「さっき想ちゃん、私がこうなったのは自分に非があるみたいに言ったけど……それは違うと思うの」
そこまで言って、結葉はルームミラーに映る想の表情をチラリと見て。
想が真剣な顔をして自分の話を聞いてくれているのを確認してから続けた。
「そもそも私が想ちゃんを頼れなかったのが悪いんだもん。想ちゃんはちっとも悪くないよ? そうでしょ?」
家庭の中で起こっていることに介入するのは行政にだって難しい。
それを想に求めるのは酷な話だ。
そのことを心に刻んでおいてもらわないと、どうして今、自分がこういう状態になっているのか話すことが出来ないと、結葉は不安になる。
あの雪の日以降、自分が偉央に足枷を付けられて監禁されてしまったのは、決して想のせいなんかじゃないのだから。
自分が今から話すことで、想に変な負い目だけは感じて欲しくないと思った結葉だ。
貴方に非はないと、自分を責めないで欲しいと、そう思っているのだと全部吐き出してからミラー越し、想からの反応をじっと待つ結葉に、彼は無言で何かを思案している様子で。
実際、いま想は運転中だから、いつものように結葉の目をじっと見つめながら話を聞いてくれることは出来やしないし、すぐさま反応が返ってこないのも無理はないと頭では分かっているのだけれど。
長年偉央に抑えつけられてきた結葉は、正直相手に沈黙されることがとても怖かった。
(――想ちゃんは偉央さんじゃない……。想ちゃんは偉央さんじゃない……)
頭では分かっていることを、わざわざ言葉にして胸の内で何度も何度も唱えながら。
もし自分の見解を述べたことで想に疎ましがられたりしたら……と考えると、結葉は心臓がバクバクして物凄く息苦しくなった。
「結葉……」
と、想がそんな結葉に気が付いたのか、優しく声をかけてくる。
「その……俺のこと、気遣ってくれて有難うな」
想は、確かに先ほどまでガチガチに張っていたはずの肩の力を抜くと、とても穏やかな声で結葉に礼の言葉を述べてきた。
その柔らかな声音に、結葉の鼓動も少しずつ落ち着きを取り戻していって。
「詳しい話は結葉の顔見てしっかり聞きてぇから……悪ぃけど、続きは車停めるまで待っててくれるか?」
ミラー越し、チラチラと結葉の様子を気にしながら、付け加えるようにそう言ってくれて。
想は、不安に押し潰されそうだった結葉の心をいとも簡単に解きほぐしてくれるのだ。
一度だけミラーから視線を逸らすと、結葉は気持ちを落ち着けるように深めの呼吸を落とす。
そうして今度こそしっかりと顔を上げると、「うん、分かった」とミラーの中の想に、はっきりとそう意思表示した。
***
「着いたぞ」
車が停まったと同時、後ろを振り返った想に声を掛けられて、結葉はキョロキョロと周りを見回しながら戸惑いの声を上げる。
「ここは――」
閑静な住宅街の一角。
でもここが、見慣れた実家や、山波建設の辺りではないのは分かる。
住み慣れた実家の辺りはここまで家がごちゃごちゃとしていなかったし、何よりもう少し木々に囲まれている印象で。
隣の山波建設の敷地が広いから余計。
ここよりかなり解放感を感じるのだけれど、ここはどちらかというと家々に囲まれて閉ざされているような……そんな印象を受ける場所だった。
「俺のアパート」
何でもないみたいに想が告げた言葉に、結葉は思わず瞳を見開いた。
想が実家を出て一人暮らしをしていたのは何年も前から知っていた結葉だ。
だけどそこは、想が恋人と住むために借りたアパートだと思っていたから。
結葉はあえてその場所を探ろうとはしなかったし、想も結葉が聞かないから教えてくることもなかった。
(ここが……、その……?)
思いはしたけれど、だとしたら中で彼女さんと鉢合わせになるのではないかとソワソワして。
「あ、あの……想、ちゃ……」
結葉の不安な気持ちが分かったのか、想は車から降りて後部のスライドドアを開けると、不安そうな顔でじっと自分を見上げる結葉の頭を、昔の調子でポンポンと撫でた。
結婚していることを思えば、想からのこういうスキンシップは受け入れるべきではないと分かっているのに、今の結葉はそれを拒めるだけの強さを持っていなくて。
倉皇に揺れる瞳で想を見上げたら、
「ホントはうちの実家に連れてった方がお前が落ち着くのは分かってんだ。けど――」
そこまで言って小さく吐息を落とす。
「あそこは……御庄さん……って、結葉も御庄か。えっと……お前の旦那も場所知ってるだろ? だから良くねぇかなと思っただけだ。そんなに緊張しなくても何もしたりしねぇから安心しろ」
不器用に紡がれる言葉の端々から、想が自分を気遣ってくれているのを感じた結葉だ。
「ん……、そう、だよ、ね」
言われてみればその通りだ。
勝手に、想の実家に着いたのかな?と思ってしまった結葉だったけれど、そこに逃げ込んだのでは、想が言うようにきっとすぐに偉央に見つかってしまう。
どう考えても、偉央が真っ先に結葉の逃げ込み先として思い浮かべるのが山波家なのは分かりきっていたから。
偉央だって、まさか他所様の邸宅内にまでズカズカと入ってくることはないとは思うけれど、夫である偉央が、妻を迎えに来たのに出さないというのは難しそうに思えた。
そんなことになったら、きっと想の両親である公宣さんも純子さんも、彼の妹の芹ちゃんも、「帰らなくていい」と結葉を庇ってくれるだろう。
だけど、結葉はそんな人達に迷惑を掛けたくなくて偉央の元に戻らざるを得なくなってしまうはずなのだ。
だったら、最初からみんなに迷惑のかからない、別の場所に行く方がいいのは当たり前のことで。
きっと、結葉の性格を熟知している想は、そこまで考えてここに連れて来てくれたんだろう。
だけど――。
コメント
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想ちゃん、しっかり話を聞いて助けてあげてね