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羽海汐遠
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バガラジー
132
空凪 せつな

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夏の日差しが白い石畳を照り返し、屋敷の玄関前にはじりじりとした熱気が立ち込めていた。
セミの鳴き声は絶えることなく響き、遠くの庭木まで夏色に染まって見える。
イリアは額の汗をそっと拭いながら扉を開ける。
そこには、一人の郵便屋が帽子を軽く押さえ、丁寧に一礼して立っていた。
「突然すみません……。」
そう言って差し出されたのは、一通の封筒だった。
「こちら……プリムローズ様宛のお手紙でございます。」
「わたくしに……?」
隣にいたプリムローズが驚いたように目を丸くする。
「どなたからでしょうか……。」
差出人の名前を探すように封筒を見つめるが、表には宛名しか書かれていない。
郵便屋はもう一度頭を下げる。
「……では、失礼いたしました。」
「あっ……はい。わざわざありがとうございました。」
イリアは笑顔で見送り、郵便屋の姿が見えなくなるとプリムローズへ視線を向けた。
「プリムさん、誰からでした?」
「……名前が書かれていませんわね……。」
プリムローズは首を傾げ、不思議そうに封筒を撫でる。
少しだけ年季の入った紙の感触。
送り主が誰なのか、まるで見当がつかなかった。
「そうですか……。」
イリアは空を見上げ、小さく苦笑する。
「とりあえず暑いので屋敷へ戻りましょうか。」
「わかりましたわ!」
二人は照りつける日差しから逃げるように屋敷へ戻っていった。
◇
「あ、おかえりー。」
食堂へ入ると、ミシェルが気だるそうに片手を上げる。
「……なんだった……?」
ナターシャも小首を傾げた。
「郵便屋さんで、プリムさん宛のお手紙でした。」
「へぇー。誰から?」
ララビットが興味深そうに封筒を見る。
「それがまだ分からなくて……。」
プリムローズは少し困ったように笑った。
「……わたくしに手紙を送ってくださる方なんて、検討もつきませんわ……。」
「んー……字を見たら誰か思い出すんじゃない?」
ミシェルが何気なく言う。
「そうですわね……。」
プリムローズは小さく息を吸い、封筒の封を丁寧に開いた。
紙が擦れる静かな音だけが部屋に響く。
中から取り出した便箋を、震える指先でゆっくりと広げる。
そこに綴られていた文字は、どこまでも丁寧で、どこか懐かしい筆跡だった。
一文字。
また一文字。
読み進めるたび、胸の奥へしまい込んでいた記憶が、静かに揺れ始める。
やがて、一番最初の一文が目に映る。
『私の愛するプリムへ』
「………。」
プリムローズの呼吸が止まる。
瞳が大きく揺れ、便箋を持つ手が小さく震え始めた。
「プリムさん……?」
イリアが心配そうに声を掛ける。
それでも返事はない。
プリムローズは便箋を見つめたまま、微動だにしなかった。
「プリムさん…?大丈夫ですか……?」
「あっ……。」
ようやく我に返ったように小さく息を漏らす。
「だ、大丈夫……ですわっ……。」
そう答えたものの、声は震えていた。
次の瞬間、ぽたり、と一粒の涙が便箋へ落ちる。
「……はい、ハンカチよ。」
ローラが何も言わず、そっとハンカチを差し出した。
「……お、オレンジジュース……いる……?」
ナターシャも心配そうにコップを差し出す。
「あ……ありがとうございます……。」
プリムローズは涙を拭いながら、小さく頭を下げた。
「うぅ……申し訳ありませんわ……。」
部屋には誰も言葉を発しない。
ただ、プリムローズが落ち着くのを静かに待っていた。
やがてイリアが優しく問い掛ける。
「……誰からでした?」
プリムローズは便箋を胸に抱き締め、小さく微笑んだ。
「……わたくしの、お母様から……。」
「えっ!?」
イリアは思わず目を見開く。
「お、お母さん……?病気なんじゃ……。」
ナターシャが戸惑ったように呟く。
「……、そうなんだ。」
ミシェルも少し驚いた表情を浮かべた。
「……え。プリムさん?」
階段から降りてきたラグドールが目を丸くする。
「……ちょっと静かに。」
ララビットが小さく制すると、ラグドールは慌てて口を押さえた。
「あ、はい……。」
「少し落ち着いたかしら?」
ローラが穏やかな声で尋ねる。
「……は、はいっ……。」
プリムローズは涙を拭きながら頷く。
「悲しいの?」
ミシェルが率直に尋ねた。
プリムローズは首を横へ振る。
「……悲しく、ありませんわ。」
涙で濡れた瞳に、小さな笑みが浮かぶ。
「とっても……嬉しくて……。」
その言葉とともに、胸の奥へ閉じ込めていた懐かしい日々が、まるで昨日のことのように鮮明によみがえっていく。
◆
柔らかな陽の光が大きな窓から差し込み、屋敷の廊下を優しく照らしていた。
花壇には色とりどりの花が咲き誇り、小鳥たちが楽しそうにさえずっている。
まだ何も失っていなかった頃。
プリムローズは毎日が幸せで、この時間が永遠に続くものだと信じていた。
「お母様〜!お父様〜!」
両手いっぱいに花を抱えながら、幼いプリムローズは嬉しそうに廊下を駆けていく。
「ん?なんだい、プリム。」
優しく振り向いた父は、穏やかな笑みを浮かべていた。
その隣では母も微笑みながら娘を見つめている。
「ぷ、プリム様!」
近くにいたメイドが慌てて駆け寄る。
「ほら、走ると危ないですよ。」
「あっ……!」
プリムローズは慌てて立ち止まり、小さく頭を下げた。
「…き、気をつけますわ……。」
「ふふっ。」
メイドは安心したように胸を撫で下ろす。
「ご無事で何よりです。」
そしてプリムローズの腕の中にある花束を見つめ、優しく微笑んだ。
「どうぞ。そのお花、きっと喜ばれますよ。」
「えぇ!」
ぱっと表情を輝かせるプリムローズ。
大切そうに花束を抱き締めると、今度は歩いて両親の元へ向かった。
「お母様、お父様!見てくださいまし!」
色鮮やかなガーベラを誇らしげに差し出す。
赤、黄色、橙。
太陽のように明るい花々だった。
「最近、お二人のお身体の調子が優れないとお聞きしましたから……。」
少しだけ恥ずかしそうに笑う。
「これで、お元気になってほしいのです!」
母は目を丸くし、ふっと笑って花束をそっと受け取った。
「まぁ……綺麗なガーベラね。」
優しく花びらへ触れ、その香りを静かに楽しむ。
「ありがとう、プリム。」
隣にいた父も目を細め、娘の頭を優しく撫でた。
「はっはっはっ。大丈夫だよ。」
「お前がこうして笑っていてくれるだけで、私は十分元気をもらっている。」
「この花束、ちゃんと大切に飾っておくわね。」
母も柔らかな笑みを浮かべる。
「えへへ……。」
褒められて照れくさそうに笑うプリムローズ。
その笑顔を見て、父も母も、メイドも自然と笑みを浮かべていた。
「どういたしましてですわ!」
この屋敷には、優しい笑い声が絶えなかった。
プリムローズは、この時間がずっと続くものだと信じていた。
しかし。
季節が少しずつ移り変わるにつれて、その穏やかな日々は、ゆっくりと静かに姿を変え始める。
◇
部屋の外まで聞こえてくる咳。
最初は風邪だと思われていた。
けれど、その咳は日を追うごとに増え、父の顔色も少しずつ青白くなっていく。
ある日の夕暮れ。
部屋には重たい空気が流れていた。
「ゴホッ……ゴホッ……。」
父は苦しそうに胸を押さえ、息を整えようとしている。
母はその背中を静かにさすりながら、小さく唇を噛み締めていた。
「あなた……。」
傍らに控えるメイドも、不安そうに主人の様子を見守る。
しばらく沈黙が続いたあと、父はゆっくりと口を開いた。
「……私は、もう長くない。」
その言葉は、とても静かだった。
けれど部屋にいた二人には、何よりも重く響いた。
「……プリムには。」
父は窓の外へ目を向ける。
夕焼けが部屋を赤く染めていた。
「少しずつ、心の準備をさせておいてくれ……。」
母は俯いたまま、小さく頷く。
「……えぇ。」
誰も泣かなかった。
泣けば、その言葉が現実になってしまう気がしたから。
その時だった。
廊下から明るい声が聞こえる。
「お母様〜!市民の皆さまから、お手紙が届いていますわ!」
いつも通りの、無邪気な声。
何も知らない娘の声だった。
「………お父様?」
扉の前で足を止めたプリムローズは、不思議そうに首を傾げる。
「……あっ、プリム様。」
メイドが慌てて立ち上がる。
一瞬だけ表情を曇らせたものの、すぐに笑顔を作った。
「……えぇ、何かしら。」
母もいつも通りの穏やかな声を作る。
「聞くわよ。」
しかし、その笑顔はどこかぎこちなかった。
プリムローズは小さく首を傾げる。
「……お母様。」
何かがおかしい。
幼いながらにも、その違和感だけは感じ取っていた。
「………お母様、やっぱり……。」
不安そうに父を見る。
父は娘へ優しく微笑み返した。
「大丈夫だ。」
少しかすれた声だった。
「行ってやってくれ。」
その笑顔は、どこまでも優しかった。
だからこそ。
プリムローズは、それ以上何も聞くことができなかった。
「……はい。」
小さく頷き、静かに部屋を後にする。
扉が閉まる音だけが、廊下に静かに響いた。
コメント
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作者コメント┊︎ プリムちゃんは大好きです。なぜなら大好きだからです。
ああ〜〜もう、このエピソード感情的すぎて泣いた😭💕 一通の手紙から始まる回想が、優しかった日々と重なって切なくて…「私の愛するプリムへ」の一文で涙腺崩壊したよ…! 幼いプリムローズの無邪気さと、父の「もう長くない」の静かな覚悟の対比が胸に刺さる。みんなで彼女をそっと見守る空気も、めっちゃ好き。白夜さんの描く家族の絆、尊すぎる…!