「……え、だって、ブライトは病気だって」
私が呆然としながら言うと、弟君はもう一度抑揚のない声色で「病気じゃないよ」と繰り返した。
私は訳が分からずブライトを見るとブライトは、顔を青くして小刻みに震えていた。そうして、彼の頭上の好感度はピロロンと音を立てて下落する。
その様子を見て、彼が本当に私に嘘をついていたのではないかという疑惑が生れ、私は困惑し頭を抱えた。
(ブライトが、嘘をついていたってこと? でも、何のために?)
ブライトが嘘をつく理由が分からなかった。弟に触れたら危険な病気で嘘をつく理由が。だって、そんなの思えばメリットなど誰にもなかった。ブライトが本当に弟に対して盲目で過保護であるにしても、私に病気だなんて嘘をつく必要があまりにもなかったからだ。
もし、仮にあったとしてもそれがどんな理由か。弟に触れられたくないとかそういう理由では、コレまで見てきてもないと思うし、そうであるなら今回手を叩くべきはまた私だったはずなのだ。だが、ブライトは意思を持って弟君の手を叩いた。まるで私を何かから庇うように。
それに、ブライトが見せた弟君に対する瞳は今まで彼が一度も見せたことのないほど怒りや殺意に満ちあふれていた気がした。
弟を死ぬほど愛している。何て言葉がこれっぽっちも似合わないぐらい。寧ろ、弟を恨んでいるのではないかと言うぐらいに。
けれど、だったとしても、私に嘘をついていたことが事実であるなら……私の中にあったブライトという人間の信頼度が足下から崩れ落ちる音がした。
何て彼に声をかければ、どんな顔で彼を見れば良いか分からなかった。私が、そんな風に俯いていると、弟君は、そのアメジストの双眼を伏せながら、言葉を紡いだ。
「おにぃ、なんでそんな嘘をついたの?そんなに、ボクと聖女様を引き離したいの?」
「違います。これは……」
「聖女様はボクの命の恩人何だよ。ボクは聖女様に触れたいの。ありがとーってぎゅってしたいの」
と、弟君の言葉にブライトは目を丸くして、私を見た。そして、その視線から逃れるように私は慌てて目線を逸らす。
何故だろうか。
ブライトの弟君はこんなに可愛らしいことを言ってくれているのに、言葉に気持ちがこもっていないというか、空っぽの言葉というか。弟君からは、どうにかして私に触れようという意思がひしひしと伝わってきており、しかし何故彼が私に触れたいのか分からず得体の知れないものが私を襲っていた。見えない何かに、背中を刺されるような触れられているような感覚に私は身震いする。
そんな中、視線をふと戻せば弟君と目が合った。
吸い込まれそうな、そこの見えないアメジストの瞳に私は息をのむ。
(呑み込まれそう……)
私は、無意識のうちに一歩前に踏み出すと弟君が嬉しそうに顔を歪めた。
「あ、そうだ。聖女様に、名前名乗ってなかった。ボクね、ファウダーっていうの。よろしくね」
と、差し出された手に私は困惑する。
ゲームをしている時見落としていたのか、ブライトの弟の名前などこれっぽっちも知らなかった(というかそもそも興味がなかった)。だから、名前を初めて知ったのだが、目の前の子供は、ファウダーと名乗り左手を差し出してきた。前も、同じように手を差し出されたなと思いつつ、その時はブライトに手を叩かれたんだっけと。いや、もう今回も既に叩かれて阻止されているのだが。
だが、私は先程のブライトの行動を思い出し、また胸がざわつくのを感じた。
それに、ファウダーの手を取るべきなのかと少し悩んでしまう。だって、先ほどから胸騒ぎがするから。
そんな私の思考を読み取ったかのように、それまで動かなかったブライトは、私と彼の間に入り込み、ブライトは私を庇うようにして前に立つ。
「おにぃ退いて」
「ダメです」
「なんで? おにぃ、聖女様に嘘ついてたじゃん。聖女様のこと嫌いだからでしょ?」
「なんで、そうなるんですか」
ファウダーの言葉に、呆れたように溜息をつくブライト。
しかし、次のファウダーの言葉で、ブライトは完全に言葉を失ってしまう。
「じゃあ、聖女様のこと好きなの?」
と、ファウダーは影の差すアメジストの瞳を大きく見開いてブライトを見つめていた。その圧に負けてなのか、何なのか、ブライトは言葉を詰まらせながら小さく口を開く。
それは、私が今まで聞いたことのないような弱々しい声だった。
そんな彼は、私をチラリと見た後、再び視線を逸らしたかと思うと、ゆっくりと首を横に振った。
「それは、今関係ないことでしょう」
と、そう言って。
その答えに満足しなかったのか、ファウダーは更に眉を潜めて、不機嫌さを隠すことなく顔に出した。
確かに関係な事と言えば、関係無いことだ。嫌いだから嘘をつくとか、好きだから嘘をついたとかは……でも、私はブライトの言葉に少なからずショックを受けていた。
(そうだよ、だって私とブライトは師弟関係な訳だし。悲しむことないじゃん。別に嫌いとはいっていないんだし)
と、頭では理解しているつもりだ。
だけど、どこかで期待していたのかもしれない。だって、あんなに優しくしてくれたし、助けてくれたし。
恋愛感情じゃなくとも、好きだっていってくれると思っていた。そう、期待していた。でも、現実はそう甘くなかった。ブライトの好感度は36%でそれが全てを物語っていたのだ。私とブライトの関係は、師弟関係であってそれ以上ではないのだと。
そう、私はブライトにとってただの教え子でしかないのだと。
(まぁ、分かっていたけどね)
そう思いつつも、私は泣きそうになるのを必死に耐えて、僅かな期待を胸にブライトに尋ねた。
「ブライトは、私こと好きじゃないの?」
「えと、わーる……様」
アメジストの瞳が揺れる。動揺してるのは明らかで、ブライトは珍しく戸惑っているようだった。
そんな彼の様子に、私の心は酷く傷つく。そして、同時に諦めに似た何かを感じてしまった。
「あ、あの、その……別にブライトが嘘ついていたことに怒ってるとかそう言うわけじゃないし、別に嫌いなら嫌いでそれでいいと思ってるよ。でも、何だかちょっと、嘘つかれたのが悲しくて……あれ、えっと、だから」
言葉がそれ以上出てこなかった。
まだ、ブライトの口から嘘だったとは言われていないため、彼を信じることが出来たかも知れない。けれど、私の心は酷く落ち込んでしまっていて、それどころじゃなかった。彼の弁解の言葉を待つことなく言葉をこぼしてしまう。
(凄く、泣きそう……)
目頭が熱くなるのを感じる。泣くな、泣かないで。そう自分に言い聞かせても、涙は溢れてきて止まらない。
(どうしよう、こんなところで泣いても困らせるだけだ)
どうにか止めようと、服の袖で目を擦る。すると、ブライトは私の手を掴んだ。
「エトワール様、泣かないで下さい」
「だって……」
泣かせたのはアンタじゃない?と、彼に目を向けてやると、ブライトは酷く傷ついたような顔をした。傷ついたのはこっちだというのに、如何してと口に出したくても出なかった。
というか、なんで私はこんなに気持ちが落ち込んでいるのだろうか。
たかが、嘘一個。まだ、理由だって明らかになっていないし、嫌いって直接言われただけじゃない。でも、何故だか気持ちも考え方も悪い方向へ向かって落ちていくのだ。自分の意思関係無く。こんなに私って弱かったっけ、と思わされるほどに。
そう、私が考えていると何も言ってくれないブライトの代わりにファウダーが口を開く。
「おにぃは、聖女様の力に嫉妬してるんでしょ。自分は五つの魔法を全て使えるわけじゃないし、聖女様の足下にも及ばないって。いずれ家を継いで、魔道騎士団を継ぐ人間として、羨ましくて、妬ましくて仕方ないんでしょ」
嫉妬? 羨ましい? 妬ましい?なにそれ……
そんな理由で私を騙していたの、と問い詰めたいところだが、ブライトは何も言わずに俯いているだけだった。
いや、確かにそう思っても仕方ないかも知れない。ブライトは以前、火の魔法が使えないことに対して自分を責めるような発言をしていたし。でも、それは仕方のないことで、彼にとって火とはトラウマだったから……だから。
「おにぃは、聖女様なんていなければって思ってる」
「黙って下さい!」
そう、痛々しい叫び声と共にブライトは顔を上げた。その顔は、先ほどの怒りや殺意と言った負の感情が渦巻いており、もはや私の知っているブライトの面影はなかった。