美緒と付き合いだして、数日が経過した。
やっと数日。
たった数日。
人によって感じ方は様々だが、慧にして見れば、前者、やっと数日が経った。
一人の女性とお付き合いをする。初めての経験に、慧は毎日が必死の連続だった。
大人から見れば、子供のお遊び程度の事なのかも知れないが、当事者にとって真剣そのものだ。
ただ、今の『好き』が将来どうなるか分からない。
『好き(LIKE)』と、『愛(LOVE)』の違いもよく分からない。
屹度、好きと愛は、似ているようで全くの別物なのだろう。
大きなガラスには、光を湛えた街灯が宝石のように瞬いている。
夜の帳が降りたが、市街地は明るい。
金曜日の夜と言うこともあって、皆の足取りは心なしか軽いように思えた。
ボンヤリと、冴えない自分が映り込むショーウインドを眺めながら、慧は自分の思いはどちらに近いのか、自問自答してみる。
親や友人に向ける感情は、明らかに『好き』だ。しかし、美緒に向ける感情は、全くの別だと思う。言葉では上手く言い表せないが、美緒に抱く感情は、『好き』よりももっと強い気持ちだった。
美緒には何も言わないが、昼休みの食事時、彼女が関口や西などの他の男子の友人と食事を取っているのを見て、余りいい気はしない。
彼女は彼女で、慧の所有物ではないことは重々承知している。
慧には慧の、美緒には美緒の友人がいる。
しかし、美緒が他の男性に笑顔を向けるのを見て、余りいい気はしない。
焼き餅を焼いている。もっと別の言い方をすれば、嫉妬というのだろうか。
慧は、自分にこんな気持ちがある事に軽い嫌悪感を覚えていた。
昔から、慧は淡泊だった。
欲しいものが手に入る環境だったので、恵まれていたのかも知れない。
食べ物にも、玩具にも、あまり執着したことがない。
だから、玩具が壊れてしまっても、友人に取られたとしても、あまり悔しい気持ちがなかった。
それがどうだろう。美緒に対しては、不思議と執着心が出てきた。
彼女を自分の物にしたい。他の男性と話をして欲しくない。
極端だが、そう思ってしまう。そして、そんな事を思う自分が、とても卑しく思えた。
こんな事を思っている事を知ったら、美緒は幻滅してしまうだろうか。
まだ、美緒との距離の詰め方が分からない慧は、胸にフラストレーションを抱えていた。
「ゴメン、待った?」
息を弾ませながら、バスから降りた美緒が駆けてきた。
「え?」
一瞬、慧は美緒が分からなかった。
普段、制服姿の美緒を見慣れているため、私服の美緒を見るのは、これが初めてだった。
花柄の白いツーピースに、ガラス細工の少し大きな髪留め。黒いパンプスに茶色いバック。
一見すると、少女の様な服装だが、彼女の纏っている雰囲気は大人の女性そのものだ。
制服では可愛い感じがしたが、私服姿の美緒は、美しいや可愛いという雰囲気とは別のベクトルだ。男を誘う、妖艶な雰囲気を纏っていた。
「どうしたの? 慧君、大丈夫?」
「あっ、うん、大丈夫だよ。美緒さんは、平気?」
時刻は九時を少し回っている。
「うん。お母さんには、適当に誤魔化しておいたから」
「そうか……。なんだか、悪いことしちゃったね」
「気にしないでよ、慧君。会いたいって言ったのは、私が先なんだから」
「うん」
そうは言うものの、慧の心には小さな罪悪感があった。
今日の帰り道、突然、美緒が塾の帰りに会いたいと言い出した。
慧は構わないが、美緒が心配だった。
塾が終わる時間は九時を回っているし、高校生、それも女性である美緒が出歩くには、少し遅い時間のように思えた。
「うちの事は、気にしないでよ」
そう言う美緒は、強引に約束し、こうして塾帰りの慧に合流した。
「もうお店もやってないけどさ、此処でこうして歩くだけで、ウィンドウショッピング出来るでしょう?」
そう言って、美緒は慧の手を取ってくる。
「あっ」
思わず、慧は体を硬直させた。
人前で手を繋ぐことが、恥ずかしかった。
先日、生徒玄関で詩織と話をしたとき、美緒が慧の手を握ってきた。あの時とは、状況が違っていた。
あの時、美緒は慧に助けを求めていた。だから、慧も自然とそれに答える事が出来た。
だが、今、この瞬間の触れ合いは、あの時とは状況が違っていた。
美緒の手を振り払おうと体が無意識に反応してしまうが、美緒の手はきつく慧の手を握りしめ、それを揺らさなかった。
「どうかした?」
「なんでもないよ」
手を繋ぐ。たったそれだけの行為が、これほどまでに恥ずかしいものなのだろうか。心を、温かくしてくれるのだろうか。
慧は照れながらも、美緒の手を優しく握り返した。
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