コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
寂しいな~、広い家に社長が居ないの。
のどかは貴弘の居ないリビングの中央に、ぽつん、と立っていた。
泰親は昼の日差しをいっぱいに浴びて、窓際のローボードの上に置いてもらったクッションですやすやと眠っている。
いや、どのみち、社長、昼間は仕事なんだけど。
今日は、夜も帰ってこないとわかっているせいか、このしんとした空間がなんだか寂しいな、と思いながら、のどかはルーフバルコニーに出てみた。
ガラス戸を締め切っているときは気にならなかったが、外に出ると、意外に地上の音がよく聞こえてくる。
だが、のどかは、その騒がしさにホッとしていた。
いつも身近にある音がようやく聞こえてきたからだろう。
よし、街を眺めながら、お茶でも飲むかな、と思って準備する。
「泰親さ……」
一緒に飲みますか?
と訊こうとしたが、泰親はまだ寝ていた。
初夏の日差しに程よく温まった泰親のふさふさの毛を見ながら、寝るときだけ猫になるって、気持ち良さそうでいいな、と思って笑う。
のどかはひとり、白いソファに座り、お茶をしてみた。
今は風もあまり強くない。
背後にある大きな観葉植物の枝葉がさわさわと揺れる音を聞きながら、のどかは空を眺めてみた。
向かいの高層ビルのてっぺんに照準を合わせて見ていると、意外に速く雲が流れているのがよくわかる。
こういうゆったりとした時間を楽しめるようなカフェを作りたいなーって思ってたんだけど。
今はこの、ひとりでゆったりな時間が、何故だか楽しめない。
……よしっ。
今日から工事始めるって言ってたし。
差し入れ持っていこうっ、とのどかは思い立ち、大きなガラス戸を開け、部屋に戻った。
声をかけずに出て行っても悪いかと思い、そっと泰親に呼びかける。
「泰親さん、工事、見に行きますか?
それとも寝てます?
出かけるのなら、キャリーケースに入るか、人間になって歩いてください」
泰親はまだ、ぼんやりした顔で、こちらを見上げ、にゃ? と言ってきた。
中身が泰親だとわっていても可愛く、のどかは思わず、しゃがみ込み、寝ぼけた泰親を間近に見つめる。
泰親は一瞬起きたが、また目を閉じると、ふかふかのクッションの上でくるんと身体を丸めてしまった。
ああっ、可愛いっ。
このままいつまでも眺めていたいっ。
貴弘は、綾太と中原を気にしていたが。
実は、貴弘が居ない今、のどかが一番心を奪われているのは、猫の泰親だった。
いい天気だな。
会社の外の渡り廊下を歩きながら、中原は昼の光に目を瞬いた。
ふと、昨日の帰り際のことを思い出す。
当然のように二人仲良く帰っていくのどかと貴弘を寂しそうに綾太が見ていた。
中原は思う。
仕事の時は常に強気な社長のあのような顔を見ていると、なにかして差し上げられないかという気持ちになるのだが。
まあ、社長はあのマヌケな幼なじみより、親族の決めた相手を選んだようだから、余計なことなんだろうな。
……まあ、そのわりに、成瀬社長のところの社員寮に入りたいとか、未練がましいことを言っているようなんだが、とつい、思ったあとで。
いやいや、社長ともあろう人が未練がましいとか。
なにか深い訳があるに違いない、と綾太を崇拝する中原は頭に浮かんでしまった、綾太に対する否定的な言葉を修正する。
だが、まあ、せめて教えてあげるべきだったか、とは思っていた。
二人で帰っていくのどかたちを寂しく見送る綾太に、
「いや、あれ、三人居ますからね」
と。
綾太には、のどかと貴弘がラブラブな感じで、二人の部屋に帰っていったように見えていただろうが。
実際は、猫耳神主も一緒に横を歩いていて。
単に、三人で仮住まいに帰っていっただけなのだが――。
だが、すっぱり、あの女のことは諦めてもらった方がいいから、教えまい、と中原が思い直したとき、視界に可愛らしいピンクの丸い花が入った。
渡り廊下の白いコンクリートの脇に、ひょこっと生えている。
春先くらいから、あちこちで見かける雑草だが、見かけるたび、もしかして、これは、わざわざ植えてあるのだろうかと思ってしまう。
地面を覆うくらい大繁殖しているうえに、花がピンクの毛糸のポンポンみたいで可愛らしいのだ。
思わず立ち止まり、花を眺めていた中原の耳に、ふと、やわらかな声が蘇る。
『ヒメツルソバですよ』
そうだ。
いつか、胡桃沢がそう言ってたな。
……そういえば、なんか胡桃沢みたいだな、この雑草、と思う。
最初はちんまり現れて。
なんか可愛らしい感じにちょこんとしてるから。
まあ、放っとくか、と思っていたら、大繁殖していて、視界に入らざるを得なくなる。
雑草なのに広がりすぎて大迷惑なところまでそっくりだ、と思いながら、中原はそのヒメツルソバを見つめた。
雑草カフェか。
まあ、店ができたら、行ってみるか。
ちょっと様子を見に。
……もちろん、社長のために。
心の中で、そう付け足すと、昼の日差しに温まって、ぽかぽかしているコンクリートの上を歩き出す。