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殺された赤ん坊は結局取り上げられてしまい、きちんと埋葬してもらえたかどうかもわからなかった。
もう生きる意味がない。
けれどいくら死のうとしても、常に近衛騎士が張りついているためことごとく失敗に終わった。
食事を拒否すると、どろどろに溶かしたものを無理やり喉に流し込まれる。吐き戻してしまうと、それからは五分に一度、肉や野菜、パンのひとかけらを呑み込まされるようになった。
ケイリクスを殺そうとしたこともある。さまざまな方法を試したが、寝ている隙に花瓶で頭をかち割ろうとしても、警戒心が強くすぐに目覚めて取り押さえられた。とてもではないが力では敵わない。
いつしか部屋には必要最低限のものしかなくなっていった。行動範囲も狭められ、行き来が可能なのは寝室とバスルームと祈祷室のみだ。
もうメリーティアには神頼みしか残されていない。
メリーティアはほとんどの時間を祈祷室で過ごした。誂えてもらった小さな祈祷室は、目線とそう変わらない大きさのニルスの彫像が置いてあるだけの簡素なつくりだ。
その前に膝をついて手を組み、ケイリクスがいない間はずっと祈りを捧げていた。
(家族を、グウェンダルを、赤ちゃんを、返してください。そして彼らを死に至らしめた人間たちを全員地獄に突き落としてください。それが叶えられない願いなら、わたしに彼らを懲らしめる機会をください)
毎日欠かさず願っているのに、悪夢を消してくれたときのようにはいかない。
メリーティアはすっくと立ち上がると、ニルスの彫像を覗き込んだ。
幼い頃、両親や兄に頼みごとをするときはキスをするとなんでも上手くいった。その流れで、よくニルスの彫像にもキスをしていたことを思い出す。
キスなどでニルスが願いを聞いてくれるとは思えないが、何事も試してみるべきだ。
メリーティアはニルスの彫像と唇を重ね合わせた。大理石を削って作られているため、ひんやりしている。
そして予想どおり、キスをしても特別な何かが起こることはなかった。
はあ、と大きくため息をつく。
「――メリーティア、またここにいたのかい」
いちばん聞きたくない男の声に呼ばれ、メリーティアは肩を揺らした。
強引に腕を引かれて寝室へと連れて行かれる。まだ日は高いというのに、初めて離宮に来たときのようにベッドに押し倒された。
「今日で出産から一カ月が経った。医者が言うにはもう伽をしてもいいそうだ」
「絶対に嫌よっ、離して……!」
「抵抗しても無駄だよ。あぁずっとこのときを待っていた。メリーティア。余のメリーティア。そなたはこの世でいちばん美しい。愛しているよ、メリーティア」
それからは、毎晩のように抱かれている。泣いても、罵声を浴びせても、蹴飛ばそうとしても、ケイリクスはメリーティアを愛おしげに抱いた。優しく激しい交合は朝も夜もなく繰り返され、ケイリクスの子を身ごもったことを知ったのは、三カ月後だった。
まだ膨らんでもいない腹を撫で、ケイリクスはうれしそうに笑っている。メリーティアはその顔に、つわりのせいだと誤魔化して吐瀉物を直接吐きかけてやりたかった。
「やはりモナを殺してそなたを皇后に据えようか。余の隣はそなたこそ相応しい。ふふ、それがいい。モナとヨハンセンを殺してしまおう。余の跡を継ぐのは、そなたと余の子だ」
モナというのは皇后で、ヨハンセンは彼女の息子である第一皇子のことだった。
息子ふたりの皇位争いに興味がない様子だったケイリクスは、本当に第一皇子と第二皇子のどちらが皇帝になろうとどうでもよかったのだろう。
だがメリーティアとの間に子を授かった今は違う。おなかの子が女でも男でも、この子に皇位を継がせるつもりだ。
そんなケイリクスの腹の内が読まれていたのだろう。
夕食のデザートの時間、メイドがかすかに手を震わせながら紅茶のカップを運んできた。その違和感に目を瞑り、メリーティアはカップを口元まで近づける。
その瞬間、思わず微笑みを浮かべていた。
珍しく上機嫌なメリーティアの様子に、紅茶を飲もうとしていたケイリクスが首を傾げる。
彼のものとは別に、妊娠してからメリーティアにはカフェインの入っていない茶が提供されていた。
だが、こんなふうに桃の匂いがしたことは一度もない。
メイドの緊張した様子。桃の香りがする茶。これらがそろえば、導き出される答えはひとつだ。
第一皇子の次期皇帝の座を奪うかもしれない存在を、皇后が生かしておくはずはない。
メリーティアは茶をふうふうと冷ますと、一気に飲み干した。
途端に大量の血を吐いて倒れ込むメリーティアを目の当たりにして、ケイリクスが驚愕の表情で叫んだ。
喉から胃の腑まで焼けるように熱い。家族はこんな苦しみを味わわされたのかと思うと余計に涙が出た。
(やっと死ねるわ……)
メリーティアを抱き上げたケイリクスが、必死の形相で呼びかけてくる。医者を呼べと指示しているが、手遅れなことなど一目瞭然だ。こんなに狼狽えている姿は初めて見る。彼にとって、メリーティアの死が最も重い罰となるだろう。
いい気味だ。彼が美しい顔を歪ませて泣いているのを目にして胸がスッキリした。
(ああけれど……心残りがあるわ。叶うなら、家族を死に追いやった皇后も、共謀したトリーも、グウェンダルを陥れた第一皇子も、副騎士団長も、みんなみんな地獄へ連れて行ってやりたい。ねえ神様、最後くらいお願いを聞いてよ……)
「メリーティア……! 死なないでくれ……! 余を置いていくな!」
慟哭するケイリクスに、メリーティアは「ひとりで地獄に堕ちろ」と血とともに吐き捨てた。