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その夜、反省しながら、のどかがうとうとしていると、誰かが部屋に入ってきた。
えっ、誰?
まさか社長っ?
いやいや、社長はそんな御無体なことはなさらない気がっ、と思いながらも、身を固くして寝ていると、布団の端が重くなる。
誰かが腰掛けたみたいに。
だが、そのまま動かない。
動かない。
……動かない。
のどかはチラ、と足許のその重みの源を見た。
貴弘の姿はない。
起き上がって見ると、猫になった泰親がすやすやと寝ていた。
……そうですよねー。
こういう部分的に重いのって、布団の端に猫が寝てるときですよねー。
いつも、どしっとやられるから、わかっているはずなのに……。
「お、おやすみなさい、泰親さん」
一気に緊張して、一気に途切れたせいか、のどかは、またすぐに眠りに落ちていた。
やっぱり、この、まだ時間はあるからとか考えてるのがまずいんじゃないのか?
二、三週間なんて、ぼんやりしていたら、すぐに過ぎそうな気がする。
一度、ベッドに入ったものの、いろいろと考え続けていた貴弘は、ようやくそう思いなおした。
「の、のどか……?」
と勇気を出して、そっとのどかの部屋を覗くと、のどかは猫の泰親と、すやすやと眠っている。
……気持ちよさそうに寝てるな。
起こすの、可哀想か、と思いながらも側に行き、のどかの顔を覗き見る。
ベッドの端に腰かけると、のどかはこちらに向かい、寝返りを打った。
「もう~、泰親さん。
駄目ですよ~」
猫とはいえ、他の男の名前を呼ぶなっ、と思ったとき、のどかは癖でか、手近にあった貴弘の膝を撫ではじめた。
ふふ、と微笑み、寝てしまう。
……俺を猫だと思っているようだ。
猫ならいいだろう、と貴弘は、のどかの頬をちょいちょいとつついてみた。
のどかは、うんうん、とその源を探すように手を払っている。
「駄目ですよ~、泰親さん。
静かに寝てください……」
とのどかが寝ぼけて言ってきた。
……猫のしっぽか、なにかだと思っているようだ。
ていうか、二度も泰親の名を呼ぶなっ、と思った貴弘は、すやすやとのどかの足許で気持ちよさそうに寝ている泰親の背を軽く、ぺし、と叩く。
泰親は一瞬、頭をもたげたが、目を開けないまま、周囲を確かめるように首を振ってあとで、寝てしまった。
……猫に嫉妬するとか余裕がないな、俺も、と思いながら貴弘は出て行こうとしたが。
やはり、思い直して戻る。
寝ているのどかの額に、ちょっとだけキスしてみた。
のどかは額をこしこしこすっている。
その仕草が猫が顔を洗うようで笑ってしまう。
「……明日は雨かな」
と呟き、部屋を出た。
おやすみ、のどか。
明日ものどかが此処に居ると思うだけで、さっき部屋のドアを開け閉めしていた泰親くらい、心が浮き立つのを感じていた。
「今日俺を呼びつけたやつを死刑にしろ」
風の強い新幹線のホームで貴弘は呟く。
社長……、と横で北村が苦笑いしていた。
「こんな仕事をとってきたやつを死刑にしろ」
「社長です」
「……わかってるから、言ってるんだ、莫迦者」
以前、自分がとってきた仕事のせいで、浜松に二泊三日の出張になってしまった。
下手したら、もっと長引くかもしれない。
貴弘は激しく後悔していた。
明日があるから大丈夫なんてことは人生にはない。
「今、と思ったそのときがチャンスなんだな」
と貴弘は自分で自分の言葉に頷く。
「帰ったら、のどかにプロポーズしよう」
何故、のどかと結婚したのか。
のどかの何処がいいのか。
本当に好きなのかとか、いろいろ疑問は残るが。
「やはり、手に入れてからじっくり考えよう」
と呟く貴弘に北村が言う。
「もう結婚してるのにプロポーズもどうかと思うんですが。
社長、今だと思ったそのときって、『今』なんじゃないんですかね?」
ん? と貴弘は振り返る。
「この時代、携帯電話という素晴らしいものがあるんですよ」
そう言われ、貴弘はスマホをポケットから取り出す。
無言で見つめた。
「今です、社長」
「いや、しかし……」
「今です」
そのとき、ベルが鳴り、新幹線が入るというアナウンスが流れた。
貴弘がホッとしたようにスマホをしまい、
「もう新幹線来たな。
またにしよう」
と言うと、北村が笑う。
「社長にもそんな人間らしい一面があったんですね」
と。
……どういう意味だ、と思ったが、北村は笑って言ってくる。
「なんでも即決即断。
会社を起こすときもそうでしたし。
本当に行動力があって、揺らがない人だなって思ってたんですけど。
こんなこと言うと、失礼になりますが。
社長にも可愛らしいところがあったんですね」
なんだ、それ、と思いながらも、ちょっと嬉しかった。
思わぬところで、部下とちょっと近づいた感じがあったからだ。
北村たちが自分を慕ってついてきてくれているのはわかっていたのだが。
やはり、ちょっと距離のようなものを感じていたからだ。
社長たるもの、弱いところは見せられないと思っていたのだが、そういうものでもないのだろうか、と思いながら、二人新幹線に乗り込む。
「でもそうですね。
タイミングも大事ですけど。
ゆっくり考えて、のどかさんにとって、最高のプロポーズにしてあげるようにしたらいいですよ」
と北村は、のどかが自分のプロポーズを受けてくれるものだと思って、話を進めてくる。
……いや、受けるのか? あいつ。
プロポーズを受ける、受けない、という選択肢をのどかに与えることは、弾みで始まったこの怪しい結婚生活をやめる、やめない、という選択肢を与えてしまうのに等しい。
どうする……?
と貴弘は迷う。
下手にそんなことするより、このままの状態を続けて、二人で居るのが自然になったとき、なにか言った方がいいんじゃないのか?
ああ、でも、こうしている間に、のどか好みのイケメンが呪いの部屋に降ってきているかもしれない。
いやまあ、降ってきたところで、今、見つけるのは工事に来ている男たちだけだろうが。
乗車する前に買っていた缶コーヒーを北村と二人飲みながら、車窓を眺める。
が、すぐにトンネルに入り、北村とちょっと困ったような顔をした自分が窓ガラスに映って見えた。
迷うな……。
なんせ、のどかだからな。
反応が読めなくて怖い。
だが、俺たちが帰っていくのを黙って見ていた海崎と中原が、俺が居ない今も、のどかの側に居るというのが、ちょっと怖い、と貴弘は思っていた。
まあ、中原の方は別にのどかが好きで見ていたわけではないのかもしれないが――。