すいなーんのとこで出してるローラさんの過去!!!!!
ちょい重ですあと見ずらいです気をつけてね
私の父は、それはそれは感情に身を委ねる人間であった。
少し埃が落ちただけでなっていない、と母を殴ったし、抵抗もされず滅多打ちにされる母を庇おうと私が割って入ろうものなら、母諸共壁に叩きつけられた事さえある。お陰様で、とでも言おうか。私の身体は女にしては頑丈に育ったと思う。
理不尽な事で殴られる事に、永遠の愛も尽きたのか母はとうとう包丁を取り出した。父に向けると、流石に怯んだのか母の出方を伺っている。
母はなんの躊躇いもなく父へ向かい、包丁を刺そうとした。だが、殺されたくない、と抵抗する父の手が包丁に当たり、運悪くその刃は母の左目を掠めた。キン、と包丁が床に落ちる。痛みでよろめく母を、今のうちに、とでも言わんばかりに殴りつける父。私は動けなかった。
隙を見てなんとか父の間合いから逃れた母は、私の腕をとてつもない力で握り、裸足のまま外へと飛び出して行った。
生憎その日は霧が立ち込める悪天候で、30分くらい走ってしまえば、もうそこが何処なのかもわからなくなってしまった。
ごめん、ごめんね、とうわ言のように謝る母を尻目に、これからどうすれば二人で生きていけるのだろうか、と私は考えていた。
もう1時間ほど歩いていたら、大きな寺が見えてきた。大きな門を乱暴に叩くと、僧が迷惑そうに出てきたが、出血した左目を抑えている母の顔を一目見ると、みるみる青ざめとにかく早くお入りなさい、という。
とりあえずで座らされた和室は、6畳ほどでこざっぱりとしていた。
とにかく、医者を呼んでくるからこの綺麗な布で抑えて、大人しくしていなさいと僧がいう。
母はその通りにして、目の痛みに耐えながら医者を待った。
医者が診て、治療を施すとおかあさん、貴方の左目はもう見えないでしょう。なにせ、眼球そのものが傷ついてしまっている。ぼくは、また1週間後にやってきますので、寝る前にぼくがしたように、綺麗なガーゼで目を覆って、眼帯をするようにしてください。とつらつらと言って帰っていった。
医者を見送った僧が戻ってくると、僧は実はここの寺は駆け込み寺ではないのです、本当なら家に返したいところだが、それでもいいのか、と僧が聞く。
母はいいえ、いけません、家には私と娘に暴力を振るう夫がおります、地獄でもなんでも、何処へ行こうと、家には必ず帰りません。と母が真っ直ぐ僧を見ると、渋々といった様子ででは、空いた部屋があるのでしばらくはそこを使いなさい。職が見つかるまでは部屋も貸すし、飯もご馳走してあげるが、職が見つかった暁には、出ていくように。
という。ありがとうございます、と母が頭を下げたので、私も下げた。
部屋は狭かったが、二人で寝泊まりする分には充分だった。
2ヶ月も経てば職が見つかったが、それでも寺を出るには不十分であった。中々出ていける様子がない私たちに僧は食は自分たちでなんとかしなさい、ただそのかわり、住処は見返り無く貸してあげましょう、という。家賃は払えないが、食費ならなんとか用意出来るだろう、その心遣いに母はまた頭を下げた。
母が仕事に出掛けた際、私は僧に言った。あなたの弟子にしてくれ、と。僧は女の子はこの様な仕事をあまりするものではない、坊主にするのにも躊躇いがあるだろうし、重労働が沢山ある、僧になるより、どこか裕福な家に嫁入りする方が幸せになれるだろう、と言う。私はいいや、せめて手伝いでも恩返しをしなければ落ち着けない、あなたばかりに負担をかけてはいられない、というとまた、渋々といった様子ででは、お手伝いという事で、あなたに色々頼みましょう、と呆れ混じりだったが、一応はここで手伝いをできる事になった。
それからまた、7年くらいが経ち、家も借りたし、生活の補助が無くてもいいくらいには安定した生活を送ることが出来た。
それでも私はまだ、僧の元へ通い続けている。魔法も習得したし、寺での仕事は一通り覚えたので僧が遠出をする際は私に任せてくれるようになった。
ある日のことである。僧がいつにもなく焦った様子で掃除をする私の元へと走ってきた。何かあったのかと尋ねると、勇者の一行に私を加えたい、という話だった。
特に不都合はなかったので二つ返事で承諾。始めはどうせすぐに解散するだろう、と思っていたが、今では彼女らはかけがえのない仲間である。
終わり
コメント
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ひぇっ重くて震えてる カワイ兄妹が軽く見えてきました、よく頑張ったね!!!!!
Q.私が考えてるうちの子の過去より 軽く感じるのは何故でしょうか