彼はうれしくなる。あぁ、やっぱり伸くんだ。僕を気遣ってくれる優しさも、心配そうな表情も、あのときのままだ。
「伸くん、ちっとも変わらないね」
だが、伸は苦笑する。
「そんなことないよ。すっかり、おじさんになっただろ?」
「何言ってるの。伸くんは、おじさんなんかじゃないよ。
あのころの伸くんも素敵だったけど、今は、さらに大人の魅力が加わったっていうか。もしかすると、僕は、今のほうが好きかも」
「え……」
彼の言葉に、頬を赤らめた伸を見て、とてもかわいいと思った。それに、やっぱり大好きだ。
目の前の少年が、行彦の生まれ変わりだということは、よくわかった。とても不思議なことではあるが、そもそも、行彦と出会ったとき、彼は、すでに死んでいたのだ。
つまり自分は、かつて幽霊と愛し合い、別れた後も、彼を忘れることが出来ず、この十数年、彼だけを思って生きて来た。幽霊と愛し合うことが出来るのだから、生まれ変わりだって、あってもおかしくはないだろう。
もの思いにふけっていると、彼が言った。
「聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
「あの後、つまり、最後の夜の後、伸くんはどうしたの? あのとき、とても体が弱っていたし、病院から抜け出して来たって……」
「あぁ。あのときは……」
伸は、遠い記憶を呼び覚ます。行彦との愛の記憶以外は、もう滅多に思い出すこともなくなっている。
翌朝、部屋で倒れているところを発見され、病院に運ばれたことを話すと、彼は、ぽろぽろと涙をこぼした。
「僕のせいだ。もう少しで、伸くんを死なせてしまうところだった」
伸は笑って見せる。
「違うよ。あのとき、行彦は何度も止めようとしたけど、俺が、どうしてもしたかったんだ。
正直なところ、それで死んでもかまわないと思っていた。でも、実際は死ななかったし、その後どんどん回復して、学校にも通えるようになったし。それに」
彼は、細く白い指で涙をぬぐいながら、じっと伸の顔を見つめている。
「入院中、松園が見舞いに来て、俺に謝ってくれた。洋館に肝試しに行かせたことに責任を感じていたみたいで、いろいろ話して、わだかまりも解けたよ」
「もう、いじめられなくなったの?」
「あぁ」
「それならよかった」
ようやく彼は、少し笑った。
「それから、桐原家のお墓参りにも行ったよ」
「え?」
「行彦が、もう何年も前に亡くなっているということは聞いていたし、行彦もそう言っていたけど、どうしても納得がいかなくて、それに、行彦に会えなくなったことが辛くて、場所を聞いて行ってみたんだ」
当時のことを思い出し、ふと切ない気持ちになる。
「そうしたら、墓石には、ちゃんと行彦の名前も、行彦のお母さん、響子さんの名前もあって。行彦の没年が、本当に俺が生まれるよりも前で、とてもショックだった……」
あのときの感情が一気によみがえる。頭ではわかっているつもりでも、自分が心から愛した、たった一人の相手が、すでにこの世にいない人なのだということが、どうしても受け入れられなかった。
それならそれでいいから、ずっと一緒にいたかったし、それで自分が命を失うとしても、少しも怖くなかった。だが、自分はこの世に残り、愛する人は消えてしまったのだ。
「伸くん」
彼が手を伸ばして来て、テーブルの上で握りしめた伸の拳を、そっと包むようにした。
顔を上げると、目が合った。潤んだ目を見たまま、伸は言う。
「あの日から今まで、行彦のいない世界で生きるのは、とても辛くて寂しかった。いつも行彦のことを考えていたよ。
だけど、やっぱり死ななくてよかった。母親に悲しい思いをさせなくてすんだし、それに、今、こうして会えたから」
「伸くん……」
再び泣き出したその顔は、やはり行彦に違いないと思う。
もう片方の手を、彼の手の上に重ね、静かに泣き止むのを待つ。やがて、彼が言った。
「僕は、伸くんにも、お母さんにも、たくさん辛い思いをさせてしまった。
あのとき、伸くんの前から消えたときに、全部終わったんだとばかり思っていたのに、こんなに長い間、伸くんを苦しめていたんだね」
「もういいって」
伸は、彼の手の甲をぽんぽんと優しく叩く。
「今日、すべて報われたよ」
「伸くん……」
ふと目の前のコーヒーカップが目に入る。二人とも、手をつけないままだ。
「冷めちゃったね。淹れ直そうか。それとも紅茶のほうがいい?」
伸が立ち上がるより前に、彼が椅子を引いて立ち上がった。そして、テーブルを回ってそばまで来る。
彼は、遅れて立ち上がった伸の手を握って言った。
「伸くん。もう、僕と何度しても、命を削ることはないよ」
「え?」
「だって僕は、生きているんだから」
そう言いながら、伸の体を抱きすくめる。
「君」
「僕は、行彦だよ。行彦って呼んで」
「でも……」
「ねぇ、したい。したくてたまらない。お願い……」
話すたび、首筋にかかる息が熱い。
「ちょっ、ちょっと待って」
伸は、彼の体を引きはがす。彼が、潤んだ目で、不満そうに見上げる。
「……僕のこと、嫌いになったの?」
「そうじゃないよ。そうじゃないけど、君は、行彦だけど、西原有希で……」
「だから?」
「こんなこと、今のお母さんが知ったらどう思うか」
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