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有希の母は、シングルマザーだ。当時の恋人との間に子供が出来たと知ったとき、自分の判断で、一人で産むことを決めたのだという。
母は言った。
「その人は、恋人としては素敵だったけれど、一生のパートナーになるに足る人ではないと思ったの。だから、あなたのことは、自分一人で育てることにしたのよ」
母は、十代の頃から夜の世界に身を置き、現在は、三店のナイトクラブを経営している。有希は、強くて優しく、美しい母のことを尊敬している。
有希は、今まで生きて来て、まだ一度も恋をしたことがなかった。きれいな女の子を見ても、付き合いたいとも、セックスしたいとも思わないし、だからといって、同性に興味があるわけでもない。
母のことは大好きだから、多分、自分は極度のマザコンなのだと思う。友達と遊ぶよりも、母と買い物に行ったり、旅行に行ったりするほうが、ずっと楽しい。
だから、別に友達も恋人も、いなくてかまわないと思っていた。
母は、やり手の経営者だったから、経済的な余裕があって、お小遣いも、使いきれないくらいたくさんくれる。だから、クラスメイト達のように、お金のためにアルバイトをする必要もない。
だが、母はとても忙しく、あまり家にいない。一人ぼっちで家にいるのは、寂しくもあり、退屈でもある。
それで、時間つぶしと社会経験をかねて、アルバイトをしてみようと思い立ったのだった。
職種は、なんでもよかったのだが、漠然と、いつか母のそばで仕事がしたいと思っていたので、飲食業を選んだ。
たまたま、フォレストランドというテーマパークの中にあるレストランの求人を見つけ、面白そうだと思って応募したのだった。
小規模なファミリーレストランのような、その店で、まさか運命の出会いが待っているとは、夢にも思わなかった。
白いユニフォームを着たその人が振り返った瞬間、頭の中で何かがはじけ飛んだ。洪水のように、様々な映像が襲いかかって来る。
さらりとした素直そうな髪を額に垂らした少年、ブルーのギンガムチェックのシャツ、窓から見える満月、裸の胸、熱いキス、体の奥深くを何度も突き上げられる感覚……。
パニックを起こしそうになり、倒れかけたとき、その人が支えてくれた手の感触で、すべてのピースが、カチッと音を立てて、はまった気がした。その手は、何度も触れられ、抱きしめられたことのある手だ。
彼の名前なら知っている。伸くん。僕は、いつもそう呼んでいた。
僕は、僕の本当の名前は、桐原行彦だ。そしてあのとき、僕は、すでに死んでいた!
自分が知っている彼よりも、ずっと大人になっていたけれど、その人が安藤伸だということは、すぐにわかった。髪の感じも、真っ直ぐに見つめる瞳も、思わずしがみついた胸の感触も、何一つ変わっていない。
「伸くん」
思わずつぶやくと、その人は言ってくれた。
「……行彦?」
あぁ、間違いない。この人は、僕が愛した、たった一人の人だ!
「伸くん!」
そのとき、ドアが開いて、さっき、ここまで案内してくれた、胸に「中本」のネームプレートをつけた人が入って来た。僕たちは、あわてて離れる。
二人が話している間に、持って来た履歴書を、さっき伸が手にしていたバインダーに、急いで挟んだ。伸が用事を足しに行ってしまった後、中本という人に、気分が悪くなったと言って、その場を後にした。
いったん一人になって、頭の中を整理したかったのだ。履歴書を見た伸くんが、連絡をくれるのではないかという期待もあったが、もしなければ、再びここに来ればいいと思った。
地に足がつかないような、体がふわふわするような、おかしな感じがして、真っ直ぐ歩くのも一苦労だったけれど、なんとか家まで帰り着いた。母は、もう出かけた後だ。
自分の部屋に入り、ベッドに倒れ込む。西原有希としての自分は、まだキスすらしたことがない。
それなのに僕は、唇が重なる感触も、舌が絡まり合う感触も知っている。それどころか、肌の上を唇が這う感触も、胸の突起を吸われる感触も、体の中心部を強く貫かれる感触も!
鮮明な記憶に刺激されて、体が反応し、熱く切なく疼く。あぁ、伸くん……。
服を脱ぎ捨て、記憶をたどりながら、一人、恥ずかしい行為にふけった。伸くんの手は、舌は、ここを、こんなふうに……。伸くんの熱く張り詰めたものは、僕の、ここを……!
果てた後、裸のまま少し眠った。目を覚ましてシャワーを浴びた後、部屋に戻ると、スマートフォンが震えていたのだった。
テーブルの向かい側に座った伸が、呆然としたように見つめている。彼は言った。
「僕の話、わかってくれた?」
「つまり君は、行彦の生まれ変わりだと……」
「そうだよ。最後に伸くんと愛し合った後の記憶はないけど、多分、僕の魂は、しばらく眠り続けた後、有希として生まれ変わったんだよ」
「そうなのか……」
口ではそう言いながら、伸は、まだ半信半疑といった表情だ。
「ねぇ。信じて」
伸は、まぶしそうに、彼を見ながら言う。
「君が嘘をつくはずがないし、もしも嘘だとして、君がそんなことを知っているはずがないし、嘘をつくメリットもない。
何より、その顔を見れば、君が行彦であることは疑いようがない。ただ、あまりのことに、びっくりし過ぎて、思考が追いつかないんだ」
「そうだよね」
彼は微笑む。
「僕も、すごくびっくりした。びっくりし過ぎて、さっきは倒れそうになったよ」
「あの後、大丈夫だった? 知らないうちに帰ってしまったから心配したよ」