺の首筋に触れながらその熱量を計測し、データとして黒へ伝えていた。
「お兄さん、少し熱くなってます。……今、同期が始まってるみたい。無理に抵抗しないで、リラックスしてくださいね。アタシたちが、信号を『逃がす』道を作りますから」
茶々の指先は温かく、かつての怯えは影を潜めていた。彼女は自分の命を繋ぎ止めるために費やされた時間を、今度は俺の首輪を解くための献身へと注ぎ込んでいた。
そんな二人の作業を、白は窓際で外を警戒しながら、時折俺の様子を伺うように見ていた。彼女は技術的なことには明るくないが、その分、野生に近い直感で俺の「異変」をいち早く察知する。
「……ねぇ、ご主人様。さっきから瞬きが多いわよ。……また、ノイズが見えてるんでしょ?」
白が俺の隣に座り、俺の腕を自身の体に引き寄せる。彼女の言う通りだった。脳内には、施設のサーバーから送り込まれる無機質なログデータが、残像のように明滅している。それは俺の視神経を介して、無理やり情報を「書き込もう」とする不快な感覚だった。
「……ああ、少しだけな。だが、お前がこうしていると、不思議と落ち着くよ」
「当たり前でしょ。アタシの匂いで、そんな冷たい機械の匂い、全部かき消してあげるんだから」
白は俺の首筋、チップが埋まっている箇所を隠すように、自分の長い髪を俺の肩にかけた。彼女たちの温もりが、冷酷なデジタル信号に対する唯一の防波堤となっていた。
しかし、平和な時間は長くは続かなかった。
深夜、全員が寝静まったはずのリビングで、俺は突如として全身を縛り付けられるような硬直感に襲われた。
「……ぐ、あああ……っ!」
首筋のチップが、これまでにない激しさで脈動する。熱い。延髄に直接焼けた鉄の棒を押し当てられたような熱。視界が真っ赤に染まり、脳内に一つの「意志」が強制的に流し込まれる。
『――被験体、識別番号:管理外協力者。直ちに指定の座標へ出頭せよ。拒否すれば、心拍の強制停止プログラムを起動する』
管理官の冷徹な声が、耳からではなく、脳の奥底から直接響く。俺の手足が、俺の意志に反して勝手に動き出した。俺は自分の意志で立ち上がり、無表情のまま玄関へと歩き始める。
「⋯⋯ん。⋯⋯異常発生。⋯⋯強制同期モード、⋯⋯起動してる」
最初に気づいたのは黒だった。彼女はリビングの隅に設置していた監視モニターの数値が跳ね上がったのを見逃さなかった。
「ご主人様!? どこへ行くのよ、こんな時間に!」
飛び出してきた白が俺の肩を掴む。だが、俺の体は鋼鉄の機械になったかのように重く、彼女を無造作に振り払ってしまった。
「……来るな。……逃げろ、みんな……!」
喉の奥で辛うじて絞り出した声。俺の意識はまだここにある。だが、肉体の主導権は、首筋に埋まったあの小さな銀色のチップに奪われようとしていた。
「茶々、今よ! 作っていたジャマーを、ご主人様の首の後ろに!」
白が俺の体に飛びつき、必死に動きを封じる。茶々が震える手で、黒が完成させたばかりの小型デバイスを俺の首筋に押し当てた。
「お兄さん、負けないで! アタシを助けてくれた時みたいに、強くいて……!」
デバイスから微かな電子音と共に、強力な妨害電波が放たれる。脳内を支配していた赤黒いノイズと、管理官の声が激しく乱れた。
『――何だ、この干渉は……貴様ら、何を……!』
脳内で響く声が、ノイズの彼方へと消えていく。自由を取り戻した俺の足が崩れ、そのまま床に膝をついた。激しい動悸と共に、冷や汗が全身から噴き出す。
「……助かった、のか」
「……ん。⋯⋯一時的に、⋯⋯信号を、⋯⋯ループさせた。⋯⋯でも、⋯⋯長くはもたない。⋯⋯あっちも、⋯⋯本気。⋯⋯次は、⋯⋯もっと強い電波でくる」
黒の言葉に、白が唇を噛み締め、茶々を強く抱きしめた。
「上等じゃない。……ご主人様にこんな痛い思いをさせて、挙句に操り人形にしようだなんて。……アタシたちが、その腐った施設ごと、全部スクラップにしてあげるわ」
守られる側から、守る側へ。
三匹の猫娘たちは、俺の首を締め付ける「見えない首輪」を今度こそ断ち切るため、深い夜の向こうにそびえるあの施設へと、反撃の牙を研ぎ澄ませた。
俺一人が犠牲になって、みんなを救う。そんな歪な英雄ごっこは、彼女たちが許さなかった。彼女たちが望んだのは、不自由な主人の保護ではなく、自由を共にするパートナーとしての戦いだった。
「ご主人様。……アタシたち、もう誰にも負けないわよ。三匹の猫を敵に回したこと、あの施設の人たちに後悔させてやるわ」
白が俺の頬を包み込み、力強く微笑む。黒は黙々と追加の機材をバッグに詰め込み、茶々は俺の震える手をしっかりと握りしめた。
雨は上がり、夜明けが近い。
四人の絆が、因縁の地でついに施設そのものと正面衝突する時が来た。
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